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偽札怪談『コンビニの幽霊』

偽札怪談『コンビニの幽霊』

これは事実とは全く関係のない嘘っぱちなんですが、最近、知り合いから妙な話を聞く機会がありました。幽霊がコンビニで偽札を出した話です。

まだ梅雨だというのに夏が思いがけず出張してきたような蒸し暑い夜の夜中の三時ごろ、コンビニ店長が自らシフトをこなしていると、一人の女がやってきました。白い服の、髪の長い女で、前に垂らした髪で顔かたちが隠れていました。
自動ドアが開くと、女はするするする……と店内に入ってきませんでした。入り口で立ち止まったのです。そのままずっと立ち止まる。自動ドアが閉まりません。光につられて虫がびゅんびゅん飛び込んできます。クーラーの冷気もどんどん逃げていきます。
迷惑だなあと店長は思いました。何しに来たのか知らないけど、さっさと済ませてくれないかな。
店長がそんな風に思って見つめていても、女はぜんぜん動きません。
一分ほどもそうしていたでしょうか。
たまりかねた店長が「何かご用ですか」と女の前に立ちふさがりました。けれど女は一顧だにしません。店長を苛立たしげに押しのけようとしました。
店長は体格が良かった一方、女は背こそ高いものの薄っぺらくて風にとばされそうな弱弱しい体つき。普通なら、店長は押しのけられたりしません。しかし、店長は押されてあとずさりました。女の妙に白い手がえらく冷たかったのです。
自動ドアが閉まりました。
気が付くと、女はコピー機の読み取り部分のふたを開けるところでした。
女はふたをあけながら、反対側の手をくちもとにやり、店長からは死角になる位置で何かをしました。
すると不思議なことに、お金を入れた様子もないのに、コピー機が動き始めました。
ぴー。がしゃん。
コピー機が一枚の紙を吐き出しました。
女は目にもとまらぬ速さでその紙をつかみ、今度はお菓子コーナーへ移動しました。グミか何かをひっつかみ、レジへやってくると、女はコピーした紙をレジに置きました。
かなり変とはいえ、曲がりなりにも客です。店長はレジに入り、女が置いた紙に視線を落としました。
A4の紙の真ん中に、白黒の一万円札が斜めに写っていました。
一万円札をA4の用紙設定でコピーしようとすればこうなるでしょう。世界一ヘタクソな偽札です。
店長はびっくりして会計を断りました。
お客さん、困りますよ。まともなお金ないんですか。
女の顔は前髪にさえぎられてまったく見えません。顔の全面にすだれよろしく垂れ下がる髪が、ふっと内側からふっと揺れました。
お金がないから作りましたよ。
ああこれ、女がしゃべったんだ。店長がそう気づくまでに数秒要したそうです。その声は低くて、こもっていて、口の中にボールでも突っ込んでいるみたいな不明瞭さです。
え、え?なんですって?
おかねがないからつくりました。
ぼぇ。レジの商品台に何かべとべとしたものが落ちました。
それは丸めた紙でした。透明のねとねとした液体にまみれた紙は茶色いような黄色いような黄緑が勝っているような色をしていました。
店長が思わずのけぞると、女はその紙をとりあげ、指で伸ばして広げて、店長にほら、と見せました。
それは一万円札でした。くしゃくしゃに丸まった一万円札を、女はまるでつまらないもののようにぽいと投げ出しました。お札は床に落ちて店長の視界から消えました。その時にはべちゃっという音が聞こえました。一万円札にまとわりついたべとべとが床に落ちたというには、液体の量が多そうな、重い音だったそうです。
店長は女から目が離せなくなっていました。
おかねがないならつくればいいんですよ。
女の口元からまたぼべぇ、と丸めた一万円札が落ちました。ぼべぇ、ぼべ、ぼべぇ。ぼっぼっぼっぼぼぼぼぼぼぼぼ。丸められ、よだれにまみれた一万円札がどんどん商品台の上で山になっていきました。
よだれってこんな臭うんだと店長は思い、それで金縛りがとけました。
バカ野郎。店長は怒鳴りました。
すると女が消えました。
店長が気が付くと、自動ドアが閉まるところだったそうです。
店長はあわてて外へ飛び出し、するとタクシーが急発進していきました。
店の駐車場でタクシーが休んでいることはよくあることです。きっと、女はタクシーで逃げたのでしょう。店長は地団太を踏みました。
そのあと、店長は店内へ戻りました。よだれのつんとくる臭いだけは間違いなく残っていました。
店長は思い立ってコピー機を確かめました。
案の定、よだれまみれの一万円札が挟まっていました。
店長はその一万円札を丁寧に拭き、乾かして銀行に入金したそうです。何と言ってもお金はお金、捨てるのはもったいないですから。
そのお金はどうなったことでしょう。
ひょっとすると、いまごろ、誰かの財布に入ってるかもしれませんね。


