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chori

私がインターネットに触れた2000年前後からchoriの名は知っていた。
なんだかネットの詩の界隈では有名で、ネットの詩の賞を掻っ攫っている若者だという。
裏千家のお坊ちゃんでネット外でも知られているらしい。
詩を読んでみたら、まあ若いわりには書けている方かな、くらいの印象しかなかった。
私は基本的に天邪鬼なので、名のある人間はコケにするし、イジってしまうクセがある。
彼も例外ではなく、いろんなところでおちょくっていた。
詩はヘタでも七光りがあれば評価されるんだねえ、とか、若いだけで持ち上げられてたいへんだ、とか、好き放題言っていた。
あとから聞くと当時10代だった彼はひどく傷ついていたらしい。ごめんなさい。
そんな感じて若干疎ましく思いながらも、それほど熱心に彼を追うことはなく、私は相変わらずネットのあちこちで喧嘩をしては怒られていた。
そして彼のことは忘れていった。
その私が彼を再び意識する出来事が起きた。
詩学最優秀新人賞に彼が選ばれたという。
同時受賞のクロラとともに、たぶん詩学の歴史の中でも最年少だろう。
普段あまり詩の雑誌など読まない私だが、ネットで話題になっていたので嫌でも目に入ってくる。
私はクロラとchoriの詩を面白いと思ったことがなかったので、選者は審美眼がないとかただの話題作作りだなどとこき下ろしていたような気がする。
choriの詩集が出たとき新宿の紀伊国屋で読んで、やっぱりつまらないと思った。
まあ、詩に限らず、単純な出来不出来や才能のあるなしで作品が評価されるということはないので、そのうち忘れていった。
その彼とリアルで会うことになったのは、ウエノポエトリカンジャム3というイベントでのことだ。
ウエノポエトリカンジャムとは上野水上音楽堂で行われるポエトリーリーディングの大きな祭典だ。
当時私は主催の馬野ミキと同じ職場で働いていたので、いろいろと相談にのったり、スタッフとして協力をしたりといろいろあったのだが、長くなるので割愛する。
とにかく大きなイベントがあって、全国から人が集まるという。
東京にいるとあまり意識しないが、もちろんどこにでも詩人がいてそれぞれの場所で頑張っている。
その中に京都のプリンスとしてchoriがいた。
イベント当日はスタッフとして忙しく動いていたので、出演者のパフォーマンスはほとんど観れなかった。
choriもたぶんなにかやっていただろうが、もちろん観ていない。
その彼と直接会ったのはイベントの打ち上げの場だ。
私は若く、気性の荒い野良犬のような人間だったので、開口一番、
「俺はお前のことが嫌いだ」
と言った。
choriは一瞬固まったあと、
「僕は誰のことも嫌いになりません」
と返してきた。
その後のことはよく憶えていない。

