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2022.03.06(もう一つのスタートの日に寄せて)

現在

―19時。フロアの照明が消え、真っ暗な舞台に4つの人影が現れる。軽やかにうねる電子音のイントロとともに舞台には青と緑の光が射しこみ、縦一列の4人が左右にゆらゆらと揺れる独特のダンスから「Lalala Lucky」のパフォーマンスが始まった。梅田の夜公演、渋谷の昼公演に続いてこのライブシリーズで@onefiveのパフォーマンスを観るのは3回目になる。ハイテンションで歌とダンスを魅せながらもほどよくリラックスした「Lalala Lucky」でのスタートは、これから始まるライブの親密な空気感に相応しいように思えた。

リラックスと言っても、「Lalala Lucky」のパフォーマンスは決してイージーという訳ではない。流麗なターンも含めコンパクトな中に様々な要素の振りを詰め込んだダンス、複雑だが自然な立ち位置の移動、がらりと雰囲気が変わる中盤のブレイク。マイクを手に持ちながら(そして巧みに持ち替えながら)唄い、キュートな表情や仕草で「個」の表現もたっぷりと織り交ぜ、それらの全てを余裕すら感じさせる姿で魅せていく。2曲目の「まだ見ぬ世界」は、自らの限界値を自らで更新するように演じられた『Blue Winter 2020』と比べれば、良い意味で力の抜けた歌とダンスが爽やかな印象。続く「Pinky Promise」も同様に、初期の楽曲はすっかり彼女たちの心と身体に馴染み、”彼女たちのもの”になっているように感じた。歌や振り付けを演者が追いかけているのではなく、演者の内側から自然と湧き出てくる表現を受け取っているような感覚だ。いずれも歌いながら踊るのは簡単ではないと思われる冒頭からの3曲を、粗削りな部分も残しつつ軽々と演じる4人。ライブの序盤から、@onefiveのパフォーマーとしての実力がはっきりと示される。

歓声を上げることができないルールの中で少しでも楽しい時間を…という想いも感じられたトークのパートを経て、次の曲の為にセッティングされたキーボードの前に、SOYOが座る。歌声とピアノだけで奏でられた「缶コーヒーとチョコレートパン」では、曲振りのGUMIの言葉の通り4人の緊張が伝わって来たが、氷の粒がガラスにぶつかるようなピアノの音や微かに震える歌声も、観客を前にした生演奏だからこその張りつめた美しさを感じさせた。そして続く「Just For You」は、このセットの中でも白眉の一曲だった。オリジナルではドゥーワップ風のコーラスが印象的だったが、SOYOが弾くローズの音色と人形のように愛らしい3人のダンスで、不思議といにしえのガールズボーカルグループのような雰囲気が醸し出される。マイクが拾う衣擦れや靴音もパフォーマンスの一部となり、プレシャスな時間を演出していた。

アルバム収録曲=現時点の全ての持ち曲のうち半分強を演じ、公演は後半へと進んでいく。@onefiveのセルフプロデュースの原点、というKANOのMCから、「Underground」のイントロが鳴り響いた。激しく首を振り、ターンし、空中を蹴り、跳躍するように移動しながらも生の声で歌うことにチャレンジする。 ”志” がはっきりと見えるパフォーマンスだ。そして続く「雫」でも、4人は、全身を激しく動かし流動的に立ち位置を入れ替えながら、フロアの床をびりびりと震わすほどの低音の中で、確固とした存在感の歌声を聴かせた。歌にダンスが添えられているのでもなく、ダンスを歌が色付けしている訳でもない。この、エッジーな楽曲と激しいダンスと美しい歌声(更に加えて言うならば繊細な表情演技)が混然一体となったパフォーマンスこそが@onefiveとしての矜持であり、基準なのだろう。

激しく降り落ちる雨の切れ間のような「雫」のエンディングの暗転から続けて、毎回の公演で最大の見せ場となった「Let Me Go」のシークエンスが始まる。辻村有記のオリジナル楽曲に合わせて1人1人のソロもたっぷりと楽しめる、ダンスのみのパフォーマンスだ。『Blue Winter2020』における「Snow White Castle」の流れを汲むものでもあるが、今回はメンバー自身が選曲をし、そしてKANOが振り付けと立ち位置の構成、照明までを自ら担当したという。それぞれの個性やチャームポイントを引き出したKANOの振り付けと演出はさすがだったし、KANOが付けた振りだからこそ、舞台上の4人のダンスはずっと前からその振り付けを踊っていたかのように滑らかで、そしてこれ以上ないほどに楽しそうだった。創造することの喜びと表現することの充実が舞台から溢れ出し、フロアを覆いつくしていく。

