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祝・金メダル!堀米雄斗選手に贈る詩|「自分は光をにぎつてゐる」

こんにちは。めぐ@詩のソムリエです。

最近、スケートボード(ロング)をはじめました。というのも、大家さんが夜な夜なスケボーやっているのが楽しそうだったので。今や「磯野〜野球しようぜ〜✌」的なノリで大家さん宅をピンポンしてます。

新種目・スケートボードの初代王者!堀米雄斗選手

さて!いろいろな気持ちがうずまくオリンピックではありますが、やはり選手が緊張にうちかって大舞台で活躍されているのを見ると血湧き肉躍りますね。新しく公式になったスケートボードで金メダルをとった堀米雄斗さん!おめでとうございます!!!

とても冷静な堀米選手。直前の練習で失敗した技も本番でバッチリ決めたようです👏

ご友人のお話によると、ひとつのトリック(技)を納得行くまでとことん突き詰め、「これと決めたら絶対に曲げない意志の強さがある」と語るように、精神的にもとても強い方のようです。

▼記事はこちら。よい記事でした!


あがいても、自分を信じて。「自分は光をにぎつてゐる」

そんな彼の演技と抑制のきいたストイックな姿を見ていて、勝手ながら、明治の山村暮鳥(やまむら・ぼちょう)という人のこんな詩を贈りたいと思いました。

「自分は光をにぎつてゐる」 (『梢の巣にて』)

自分は光をにぎつてゐる
いまもいまとてにぎつてゐる
而《しか》もをりをりは考へる
此の掌《てのひら》をあけてみたら
からつぽではあるまいか
からつぽであつたらどうしよう
けれど自分はにぎつてゐる
いよいよしつかり握るのだ
あんな烈しい暴風《あらし》の中で
掴んだひかりだ
はなすものか
どんなことがあつても
おゝ石になれ、拳
此の生きのくるしみ
くるしければくるしいほど
自分は光をにぎりしめる

スポーツでも、文化芸術でも、きっとそうだと思いますが、練習しても練習しても、むしろ真摯であればあるほど、「からつぽではあるまいか」と思うことがあります。ちょっと自信がついてきたあたりで、またわからなくなることの繰り返し。

それでも、フッとなにかができるようになる瞬間がやってきます。「あんな烈しい暴風《あらし》の中で掴んだひかり」―無我夢中で体を動かすうちにつかんだコツのようなものは、「はなすものか」とにぎりしめる。「自分は光をにぎつてゐる」と信じるしかないのです。苦しみ溺れながらも、真摯になにかに向かう人へのエールのような詩です。

ちなみに、わたしは高校のときに空手道(形)で全国大会に出場していますが、仮想敵を倒す演舞である「形」はまさに「光をにぎりしめる」ようなもの。この詩を読むと、汗が目にしみてその痛さでハッと意識が戻るくらいに集中しきって、技を体得したときの感じや、試合のはりつめた緊張がよみがえります。空手などの勝負ごとで得たのは、「自分のにぎる光を信じること」かもしれません。

詩人・山村暮鳥は、「聖三稜玻璃(せいさんりょうはり)」でデビューしますが、斬新な内容や詩形で詩壇に論争を巻き起こし(、というか嘲笑され)短い期間でかなり詩風を変えてきた人です。

「あれじゃない、これじゃない」ともがきながら、彼のにぎりしめた手中には光が灯っていたのでしょう。わたしは「聖三稜玻璃」も、晩年の「雲」なんかも好きですけど。

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堀米選手もまた、あれほどの集中力で技を淡々と決めメダルを手にするまでに、たくさんのもがきがあったのでしょう。もともと、今のようなストリートではなく、もとはバーチカル(垂直に近いランプで楽しむスケートボードのこと)の選手だったそうです。そんなところにも、なんとなく暮鳥に通じるものを感じます。

あらためて、おめでとうございます。これからも応援しています!
わたしもスケボーがんばろっと。


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