番外編:高校生日記

こんばんわ、すきっぱあけっぱです。3月9日に卒業しました。なので3年間を振り返ろうと思います。

高1編

高1の時は、めちゃくちゃコロナ禍でした。入学式で顔合わせして6月までクラスの子達に会えなかったり、リモートで授業だったり、課題が送られてきたりのスタートでした。私自身、コロナ禍がめっちゃストレスで、話せなくなり、教室に上がれず、1人で自習をしていました。授業もほぼ出席しなかった気がします。あの時の担任の先生は大変だったろうなとか思いつつ、周りの優しさに救われていました。この時期に留年スレスレになったけど、無事進級していました。
ちなみに、この時の私はめっちゃラジオ聴いてました。笑

高2編

高2はなんだかんだ頑張っていました。授業には出て、先生と話したりしていました。
ただ、英語のレベルクラスの子達と全くうまくいけず、レベルクラスにはほぼ出席していませんでした。休んでは出席しての繰り返しでしたが、ネイティブの先生たちが優しく支えてくれたので、なんとかやりきっていました。仲良い子は特にいなかったし、どの部分を切っても辛かったような気がします。
この時期に、某台湾塾に通い出し、中国語を習い始めました。周りの先生たちが「中国語教えてよ」と言ってくれたり、私に興味を持ってくれました。1番仲良かったイギリス人の先生に急に中国語で話しかけられたりとちょっと戸惑ったりしたけど、楽しかったです。塾の環境には感謝してるけど、塾長がめちゃくちゃ嫌いなのでなんとも言えんけど…笑

高3編

高3の時のクラスは、だいぶ荒れていました。元々仲良いところに放り込まれてた感がすごかったので、全く上手くできませんでした。唯一仲の良かった子が不登校になり、3年は中立として冷静に見れていたのかなと思います。
先生たちには「まともな奴が誰1人いないから、〇〇(本名)頑張って」と言われていました。頑張るも何もで、先生たちには「1番生きるの下手よね」といじられたりしていました。今考えたらその件がないんだなと思うとめちゃ寂しいです。唯一仲良くしてた子の不登校、文句垂れ流しのクラスメートの間に挟まれた1年間は思っていた以上に苦痛で、しんどかったことを覚えています。でも、卒業まで1ヶ月くらいで、やっと私もクラスのこと話すことができるようになって、嫌いだったけれども、意見を言えるところや誰とでも仲良くなれるところはずっと尊敬していたし、今考えてもアホなことしてるのを見たり、騒いでるところを見たりすると、このクラスが1番充実していたのかなと思いました。

卒業…

3月9日に卒業しました。
高校生活の幕を閉じました。
卒業式記念会らしきもので、私はスピーチをしました。
その中で送った言葉は、最近ハマってた某修羅の国YouTuberが高2の時停学になった時の話で、とてもいい言葉だったのを紹介します。
「現実とは理想の上書きであり、その殆どが下書き通りにいかないが、上書きで新しい絵を描くことができる」そんな言葉を送りました。
めちゃくちゃお世話になった先生を泣かせる目標で、スピーチに立候補したのですが、しっかり泣かすことができました。笑笑
私はこの3年間、クソほど苦労しました。敏感で繊細で口下手で不器用で、生きること自体に向いてない人間が、色んな個性を認め合う高校に
入学しました。
1年の時、本気で辞めようと何度も考えて、先生たちにも「卒業する前に中退すると思うって、〇〇(本名)を見てた先生たちがみんな思ってた」とよく言われていました。
でも、諦めずに卒業できて良かったと思っています。
個性的なクラスの子達と、いつでも私を見守ってくれた両親や先生たちには感謝してます。どこを切り取っても楽な時期は決してなかったです。ただ、持ち前の根性でなんとか乗り越えたと思います。
この高校に入学できてよかったです。
これからいろんな大変なことがあると思うけれど頑張っていこうと思います。

以上で高校生日記を締めようと思います。
3年間お疲れ様でした。私。

また更新します。
to be continued episode 7

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?