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人生第3シーズンの幕開け!挑戦の舞台は「都市」「地方」「郊外」の3拠点

大学を出ていないというコンプレックスから始まった

「あと2点、内申点が良かったら行けたんだけどな」
高校の教師に言われた言葉を今でも覚えている。これは3年生の進路相談の時に、1席だけあった横浜国立大学の経営学部の進学の推薦枠の話。

祖父母に愛情いっぱいに育てられた恵まれた家庭ではあったが、金銭面はそれほど裕福ではなかったので大学に行くなら国立しかないように思えたのだけれども、この言葉でポッキリ折れてしまった。。
でも、大学に行った先輩の話では合コンや遊びに明け暮れているらしいと聞いていたし、自分自身も行ってその後どうするというビジョンが明確じゃなかった。高校生で見える世界なんてたかが知れていて、想像できない不確実なことにお金を使うのがただもったいなかっただけかもしれない。
大好きなサッカーは続けたいが自立はしたい、祖父母を安心させたいという思いと、東京に出てみたいという事が決め手で迷った挙句に一番安パイの自衛隊への就職を決めた。

結局、大学に行きたいなと本気で思えたのは23歳で無職(フリーター)になってしまった時だった。人生つまづいてからじゃ遅い、いや、そう言っても誰も助けてくれない。だったら大学出ている人よりも何倍も働いて自分の道を自分で切り拓いていこう。
そうやってガムシャラに走る中でいつも大事にしてきたのは「昨日の自分よりも今日は1つ進歩しよう」だった。
そうやってヘッポコ営業マンから出直して、2021年の37歳を迎える年にやっと自立(独立)をする事が出来た。
あまり自分語りをするつもりはなかったのだけれど、ちょうど大きな節目のタイミングでもありお世話になった方々へのお礼でもあり、自分の中での次のステップへの決心として書き残しておきたいと思った。

生い立ちをちょっとだけ

生まれは青森県上北町(現 東北町)。当時の人口は1万人ほど。
信号機が3つしかない田舎ではあるが、出で湯の里と呼ばれるくらい街中に銭湯感覚で数百円で利用出来る温泉があり、桜の季節には千本桜といって自宅近くの川沿いには桜が満開になる。のどかで素敵な本当に大好きな街。

兄弟は5人いるけど、一緒に暮らしたことはなくて、
祖父母に育てられてサッカーボールを朝昼晩と蹴っているそんな幼少期を過ごした。

高校卒業後は航空自衛官として上京して埼玉の入間基地で約6年を過ごし、その後FPを取得して生命保険の営業マンになり「営業を極めるぞ!」と意気込んで商人の街 大阪に乗り込むもバッキバキに心折られて東京へトンボ帰り、親父の家に居候しながらフリーターで社会復帰、よりにもよって2009年(24歳)リーマンショック真っ只中に不動産(オフィス賃貸)業界へと至る。

よく波瀾万丈って言われたり、性格とノリが吉田松陰に似ているって揶揄されるけれども、本人的にはよくぞ生きてこれたなって思うくらい下手くそで、たくさんの出会いで助けてもらったから今の自分があるのだなと思います。よく祖母が言っていた「生かしてもらっている」という言葉をこの歳になってしみじみ噛み締めているのでもあって、いやあ本当に感謝しかないのです。

と、出会いのことを書き出すとあと記事2つくらい書けちゃってしんみりするので(笑)、まあ人生一回しかないから後悔せずに思いっきり生きよう!と振り切ってこれたっていうことで締めくくって話は続きます。

結婚も、転職も、起業も、全てはタイミングと縁だなと

よく「なんで●●したんですか?」「キッカケってなんだったんですか?」って聞かれるし、自分も質問する事が多いけれど、
「ん〜まあ色々タイミングと縁が重なったからですかね」
っていう答えあるじゃないですか。
トリガーって1つだけじゃなくて要因が幾つも重なってある瞬間に"カチッ"とスイッチが入るもんだなと思っていて、今回の自分自身の挑戦についてもまさにそんな感じだった。

前職のヒトカラメディアではオフィス再生事業のチームリーダーを務めていて、やりがいもまだやれそうなこともあった。けれど上京してきて18年。
ちょうど故郷で過ごした時間と一緒になり、不動産業では12年。
これもちょうど義務教育の期間とおんなじかぁ。
「まあ基本は習得したから卒業して大学に行けじゃないけど、自分の道を歩めってことかもな。」
そう考えていた矢先にコロナが来て、そこで行政の創業支援施設の改修案件から運営とコミュマネをやりませんか?という話に発展して・・・パズルのピースがどんどんハマっていくように、歯車が1つずつゆっくりと回り出すような感覚で、「ああここかもな」っていう。
よしじゃあっていうことで起業しようって決めて次に取り組むテーマを改めて考えてみることにしました。

突然降ってきた"問い"

今までの12年間では主にオフィスビルという"ハード"をあれやこれやして事業にする仕事をしてきた。
オフィス仲介、貸し会議室、レンタルオフィス、オフィスビルリノベーション
その中で新規事業の立ち上げや、企画作りやプロジェクトマネジメント的なことも経験させてもらった。
仕事としてはそれぞれちゃんとこなしてきたけれど、自分が手がけたオフィスを活用している人たちは今どうなっているのだろう?
そう考えたら、ふいにある言葉が頭をよぎった。

「何のためにその仕事をしているのか?」

施主の利益のため?
自分たちの会社の利益のため?
それも大事だけれども、自分がその仕事を通じて成し遂げたい、世の中に対して影響を与えたいことってなんだろう?