それから長い年月が流れる。

Twitter(現X)にスペースという音声チャットのような機能があって、私はそこに入り浸っていた。
そこにひょっこりと昔懐かしい名を見つけた。
choriだ。
二十年ぶりくらいだろうか。
最初は昔イジっていたこともあって、若干居心地が悪かったが、話してみるとそこいらにいる気さくなあんちゃんという感じだった。
そこから急速に仲良くなった。
昔は私のことを怖い人だと思っていただとか、イジメられてツラかったとか言われて、そこまでやってたかなあとバツの悪い思いをした。
スペースにはいろんな人が来る。
choriは誰とでも話し、楽しそうにしていた。
ただ彼は仕切りたがりやなところがあって、ひとりで長々喋る人に割ときつく注意していた。
が、彼自身話が盛り上がると周りのことを気にせず喋り散らかすので、一部から鬱陶しがられてもいた。
私は彼とよく詩の話をした。
初学者に、詩を書くのは泳ぐようなもので、一度書き方を憶えたらあとは手が勝手に動くようになる、とか偉そうに語っていた。
彼は勢いで書く、とも言っていた。
瞬発力で書いて、推敲はしない。
書き上げたらすぐ次に向かう。
私も半分くらいはそのように書くので、案外近い感性を持っているのかもしれない。
私から見て、彼は実際に書き捨て、読み捨てられることに自覚的だったように思う。
完成度や一つの作品についてのこだわりというものを持たない。
このことは抒情詩の惑星にも書いた。
このスピード感は、まさしくインターネットで詩を書き始めた人間の持つ特性だろう。
彼はポエトリーリーディングなどの物理的パフォーマンスも積極的にやっていた。
テキストというものに重きを置かず、やれることはなんでもやる、という人間だった。
私は彼のパフォーマンスを褒めたことはない。
誰かが(平居さんだったろうか)ポエトリーリーディングは詩がいいか声がいいか顔がいいかで決まると言っていた。
choriはそのどれもが及第点という感じだ。
それは彼も理解していたように思う。
口ではイケメンの天才とうそぶいていたが、いつもどこか自信がなさそうだった。
大口を叩いていたのは、必死で自分を鼓舞していたからではないだろうか。
詩を読み捨てられることを感じていたように、パフォーマンスも消えていくもののように思っていたのかもしれない。

choriはイベンターというのかブッカーというのか、裏方もよくやっていた。
私は東北に住んでいるのでよく知らなかったが、京都で小さなイベントを毎月やっているらしい。
ポエトリーナイトフライト。
そこになぜかスペースで知り合った私と親しい人妻がゲストとして呼ばれることになった。
意味がわからない。
私は人妻が京都に行くというので、羨ましいなあ私も行きたいなあとボヤいていた。
そうしたらchoriは旅費の半分を出すから来いという。
マジか。
勢いで行くことになった。
私はテキスト至上主義なのであまり朗読やリーディングというものをしたことがなく、何も用意していなかったが、人妻が私の詩集を読む間、人妻の椅子になるというよくわからない役目を担うことになった。
さて京都。
道中いろいろあったが、それはいつかどこかで話すことにして、先に進めよう。
現場で二十年ぶりにchoriに会った。
枯れ木のように痩せていて、あまり濃くない髭を伸ばして、なんとなく佇まいが仙人のようだった。
握手を交わした。
お互いに奇妙な因縁があった。
長い時を経て、手を握ることになるとは思わなかった。
イベントは楽しかったがそれも長くなるので割愛。動画をどうぞ。
choriは終始穏やかな表情をしていた。
私はガバガバと飲み、choriといろんな話をしたが、よく憶えていない。
元気そうだった。
また京都に遊びに来るよ、そう言って別れた。

京都から帰ってきて、皆また毎日スペースでバカ話をする。
そこに当然choriもいて、相変わらず仕切り屋でおしゃべりで寂しがり屋だった。

そのchoriが死んだ。

私たちはいつものようにスペースをしていて、その話を聞いたとき、言葉がよく頭に入ってこなかった。
体調を崩していたのは知っていた。
だが一週間もすればまた「ちょりーっす」と戻ってくるのだと思っていた。
突然すぎる。
スペース仲間は皆それぞれ混乱していた。
泣きわめくもの、ショックで黙るもの、追悼の辞を書くもの。
私はぼんやりとして、何も心が動かなかった。
現実感がない。
Twitterではたくさんの人がchoriの訃報に言及していた。
人気者だったんだな。
私もツイートしたが、ほとんど他人事のようだった。
悲しいという感情が湧かない。
少しだけイライラしていた。
親しい人が死んだというのに無感動な私は人非人だろうか。

あれから随分経った。
未だに私の心は動かない。
頭の隅にchoriの姿がある。
またすぐにスペースに入ってくるような気がする。
どこか納得がいっていない。

日々の暮らしの中で、彼の声が聞こえなくなるときは来るのだろうか。

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