こええ話だよなあと店長は締めくくりました。
全くですよ店長、サイダーをレジに出しながら私は震えました。誰かの財布に入ってるかもしれませんね、じゃないんですよ。
だってしょうがないじゃん、お金は捨てられないよ。もったいないでしょ。
私がセミセルフで会計を済ませる間、店長はもったいないもったいないと繰り返していました。その毛虫のようにぶっとい眉毛がいつもより頻繁にうねっていて、ひょっとして俺今日死ぬのかなーと内心ひやひやしていると、店長は急ににかっと笑いました。
それよりさ、俺の話どうよ。
めちゃくちゃ怖いですよ。
だろう。
店長は気をよくしたように顎をなでました。店長の顎はそれを使って薪が割れそうな代物です。もっとほめるに越したことはないと私は思いました。こういうところの判断が案外生死をわけるものです。
また語りが上手いっすね。真に迫ってましたよ。いやあ俺じゃなくて店長が書いたらいいんじゃないすか、ホラー小説。
昨日の話なんだ。
妙な空気が流れました。
え、マジあったんですか。
そうだ。店長の眉がうねりました。疑う気か?
滅相もない。ただただ意外で。
もともと、店長は怪談なんか好んで話すタイプではありません。身長2メートル超、横幅も同じぐらい。コンクリートみたいな筋肉の持ち主で、中学生のときにヘルメットを手刀でたたき割ったとか、そのヘルメットは警察官がかぶってるまさにその時にやったとか、ひそかに二人殺して海に捨ててるとかの恐ろしい逸話があるんだよ、と言われても納得できそうな貫禄のある男性です。
その店長の口からこんな幽霊話が出てくる、それも体験談となると、これは興味を引く取り合わせです。
その話、書いていいですか。
いいよー。
やった。
私がホラー小説を書いていること、怪談収集をやってみたいことなどはあらかじめ話してありました。正確には「お前もぷらぷらしてないでうちの店で働いたら?」とのありがたいお誘いを角を立てずに断る口実として、いまホラーを書こうとしてるからネタをくれ、と言ってあったのです。
おもわぬかたちで実を結んで私はほくほくでした。
いやあ面白かったです。じゃあ私はこれで。
買い物も済んだし、長居するのも何だからとさっさと、明るいコンビニから夜の中へ帰ろうとしました。
すると、店長が丸太のような腕を私の肩に掛けました。
まだ付き合えよ。
夜中ですけど。
お前にやってほしいことがある。
店長にそう言われてはそうそう逆らえるものではございません。私はサイダーのふたをあけ、ぐびっと飲んで「伺いましょう」といったのでした。

