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【終戦記念日】平和を慈しむ詩/詩人と戦争

詩と戦争

8月15日。今日は第二次世界大戦が終わった日。
この日になると、戦後すぐに作られた、女性詩人によるこの詩を思い出す。

「美しい国」   永瀬清子

はばかることなくよい思念(おもひ)を
私らは語ってよいのですって。
美しいものを美しいと
私らはほめてよいのですって。
失ったものへの悲しみを
心のままに涙ながしてよいのですって。

こんなスタンザ(連)からはじまるこの詩は、戦後すぐ、手漉きの紙をかき集めて刷られた詩集『美しい国』の表題ともなっている詩。
(↓「美しい国」は入手困難のため、こちら)



「敵とよぶものはなくなりました」と呼びかけるこの詩の続き。

ああ長い長い凍えでした。
涙も外へは出ませんでした。
心をだんだん暖めましょう
夕ぐれで星が一つずつみつかるように
感謝と言う言葉さえ
今やっとみつけました。

私をすなおにするために
あなたのやさしいほほえみが要り
あなたのためには私のが、

ああ夜ふけて空がだんだんにぎやかになるように
瞳はしずかにかがやきあいましょう
よい想いで空をみたしましょう
心のうちにきらめく星空をもちましょう。

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時代背景

この詩を読んで、美しいものを美しいとほめ、悲しいときに嘆くことがどんなにしあわせなことか、と胸がぎゅっとなる。

1938年に「国家総動員法」が成立すると、戦争への批判的な言論は徹底的につぶされ、ことばや感情表現の自由さは失われていった。

戦局は激化し国民生活はきびしい統制の下におかれ、思想・言論は徹底的に統制されていった。新体制運動に女流文学者たち、もちろん詩人たちも動員され、戦争詩、愛国詩がもとめられてゆく、暗い時代がそこまで来ていたのである。
―『永瀬清子とともに』(藤原菜穂子)

永瀬清子はこのとき、30代なかば。召集された夫も子どももいる身であったが、

「をのれをすてし将卒のいづれも顔の美しき」(『輝ク』1937)
(↑平塚らいてうに絶賛された)
日本の妻はなげかない。
その時敵弾が彼をつらぬいたときいてさへ
なほその頬にはほゝえみがのぼる。(「夫妻」『辻詩集』1943)

といった戦争を賛美し、"銃後の女性"たちを鼓舞するような詩も書いている。

でも本当は、「なげかない」はずがない。凍え、涙も外へは出なかっただけなのだ。それでも、そういうふうに黙ることを強いられるうちに、「心のうちにきらめく星空をもつ」ことすら難しくなっていく。

詩人たちは、「何も言わないほうがいい」なかで、「何か言葉を生み出さなければならない」というダブル・ビハインドのなかで、苦しみながら詩を生み出してきた、その時代が(いったんは)終わるー。

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その安堵が、「はばかることなくよい思念(おもひ)を/私らは語ってよいのですって。」という詩句に凝縮されている。

戦争がはじまると何が怖いかというと、もちろん大事な人が戦争に駆り出されたり、いつ死ぬのかわからなかったりという恐怖もあるけど、やっぱり、心の自由が侵されることも怖い。

どうか、美しいものを美しいとほめ、悲しいときに嘆くことができ、心のうちにきらめく星空をもてる世の中でありますように。

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