人の助けになりたい気持ちがどっかに飛んでいった。
最近の1番の変化としては、子どものころからあった「人の助けになりたい、役に立ちたい」という気持ちがどっかに飛んでいったこと(笑)。
実際は持病による体力のなさから、なかなかそうはいかず、どうにか立場のあるポジションから寄与する…という生存戦略をとってきました。
文字にすれば、人助け、役立つ…というといい感じに見えますが、あくまで自分探し中の意図なんで、なんだか自己中心的な願いだったと思うんですね。
だから、何がなんでも相手の中に悩みや困りごとがあってもらわなくてはこっちが困る🤣みたいな圧があったように思います。
いざ相手の悩みに向き合ったとしても、根本的な解決には至らず、気休めになるならまだしも、慰めマウントと被害者ハラスメントの応酬、正当化で焦土化するみたいな人間モード全開な状態になってました😂
なんか違うな!と思って、コーチングやスピリチュアルに流れて、自分の自己変化を追い、今に至ります。
散々、タロットやオラクルカードから
待つ、
好きなことをする、
自分を癒す、
と、言われ、ようやく慣れてきました。
自分の好きなことを気ままにやったら、
好きな仕事、向いてる仕事だけになった、
人間関係が激改善、
直感がきくようになった、
新たな趣味に目覚めた、
今までの苦労の成果を感じた、
という、数ヶ月前からは全く想像つかないことに。
さらに、自己肯定感ドン底から、自分が好きになれました。
これは、自分でいうのもなんですが奇跡(笑)。
長所が好きなんじゃなくて、短所が好きになれたのです。
奇跡(笑)。
たとえば、超飽き性なんですが、今まではそれが良くないと思って、あれやこれや工夫して一途にがんばるようにしてきましたが、今は超飽き性のまま生きてます。
それにより困ったことはゼロ!
飽き性であっても、一般的なレベルでやる切ることはしてるので、それにより日常生活は変わらなかったってことです。
先天的な飽き性は自主性につながり、後天的なやりぬく力は信用につながりました。
と、ありのままの自分を認めても、何も困らなかったのでどんどん楽になっていくわけで。
なんなら、前より人が集まってくるわけで。
自己否定からの完璧主義が、寄せ付けない雰囲気を出していたのですね。
そうこうしてるうちに、あんだけこだわっていた、人助け、役に立つのキーワードは出てこなくなりました。
自分の中で、人助け、役に立つは、ゴールじゃなくなりました。
「助けてほしい、助かった、役に立った」と判断するのは相手なんだから、私は気にしなくていい…。
と、腑に落ちたのですね。
ラク!(笑)
生きるのがラク!
自分が好きなことや得意なことに特化しているだけで、人からたくさん感謝されることを体感したら、取り立てて気にすることではない程度のことなのです。
カードのいう通りにした甲斐があった(笑)。
この調子で次への希望にチャレンジ中です。
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