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味方忍者と敵方忍者の扱いの違いとは?

 関ヶ原の前哨戦で4万の大軍をわずか2千程で10日間以上持ち堪えていたという凄絶な伏見城の戦い、その直前での家康と忠臣である鳥居元忠との別れは繰り返し語り継がれている世にいう「伏見城の別れ」である。
 TBSの『関ヶ原』(1981)では、森繁久弥と芦田伸介が、NHK大河ドラマ『葵 徳川三代』(2000)では津川雅彦と笹野高史が演じているが、これを超えるのは至難の技だ。
 そこで思い付いたのだろう。『どうする家康』では、武田のくのいちだったはずの千代(古川琴音)を急遽元忠(音尾琢真)の側室馬場信春(武田家家臣)の娘を同一人物として据え、伏見城の戦いの戦闘員にすることでテコ入れし、討ち死にを派手にしようと。というより千代が再登場したことで多くの人がそれを予感していたのだと思う。
 SNSでも千代は昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の巴御前を想起したと何人もが指摘している。

「鳥居元忠の壮絶な最期に千代が運命を共にしてくれたが、この光景をもし昨年の巴御前が見たらどれだけ羨ましく感じたろう。もちろん巴は木曽義仲と和田義盛の菩提を弔うことを彼らの悲願として受け入れたけど、この二人を見たなら哀しい当惑をするのでは。」
「巴御前も果たせなかった夫婦で最期まで戦場に立つことになるのか千代さん」
「鳥居元忠と千代、和田義盛と巴御前のオマージュなのかな…」
とこのような感じである。立場的にもキャラ的にも元忠は義仲より義盛に近い。

 『どうする家康』の第42話「天下分け目」は、『鎌倉殿の13人』の第41話「義盛、お前に罪はない」にインスパイアされているようだが、第36話「武士の鏡」も含まれている。「武士の鏡」は畠山重忠のことだが、元忠も「三河武士の鏡」なのである。

 この創作、実は筆者にとっては、古沢良太からのアンサーなのである。
なぜなら年始に公開された信長映画『レジェンド&バタフライ』も古沢は手掛けているのだが、そのエンディングについてnoteで投稿した「レジェバタと過去作への消えない思い」で筆者が消化しきれなかったことを綴っていたからである。
 要は、信長と妻の濃姫は、創作ではよく”夫婦ともに本能寺の炎の中に死す”というエピソードを採用されることが多いが、木曽義仲と巴御前の延長線上と思う人も結構いる、この映画でもそれを期待されていたが、古沢はそれを良しとしなかったのかそこを採用せずにさらにファンタジー化してしまったことに不満を感じたという主旨である。
 無論、たまたまのことで、古沢がこの投稿を目にしたわけではないが、こちらとしては元忠と千代の最期を目にして、ああやっと採用してくれたのだなと思うしかなかった。結局『レジェバタ』は大コケに近いコケ方をしてしまったが…

 元忠の側室は武田家家臣馬場信春の娘だったということに目を付けたのは、一応脱帽している。まさか千代が巴御前化するとは誰も思いもよらなかっただろう。筆者を含めて千代はおそらく阿茶になるだろうと予測した者は少なくなかった。阿茶も武田家臣の娘だからだ。2017年に公開された『関ヶ原』の阿茶(伊藤歩)もくのいちの出という設定だったので、それほど無理があるわけでもなかった。この予想ははずれ、本作では千代は元忠の妻になった。夫婦共に討ち死にという結末は過去に望んでいたことではあるが、やはり複雑な気持ちは変わらない。「じゃあどうすればいいんだ」と我ながら自問するところだが、千代のモデルであり、武田に仕えた伝説的なくのいち望月千代女は、これを見てどう思っていたのだろうか?千代に温情をかけた家康の「忍びの過去を捨てて鳥居元忠の妻となるがよい」という台詞も気になった。人生の全否定である。古沢は忍者というものをどう思っているのだろうか?

大鼠と千代

 松本まりか演じる大鼠と千代の扱いの差もある。千代は「今更、人並みの暮らしが許されれるものでございましょうや」と戸惑いを見せる千代に対し大鼠は忍者という職業に誇りを持っていたように見えた。忍びの過去は捨てないだろう。単なる勝者と敗者の差なのか、やはり味方忍者と敵方忍者の扱いは違うのか?とはいうものの敵方忍者は敗者として徳川家の家臣の妻となり、最期は仕えた家康の勝利のために夫に殉じて華々しく散るのだが、味方忍者は人知れず消える。ある意味逆転現象である。どうもしこりが残るのだ。
 本作ではやはり半蔵(山田孝之)も、複雑な感情を抱いており忍者を嫌い仕官を夢見ている。それは忍者が主人公である司馬遼太郎作『梟の城』に近く、忍者という職業に誇りを持つ大鼠の方が『梟の城』の主人公に近く、半蔵の考えはむしろライバルに近かった。古沢は忍者にリスペクトしていないわけではないが、主人公が家康である以上、対等な関係を築けているとは描けないだろう。忍者は単体では強いが、立場としては著しく弱いことは強調されている。史実上では半蔵はもう死んでいて、よく関ヶ原や大坂の陣で活躍する半蔵は3代目である。
 茶々(北川景子)や茶屋四郎次郎(中村勘九郎)のように同じ俳優として登場するのだろうか?

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