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4/21の日記「休職」


数日前から、仕事を休むことになった。

(記事のヘッダーを設定してみた。いつかのネコだ)

最近職場の環境変化が目まぐるしく「やっていけないよ!やめたいよ!」と言いながら、仕事ができない自分を毎日嫌いながら、人に好かれているかどうかを確認しながら、それでも何とか仕事に行っていた。
もともとの躁鬱病で炭酸リチウムをガリガリしてはいたが、まあ基本的に休まず労働に励んでいた。やれていた。

「休みたい」としつこく口には出せど、休むことで失う社会的立場を思うと、主治医にそれを話す気にもなれず「まあ、もし限界が来ればゲロ吐いたり自殺企図したり、分かりやすくダメになって誰か止めてくれるでしょ」と楽観していた。
自分で辛さを自覚しているうちは、理性っぽい感覚が強いうちは大丈夫じゃないか、と思っていたし、この考えについては今も別に変わらない。


そんなある日、突然職場の人間に愛想を振り撒けなくなった

仕事はできないから、ニコニコ(へらへら)笑って維持できる好感度は何とか保って、冗談によく笑って、今の職場でやってきたのに、それが全くできなくなった。
人の発言がピクリとも面白くなくなった。笑わなくてはいけない場面で、愛想笑いもできなかった。別に笑うのを我慢してやろうという気もなく、対人MPがゼロになって一切使えなくなった、表情筋がサ終したという感じだった。

翌朝、いよいよダメだった。
ベッドから身体が一切動かなかった。「え〜んまだ眠たいよ〜」といういつものやつではなく、出勤の準備を始めないと遅刻するというラインを余裕で越しても、動く気になれなかった。恋人の声かけにも反応できなかった。
立ち上がりはしても、洗面所まで足が動かなかった。なぜか分からないが、恋人の前で突然泣き出して、そうして、促されるようにして欠勤の連絡を入れ、精神科の主治医のもとへ行った。

この日、精神科まで辿り着けたのは間違いなく恋人のおかげだと思う。一人で生きていたら、動けないまま無断欠勤し、その罪悪感でそのまま仕事を飛んで、その日暮らしにまた転げ落ちていた。絶対。

ありがとう。

精神科ではずっと帽子を目深に被り、視界を恋人に預けて、主治医と話をした。
ぽつぽつと何とか話をしたが、休職の話になった途端涙が出てしまった。「休みたくない」「休みたい」「休めない」がぐるぐると押し寄せた。最終的に、主治医と恋人の「休んだ方がいいと思うよ」という言葉に責任を押しつけるように、わたしは休職指示の書かれた診断書を受け取った。


正直まだ、休職していることに対し後悔と罪悪感はある。経済的にも大きな不安はあるし、恋人と穏やかに過ごしていると「仕事、行けるんじゃないか?世の中の、やっとの思いで休職しているひとたちと違って、わたしのこれは甘えなんじゃないか?」と不安がじわりと責めてくることもある。
しかし、あの日休職に至らずにやり抜けた自信もない。少しずつ「こうするしかなかったんだ」と割り切れるように、自分にとっての良い休息となるよう、努めはしないが、自身に祈ることにする。

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