ライブの終盤は、さながら@onefiveとオーディエンスによるパーティーのような時間だった。MOMOとSOYOのレクチャーで入念にダンスを練習した後、KANOの元気な掛け声でリードするように、このセットで2回目の「Lalala Lucky」。そして、演者と観客が一緒になって踊った楽しさをそのままに「BBB」へとなだれ込む。「BBB」はリリースイベントでパフォーマンスを観た時に音源のイメージよりもずっとパワフルなダンスチューンだと感じたのだが、ライブハウスの音響で更にその威力は増していた(むしろ、もっと爆音で浴びたいとすら思った)。この曲でもGUMIやSOYOが掛け声をかけてフロアを煽り、観客は舞台から受け取ったエネルギーを投げ返すように手を上げる。きっと、近い未来に、フロアの僕たちも両隣の人と肩が触れ合うのを気にせず、シングアロングしながらこの曲を踊ることが出来るようになる。そうなってほしい。柔らかくも獰猛なベースとキックに打たれながら、そんなことを考えてハンドサインを掲げ、身体を揺らした。「BBB」を演じ終えた後の4人の満たされたような寂しいような表情は、いよいよライブが終わりに近付いていることを物語っていた。4人の口からそれぞれの想いが語られ、初めてのアルバムの為に、ライブの為に、2年という時間の隔たりを取り戻す為に書かれた「1518」が唄われる。声で、表情で、指先で、こぼれ落ちる涙で、彼女たちは、言葉に乗せきれない想いを懸命に表現しているようだった。

全てを演じ終えた4人は会場の端の方や死角となっていた部分にまで視線を送り、感謝を届けるように手を振り、上手、下手、そして中央で深々とお辞儀をして、この場所とこの時間との別れを惜しむように舞台を去った。時間にしておよそ1時間半弱。文字通りあっという間であったが、時間の長さや曲数だけではない幸せを感じるライブだった。照明が点り、薄明るくなったフロアには、感動と充実感と寂しさが綯い交ぜになって漂っていた…


…ここまでは、あの日、渋谷クラブクアトロで目にしたことをそのまま書いた、ごく普通の、ライブの様子を伝えるテキストだ。でも僕は評論家やライターじゃなく、ただただ彼女たちに心酔する1人のファンに過ぎないから、ここから先は少しだけ感情的になって私的な文章を綴る。


過去、未来

彼女たちは@onefiveを結成するずっと前から、誇り高く研ぎ澄まされた表現の現場で長い時間を共に過ごし、濃密な関係を築いてきた。@onefiveというグループは、彼女たちがそれまでの経験と築き上げた関係性を土台としながら、それまでとは全く異なる形で新たな表現の世界を創り出していくというプロジェクトなのだと、個人的には理解している。しかし、2020年春、立場的にも精神的にも区切りとなり、新たなスタートを切る為の儀式となるはずであった”母校からの卒業”のタイミングが、大きな災厄によって世界が変化した時期と重なってしまった。人と人との接触が制限されたことによって、彼女たちはそれまでの表現活動の集大成であった公演をおこなえないままに、新しいグループでの活動を始めることを余儀なくされた。季節が春から真夏へと移り、配信という形でようやく実施された卒業ライブは、当初予定されていた会場でおこなわれることはなく、卒業と門出を祝う拍手や歓声が彼女たちに直接届くこともなかった。そして、結果的に@onefiveの4人とファンが最後にライブ会場で顔を合わせてから今回のライブが開催されるまでに、実に2年もの時間を要することになってしまった。

観客の拍手や声援を受け取ることが出来なかった2年という時間が、舞台の上で表現をする表現者にとってどんなものだったのか、本当のところは僕には分からない。ただ、想像できるのは、彼女たちがSNSや配信で笑顔を見せてくれていた裏にも、僕たちが考えるよりずっと多くの葛藤や悩みがあって、実際に今回のライブがおこなわれたのも決して当たり前の事ではなかったであろうということだ。グループとして目指す表現の形を追求する事と、とにかくライブをやるという事の狭間で揺れ動いた時期もあったのだろうし、(表立たずとも)母校の名を背負って活動するという重責、その中でやりたい事を自由にやれないもどかしさ、何よりも、たくさんのものを犠牲にして創り上げる「表現」の対価として観客の反応を受け取れない時間が長く続いたのは、本当に辛かったのだろうと思う。彼女たちがかなりぎりぎりの場所に立っていたのだということは、梅田のライブで見せた涙や「(ファンの)皆さんは実在するのかな?と思った」という言葉からも伝わって来た(そして、僕自身はこの2年間、本当に彼女たちの心に届く応援が出来ていたのか、と自問する)。