オフィスビルリノベーション事業では
「住みたいと思える不動産と住んで良かった不動産は必ずしも合致しないと言われる。そのギャップを極力なくすのが良いオフィスだ」
というのを考えてやっていたけれど、そもそも不動産って住宅や店舗、倉庫などバリエーションは沢山ある中で、オフィスだけの企画では限界がある。

それから色々事例を調べたり、友人知人に話を聞いて実際に気になったことやものを見に行くなかで、街の不動産屋としてオーナーさんと連携して街を魅力的にする取り組みを進めている事案に出くわす。
その1つが溝の口のエヌアセットさんで、そのワクワク広報室の松田さんの言葉に衝撃を受けた。

「街の不動産屋ってただ単に物件の売り買いや賃貸の斡旋をする仕事ではなくて、街のコミュニケーションハブとなってそこに住む街と人を繋いで一緒に創っていく仕事だと思うんです」

ああ、これだ。
今まで縁あって不動産事業で経験を積ませてもらった自分が、それを昇華させて社会に影響を与えて自分自身も満足出来るライフワークはこれしかない。これなら人生を賭けてやれるかどうか、チャレンジするならこれぐらいがいい。

【飯能でのペンキ塗りの一コマ】

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都市か地方か、地方か郊外か、2項対立じゃない共存共生モデルを作れないか

今でも大好きなんだけれど、今は若い人が少なくなった故郷 上北町もそうだし、人の繋がりで好きになった郊外 飯能、コミュマネを務める品川の西大井の創業支援施設がある街もシャッター商店街がある。

色々な事例を見る中で、街の魅力ってなんだろう?と考えた時に、商店街が人で賑わっているとか、美味しいお店があるとか、色々あるけれど、仮説として「新しいチャレンジが生み出し続けられている」事があるのかなと感じた。
それは世代問わず、日常をちょっとアップデートするようなものでもいい。
自分はジョン・デューイの考え方が好きで、「人は生まれながらに創造出来る能力を持っている」と。
そのため、肝心なのはその人自身が心を揺さぶられるような感動や衝動、それをやりたくてたまらなくなる熱意だという。
内発的動機ともいうそれが原動力となって、それが社会の誰かの役に立つことでもあって、そのプロセスを通じて自分が自己実現出来る。それが一番の理想かなと思う。

だから、自分はそう人たちを支援しつつ、それを自分の自己実現の手段と定義することにした。
まちの不動産屋というポジションで、人と人を繋いで街をみんなで魅力あるものにしていく。

例えば、「野田おじさん、ぼく小学校の工作で優秀賞取ったんだよ!」
っていう近所の子供が、例えば義足を新開発して足が不自由だった人の夢を叶える。みたいな夢が連鎖していく事のお手伝いが間接的にでも出来るような環境を作れたらさぞ嬉しかろうと思う。


それを成し遂げるために肝心なのは、どこでやるか?だが、それを都市・郊外・地方の3拠点で手掛けたいと考えた。
普通ならどこか1つに拠点を置き、じっくり腰を据えて展開していくのがいいのだろう。
ただ、都会の西大井については創業支援施設でその新しいチャレンジが生まれるポジションを取れていて、郊外の飯能ではワカモノコミュニティを立ち上げて人の繋がりから新しいチャレンジが生まれ初めてもいる。
そうしたら地方の福井や青森でも事業が出来そうな話もある。
全部同時並行で進んでしまっている。しかも、連携したら今までにはない面白いプロジェクトが出来そうでもある。
この3拠点を行き来する中で、それぞれが課題と捉えているもの、強みやそこでしかないものはお互いに補完しあって新たな付加価値の提供が出来ないか。とも妄想がふくらんできた。

今やインターネットが繋がって物理的な距離もある程度補完出来る時代になった。1人くらいそういう3拠点を越境して事業展開をするやつがいたって面白いじゃないか。
全ての場所について、”半ナカ・半ソト のモノ”として関わることで見えてくる観点やならではのアプローチもあるだろう。

今はそうやって新しい事業やプロジェクトのタネを育てている状態だ。
この仕事を通じて、自分もこれまでの数々の恩師にそうしてもらったように若い人たちを育成して各地に人材輩出できるような組織を作る。そう決めて動き出している。

その手始めとして立ち上げたのは、
個人屋号であるPointFive

大好きなデザイナーのトンネルデザインの仲野さんに相談して出来た屋号で、
「不動産×企画でヒトとマチの新たな0.5歩を応援する」をビジョンとして1歩踏み出す前の"0.5歩のデザイン"にポイントを置いたプロジェクトに取り組んでいます。

第3シーズンも相変わらずに全力で走っていきます。
今までお世話になったみなさま、これからもどうぞよろしくお願いします!

2021年10月17日 吉日

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