店長が私にみせたのはコピー機でした。
これが例の?
例の。
交換とかしないんすか。
いくらかかるか知らないだろ。おまえの年収より高いぞ。
ガハハハそれは言わない約束でしょうよ。そうじゃなくて、コピー機がおかしかったって話はないですかね。だって。
それはそうなんだよな。店長がうなずきました。コピーなんかできるわけがない。
コピー機で一万円札をコピーしようとすると様々な出来事が起きます。その多くは、コピーしようとした人にとって都合の悪いものです。一万円札に限らず日本銀行券にはユーリオンというリングのような模様が入っており、コピー機は必ずそれに気づきます。そして、偽札をコピーさせられようとしていることに気づいたコピー機は警報を鳴らし、ネットワークでつながっている管理会社と警察の両方へ連絡しながら、自分をシャットダウンします。
お金が手に入ることなどないのは当然として、A4用紙のどまんなかに一万円札が写っているような印刷物が出てくるはずもないのです。その前の段階で機械が停止するはずですから。
だというのに。
はいこれ。
うわあ。やばあ。
店長が出してきたのは例の一万円札のコピーでした。女がコピーしたものです。店長の言っていたよだれの臭いがしました。
これで買い物する胆力は認めてもいいですね。
ありえねえ。店長の毛虫みたいな眉毛がうねりました。こんなこと許しちゃおけねえ。俺の店で、俺の店でこんなマネしやがって。
バカな女ですよね。
女を連れてこい、店長が私に命令しました。
え、俺がですか。
そうだ。
店長は静かに怒っていました。珍しいことでした。ふつう店長は怒ったりしません。ただ名前を呼ぶだけです。店長が名前を呼んだ人間は二週間以内に死にます。私は信じるまで二人かかりました。一人は私が店長を試したせいで、もう一人はそんな私を罰するために死んだのです。
幽霊なんかいない。いてたまるか。
店長の眉毛はいまやそこだけ地震が来てるみたいになっていました。
確かに幽霊が実在したらあなたは困ったことになりますもんね、と店長に言ってやってもよかったのですが、賢慮の徳が止めました。
にしても何で俺が。いや、まあ、やりますよ。やらせていただきますよ。どうせひまですしね。でも、難しくないですか。何で俺なんですか。
文句あるのか?
そうじゃなくて、一人じゃ無理ですよ。どこに行ったかもわからないし。あと足がいるでしょ。俺は車ないんですから。
地方は車社会です。そして、病気があるわけでも老齢で免許を返納したわけでもないのに自分の車を持たない成人男性の珍しさといったら、外出時にズボンをはいていない成人男性とどっこいどっこいです。
大丈夫だ。タクシーを確保してある。
えっそれって。
店長は店内で雑誌に顔を埋めていた男を連れてきました。タクシー運転手の制服を着た70代ほどの男性でした。片足を悪くしているのか引きずっていて、知人が二人ばかり相次いで死んだような顔をしていました。
こいつが女の家を知ってる。そこまで送ったそうだ。
運転手が暗い顔でうなずきました。
こいつと行って、女の名前を聞き出してこいと店長は言い渡しました。
そいつにやらせたらどうです?と私はタクシー運転手にあごをしゃくりました。
こいつは働いてる。お前とは違う。
店長の言葉に、運転手ががくがくうなずきました。確かにそうだなと私も思いました。二言目には直木賞をとると口にしながら、実際には一文字も書かず朝からビール飲んでる日が一週間に三日もある私がここは行くべきだろうと思いました。取材にもなるし、今すぐコンビニで働けと言われるよりましです。
ただ、最後に、どうしても店長に確認しておきたい点がありました。
本物の幽霊だったら?名前なんかないかも
その時はお前の番だ。
なるほどね。
そこで私は意気揚々とタクシー運転手の車に乗り込んで、冒険の旅に出発したのでした。

タクシーによる冒険の旅は十分ほどで終わりました。
タクシー運転手は自分が見た女の幽霊について一切話してくれませんでした。協力しない場合に店長が何をするか、という方面に注意を向けてみたのですが、女を乗せた場所へ連れて行くの一点張り。下ろした場所じゃないんですか、と聞くと「いつのまにかいなくなってた」とぽろっとこぼして、この運転手のじじいからも怪談聞けそうだなとおもいましたが雰囲気がそれを許さず、気が付くとその家の前でタクシーのドアが開いていました。
降りると、そこは山の影になるような薄暗い場所でした。長年住んだ地元ですが、まだまだ分からない場所があります。通いなれた道を一本入ると、そこはいわば地図の上で黒い雲に覆われた場所、なんにもわからないのです。
ここもまた、少し行けばJRの線路がある場所でした。
夜ですから当然暗い。それにしても、周りに民家もなく、道路は砂利で、こんな場所があったのかと思いました。
あの家だ。タクシー運転手が私を追い立てるようにいいました。
家と言うよりプレハブを重ねた小屋といった趣でした。白いトタンの壁が、持ってきた懐中電灯の明かりの中に浮かび上がっていました。
私はタクシーを降りました。するとタクシー運転手がわざわざ降りて、よたよたと私に詰め寄ってきました。
おい、あんた。金、金払え。
え、金取るんですか。
タダで乗せるわけないだろ。ほら、さっさと行ってこい。あの家だ。
どうしようもなく払いました。
運転手はよたよた車に戻り、あっというまにタクシーは私を置いて行ってしまいました。
地方は車社会なので帰る足がありません。取り残された格好です。
しかたなく、プレハブへ向かいました。

