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あるお婆様の話の不思議②

こんにちは🍀
ほっこりnoter はる之助です😊🌈🍀

今回は先日書いた記事のあるお婆様の話の不思議その②です。

お婆様に話しかけられる前日、僕はホテルのテレビで武田信玄に関わる番組を見ていました。お婆様から、うちは武田信玄の末裔でと言われたときに、あっと思ったのが、

「盾無しの鎧」でした。
小桜韋威鎧兜、大袖付(こざくらがわおどしよろい かぶと、おおそでつき)

小桜韋威鎧兜、大袖付
この鎧は甲斐源氏の始祖新羅三郎義光以来、武田氏の重宝として相伝され「楯無」と号し、信玄の時に甲府の鬼門鎮護のため塩山の上於曽村菅田天神社に納め一門の於曽氏をして監せしめた。武田氏滅亡の際、家臣田辺左衛門尉がこれを向嶽寺の大杉の下に埋めたが、家康が掘出し、再び同社に納めしめた。
山梨県ホームページより
御旗(みはた)と呼ばれる義光から受け継いだ日章旗と対になっている。御旗は甲州市塩山上萩原の雲峰寺に所蔵されている。
Wikipedia

この鎧は、源氏八領のうちのひとつで、現存するのはこの盾無しの鎧のみ。

源氏八領とは、軍記物語「保元物語」や「平治物語」に源氏の重要な宝として登場する8つの鎧のことです。
そのうち7つは保元の乱、平治の乱で失われたそうです。

戦国大名となった武田氏の家中で神格視され、御旗楯無に対して「御旗楯無も御照覧あれ」と誓い出陣したと言われます。
武田信玄は楯無鎧を甲府の鬼門の位置にあたる菅田天神社に納め、武田氏の一族である於曽氏が管理し必要に応じて持ち出されたりしたそうです。

「御旗楯無も御照覧あれ」とは、
武田家では、重大な決定を下す時に、当主が家宝の御旗・楯無に誓約するときに発するもので、もしこの言葉が発せられれば、誰も覆すことも、反対することも許されない。それほど堅い絆で結ばれていて、裏切りも許さない。という意味です。

現在、この盾無の鎧は原則一般公開はされておらず、公開のタイミングも未定とのことです。

菅田天神社(かんだてんじんじゃ)

素盞嗚尊スサノオノミコト、五男三女神、菅原道真 をお祀りしています。
塩山市(えんざん)にあり、この神社周辺にはほかにも古刹となる寺も多いです。
国宝の鎧がある神社ではありますが、駐車場がないので、塩山駅近くのコインパーキングに停めて歩く感じでしょうか🍀😊

お婆様のひとことは、武田家に関わる話を見ていた翌日だったので、なんだか不思議な気持ちになりました🌈
菅田天神社へは、プライベートで訪れた際にはお参りをしてみたいなと思います。


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