幼い頃から彼女たちを知るファンの、決してポジティブなものだけではない様々な声を、SNSなどを通じて僕も目にすることがあった。きっと彼女たち自身もそういった声を敏感に感じ取っていただろうし、実力あるパフォーマンスグループが次々と活動を終えていくのも見ていただろうし、自分たち自身を歯痒く感じたことも多かったに違いない。Undergroundにまつわるドキュメンタリーで、彼女たち自身から語られた赤裸々な言葉からも、そんな想いを感じ取ることができた。だが、そんな状況の中でもチームは分かり易さや即効性に頼らず、5年後・10年後までを見据えて彼女たちが目指す表現の根源の部分を地道に追い求めて来た。この2年間のグループの我慢強さとマネジメントスタッフの胆力は、称賛に価すると僕は思う。そしてそれは、@onefiveがこのライブで見せたパフォーマンスそのものという「現在」に、答えとなって見事に表れていた。

考えてみれば、16歳(当時)の女子高校生4人組ユニットがセカンドシングルとしてリリースする楽曲として、「雫」という曲は控えめに言ってもかなり”異質”だ。けれども、クラブクアトロの壁や床を震わすほどの重低音とともに鳴らされた「雫」のトラックと、激しく髪を振り乱しながらも決して優雅さを失わないダンス、そして歌い手の内側に在る何物かを聴き手に叩きつけるように唄われる歌。それらが混ざり合って融合した、清流のようでも濁流のようでもあるようなパフォーマンスは、彼女たちにしか表現し得ないものとして、@onefiveにしか魅せることのできないものとして、既に確立されてはいなかったか。「雫」を例に挙げたが、その他の楽曲でも、彼女たちの為に編まれた音と紡がれた言葉を、彼女たち自身も携わって創ってきたパフォーマンスを、納得するまで突き詰めて表現する姿は、それだけで@onefiveの個性として見る者に大きな衝撃を与えるほどのものになっていると、僕は3回の公演を体験して思った。これは決して大袈裟ではない。

そして、今回のライブがとにかく素晴らしかったのは、彼女たちがファンと隔てられてしまった2年間という「過去」に落とし前を付ける気迫と、同時に「未来」への溢れんばかりの希望を、ライブパフォーマンスという「現在」を通じてはっきりと示してみせてくれたことだった。どんなライブにも過去から繋がる現在とそこから繋がっていく未来があると思うけれど、@onefive 1stLIVE「1518」ではそれが殊更に鮮やかだった。そこには、あの日僕たちが見るはずだった舞台の上からのアイコンタクトがあったし、深々としたお辞儀と叫ばんばかりの「ありがとうございました」があったし、彼女たちが受け取るはずだった鳴りやまない拍手と、たくさんの潤んだ瞳が反射する照明の光と、熱気が起こす空気の震えがあった。そんな、「過去」を洗い流すような幾つかの場面があり、一方で彼女たちが魅せてくれた「現在」は、感傷というものを抜きにして純粋に質の高い、エキサイティングで感動的なエンターテインメントの時間だった。

世界にはまだまだ多くの不自由や心配事があって、この先も彼女たちは自らの努力が及ばない理由で足踏みを強いられることがあるかも知れない。でも、大丈夫。間違いない。彼女たちはそれを乗り越え、僕の想像を軽々と超えるような姿を見せてくれる。この日、舞台の上で輝く@onefiveを見ていると、自然とそう思えた。それは確かに「未来」への希望だった。やっと会えたという嬉しさは、次に会えることへの期待と、その時には更に成長した彼女たちを見ることができるという確信に変わった。そこは到達点でも中継点でもなく出発の場所だった。その日はもう一つのスタートの日だった。

ライブの帰り道、日曜日の夜の人混みを歩きながら、僕は未来のスケールの大きさを思ってちょっぴり眩暈を覚えていた。

(2022年3月17日)

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