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反対されたことがある立場で振り返ったお話

「私、新潟に行く!」。

25歳の頃、生まれ育った故郷を離れて新潟に引っ越すと決めたあの日。

「何でそんな田舎に行くの」「このまま地元にいた方が十分幸せになれるのに」「何言ってるの」「ほんとに生活していけるの?」…

交通面でも経済面でも便利で豊かな都会からわざわざ離れて(新潟の皆さん、すみません!)、何の保証もない状態でNPOを立ち上げるなんて本当に大丈夫なのか?って言われた。「おお、やるじゃん!」と賛成してくれる人もいたけれど少数派。むしろ引き留められたり心配する声が多かった。

確かに当時は聴覚障害者の高等教育を学ぶ環境について活動していた時期だったので、私の決断一つで関係者には迷惑をかけてしまった。その点は申し訳ないと今でも思う。いつも相談に乗ってくれた人からは「君の決断は受け入れられない」と真正面に言われ、その日以来ずっと今日まで連絡がつかないままでいる。どこかで見てくれているとは思いたいものの、当時の私は猪突猛進なところがあって「行くと決めたからには行く!」と頑固だった。

だから周囲の心配する声に耳を傾けようとは思わなかった(なんて生意気な奴なんでしょうね)。きっと心配する声に向き合う強さが足りなかったし、一度でもその声に引っ張られてしまうと後戻りできないような気がして怖かったから敢えて耳を塞いでいた(目を背けていた)。ただ漠然と、仕事がしやすい環境の中でバリバリ働いて生きたい!と思っていた。耳が聴こえないことでコミュニケーションに苦労する愚痴話を子供の時からたくさん聞かされていたので、そういう環境下で働く自分は想像ができなかったし、もっと色々なスキルを身につけて成長したい!という想いが強かったあまりに正統なルートを辿ることができず、道を踏み外してしまった。

そんな私だけれど、一緒にNPOを立ち上げた創立メンバーから「周りが反対するのは分かるよ。自分で決めた道でしょう、その道で結果を出すことが恩返しになるよ」と言われた。地元でいつもお世話になっていた人から「裏切り者」と言われて落ち込んでいた私にとってこの一言はとても、とても救われた。

まだ何も形になっていないところからスタートして13年になった今、20名前後のスタッフを雇用している(もちろん人の入れ替わりはあるし、帰ってきた創立メンバーもいる)。事業は綱渡りの状態からようやく軌道に乗ってきたけれどまだまだ課題も多いし、もっと改善すべきところも多い。どんなに頑張ってもなかなか思うようにいかなくて歯痒さを覚えることもある。

今日、創立メンバーからこう聞かれた。

「もし今の自分なら、どうしてた?」。

周りから反対されるって正直、メンタル面に響くよ。若さからくる頑固さはあったけれど、やっぱり考えれば考えるほど不安になるってば。安全な道を選んだ方がいいって決まってるの分かってるって。

私が答えたのは「たぶん、当時よりも今の方がもっと慎重になるだろうけど、、、きっと同じ選択をしていたと思う」。

自然に出てきた言葉に、自分でびっくりしてしまった。

これが今の私の正直な想いだし、新潟に来たことは後悔していない(でも雪のシーズンになるとめっちゃ落ち込む)。この先「あ、やっぱりダメだったわ」と思っても自分で自分を赦そうと思える。

なぜ、今更こういうことを書いたのかというと…

最近、私の目の前にいる何人かが一大決心したから。

相談というよりは、もう自分の中で決断を下している。

正直、「ああ、きっと周囲から反対されるだろうな」と思った。目の前にある分かりやすい幸せの形ならともかく、その世界をよく知らない人から見れば無謀なチャレンジのように見えてしまうので「世の中そんな甘くないぞ」「何言ってんの」「大丈夫なの?」「10年後のことを考えてみてよ」というネガティブなキーワードオンパレード!に巻き込まれるよ、キミ。

でも、大丈夫。

悩んで考えて考え尽くして出てきた「答え」を私は尊重したい(もちろん無計画だったり乱暴に突き進むのはNG)。だって、YouTuberのヒカキンもそうだったみたいだから。

青二才って言われたっていいじゃないか。失敗するよって言われたっていいじゃないか。

人生最大の失敗は「チャレンジしないこと」だから。

25歳の頃の私に、メンターが言っていた言葉を贈りましょう。「貫き通せ」。

私と一緒に貫き通していきましょう。

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