プレハブ二階建ての家のドアはあっさり開きました。
玄関先に靴ベラが三本おちていたことを除けば、家の中はほとんど家具らしい家具もなくがらんとしていました。
女は一番奥の部屋にいました。結構前からそこにいたものと見えて、もとは白かったであろうワンピースは真っ黒になり、首は折れ、関節の曲がった人形みたいになっていました。腐敗臭はほとんどしませんでした。哀れなほど細い手足がぬらぬらと白く、捨てられたマネキンみたいでした。
女の横にはベビーベッドがありました。中にはゴミ袋が寝かされていました。ゴミ袋に札束が詰め込んであったらいただこうかと思いましたが、どうも中身はティッシュペーパーのようでした。
あるいは、この女は、赤ん坊のためにお菓子を買ってあげようとしたのかもしれません。赤ん坊のために飴を買おうとした幽霊が出る、そういう怪談があるのです。
私はしばらく女を懐中電灯の光を浴びせました。
なにか起こるかと思いましたが、何も起こりませんでした。
私はプレハブの外にでて、迷った末に警察を呼びました。女の死体を見つけたことは間違いなかったからです。

結論から言うと、女は死んでいたわけではありませんでした。ただのマネキンだったのです。
そのことで、駆けつけてきた警察官にはずいぶん嫌みを言われました。ホラー作家だかなんだか知りませんけどいい大人がいたずらだの不法侵入だのやめてくださいよと説教されました。この夜の一番怖い体験がこれでした。
パトカーはあっという間に走り去り、帰りに乗せて行ってもらう計画はおじゃんになりました。これには閉口しました。地元は車社会なのです。
仕方なく夜の道、山からぬるい風が吹いてくる狭い道を歩いて帰りました。
これが怪談なら、帰り道、女の幽霊に行き会うはずです。でも、出ませんでした。物事はそう上手くはいかないものです。
ただ、真っ暗な道をぼんやり歩いて、今夜の冒険を思い返しているうちに、一つおかしなことに気づきました。
店長はどうして、幽霊だなんて言ったんでしょう。言ってみれば、ただの女の化け物と呼んでもよかったのに。
化け物と幽霊の違いって何でしょう。

翌日の朝、ビールとバナナを買いながら店長に報告すると「ならいい」とあっさり許してくれました。それじゃ、と帰る間際に、店長に昨夜の疑問をぶつけてみました。
幽霊も化け物も一緒だろ。店長は取り合おうとしませんでした。
店長の言う通りです。幽霊も化け物も、興味のない人からみれば一緒です。
ただ、どうしても考えてしまうのです。店長は、女の顔に見覚えがあったんじゃないか。女が死んでると知っていたから、幽霊だと思ったんじゃないかと。
幽霊が実在して一番困るのは、名前を呼べばそれだけで人を殺せる、店長のような人物のはずです。
あほか。
私の憶測を店長は鼻で笑いました。そうして急にがしっと肩をつかんできたので最期にビール飲みたいと訴えましたが、店長が言ったのは別のことでした。
ちゃんと書けよ。書いて発表しろよ。じゃないと誰も読まねえぞ。何で書かないんだ小説家としてのskill issueでもあるのか。ああ?
実に店長の言う通りだったので、こうして書いて発表させていただきました。店長、これで勘弁してください。この話はフィクションであり、登場する人物・団体・地名・出来事、とにかくすべては架空のものです。

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