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【進撃の巨人という哲学書】20.いろんな顔を持つ ~32話33話34話~

アニメタイトル:第32話 打・投・極
アニメタイトル:第33話 追う者
アニメタイトル:第34話 開口

あらすじ

「鎧の巨人+超大型巨人」VS「エレン巨人」
一進一退の死闘は続きます。
鎧の巨人はエレンを口にアルベルトとユミルを肩に載せて逃げます。
エルヴィン団長率いる調査兵団、駐屯兵団も鎧の巨人を追います。

巨人のうようよいる森の木の上でライナー、アルベルトとユミル、エレンは休憩です。
4人のそれぞれの思い。
怒りと冷静。詮索と情報収集。言い争いと陰謀。微妙な駆け引きが続きます。
ライナーとアルベルトの目的は?
獣の巨人とは?
エミルが守りたいクリスタの力とは?
我々は何を守り何と戦うのか?
4人のやり取りの中で様々な情報が小出しにされるのですが、尚更に謎は深まる一方です。
それらは全てが伏線で全てが重要な気がします。

日没の迫る夕暮れの中。調査兵団の追撃部隊が近づいてきました。



あれこれ考えてみよう。

木の上の会話の中、どうもライナーの様子がおかしいのです。
分裂症のように、言っている言葉が時間軸を行ったり来たりして幻聴や幻想の中にいるようで支離滅裂です。
ベルトルトはそんなライナーの様子は前から気付いていたようです。

ベルトルト
「ライナー、君は、兵士じゃ無いだろ。僕等は、戦士なんだから」
エレン
「お前らは兵士でも戦士でもねえよ。ただの人殺しだ。」

ベルトルトのいう「兵士」とは第104調査兵団としてのライナーをいい。
ベルトルトのいう「戦士」とは故郷で何かしらの使命を得て鎧の巨人として戦うライナーをいいます。
エレンのいう「人殺し」とは二人の巨人化によって、エレンの母をはじめとする多くの人の命を奪ったライナーをいいます。
ライナーはホントの自分を見失って分裂症になっていますが、残念ながら、それら全てが紛れもないライナーなのです。

私たちも誰もがいろいろな顔を持っています。
私も父であり息子であり兄であり。
恋人であり友であり社員であり。
日本人であり大人であり生きとし生けるものであり。
山屋であり旅人であり詩人であり。
その全てが私であり。時に私は私と喧嘩をするのです。
社員の私と山屋の私はいつも仲が悪く。
恋人の私は息子の私や父の私に少し照れています。
良い私も悪い私も、好きな私も嫌いな私も私です。
いろんな私といろんな私との関係性が私で。
その私も多くの人との関係性で私は出来上がっているのです。

それを一つに決めるという事は。酷です。
全てがバランスでできています。
「分裂症」と軽々しく使ってしまいますが、そのバランスが崩れた時に、自分にはない自分が生み出される事も想像できます。
その新しい自分もホントの自分を取りとめる、ある種のバランスなのでしょう。

時に自分でいる為に大切な自分を捨てなければならない事もあります。
友や愛する人と別れなければならない時もあります。
それもきっとバランスなのでしょう。

様々な自分を演じているうちにライナーの心は壊れていきます。
ホントの自分なんてものにすがりつくが故に心が壊れていきます。
ホントも嘘もない。全てが自分なのです。
嘘をついている自分も自分なのです。

自分探しとは自分を発見する旅ではなく、自分を認める旅なのではないでしょうか。


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