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【進撃の巨人から見る心】55.共感力の育て方 ~65話66話

アニメタイトル:第65話 戦鎚の巨人
アニメタイトル:第66話 強襲

あらすじ

さて進撃の巨人vs戦鎚の巨人です。
戦鎚の巨人は硬化能力を進化させてどんな武器も防具も作り出します。
巨大な槍によって進撃の巨人を串刺しにし、巨大なハンマーで進撃の巨人の頭を吹き飛ばします。
進撃の巨人絶体絶命です。

その時、「今だ、ミカサ」


突然にミカサが現れ戦鎚の巨人雷槍を打ちこみます。
調査兵団が駆けつけます。

パラディ島の調査兵団と大陸のマーレ軍が戦い。
進撃の巨人と戦鎚、獣、顎、車力の巨人のが戦います。
鎧のライナーはエレンが地下室から巨人化する瞬間に巨人化してファルコが潰されるのを守りました。
しかし、狭い地下室での巨人化は自殺行為。自ら巨人化する事で自らが潰されて生死をさまよっています。
巨人の能力で傷は修復し生き返る事はできるのですが、ライナー自体が生きたいと望んでいません。よってこの戦いに参戦していません。
戦いはパラディ島軍が優勢です。
軍港ではアルミンが超大型巨人になって大暴れです。


車力も絶体絶命。なんとかピークの命だけは助かりました。
獣はリヴァイに切り刻まれ調査兵団に確保されました。


戦鎚のラーラタイバーは硬質化で身を守っていますが、顎の巨人の顎をクルミ割り人形の様に使い、戦鎚の高質化を顎で噛み砕き、戦鎚を進撃が捕食しました。当然、その顎も絶体絶命です。そこで、やっとライナーが鎧として参戦します。そこに、ハンジが率いる飛行船が現れ、パラディ島メンバーを収容して引き返して行きます。エレンを中心にしたパラディ島エルディア人の大勝利です。



あれこれ考えてみよう。

怒涛の展開で口を挟む余地もありません。
今回はアルミンのこの言葉を考えてみたいと思います。
「これが、君の見た景色なんだね。ベルトルト」

アルミンはベルトルトを捕食して超大型の巨人となりました。
エレン達が街で戦っている時、アルミンは軍港で船隊を破壊していました。
当然に、多くの一般市民もこの破壊によって犠牲になります。
超大型巨人ですから、その高い視点から人々の死を眺めています。
その人々の死は。自分の殺人に他なりません。
かつて、ベルトルトが超大型巨人としてパラディ島の人々を踏みつぶした罪と同じ罪をアルミンは犯しています。
アルミンがあんなにも憧れていた海が地獄と化します。。

子供が大人になった視点。
子供が親になった視点。
部下が上司いなった視点。
いじめられっ子がいじめっ子になった視点。
いじめっ子がいじめられっ子になった視点。
人は立場が変わって、その場所に立って初めて、その立場だった人の視点になれるのかもしれません。
「自分の視点、相手の視点、花の視点、虫の視点、空の視点、過去の視点、未来の視点。。。視点を変えることで違う世界が見えるかもしれません。
しかしそれは、教訓めいた事ではありますが、現実はそのリアルな立ち位置でしか見えません。
虫の視点を見るには虫になるしか不可能です。
「頼む、誰か、お願いだ。誰か僕らを見つけてくれ」そんなベルトルトの叫びを、そのタイミングで理解できたのはユミルだけでした。
しかしアルミンは今、同じ立ち位置で同じ気持ちを実感として感じたのでしょう。

繰り返し言います。
その気持ちはその人にしか分かりません。
でも。だからこそ想像力を働かせる事が大事な気がします。
想像力を育てるには小さな経験を積み重ねなければなりません。
小さな無数にある点と点を線として繋いで、はじめて共感が生まれるのでしょう。

小さな点ををより多く持ちそれを忘れない。。
例えば、この【進撃の巨人から見る心】という連載もそう。
小さな点を忘れない私なりの方法です。

【進撃の巨人】という物語の疑似体験がいろんな視点でものを考え、共感力を育ててくれます。

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