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魚群探知機(8)


第一海域 瞬間の雪

意味をもとめない、それが意味だ。──私の言語思想をひとことでいえば、「意味をもとめない、それが意味だ」ということになろうか。意味を求めないということは、しかし、意味を求めることを排除しない。どころか、意味を求めることとの生き生きとした関係においてのみ成り立つ。意味の森をどこまでも辿ってゆくと、突然、林間の空地のように、あるいは岬のように、非意味のひろがりがあらわれるのである。
 
狂おしい機械。──いうまでもないが、われわれは機械である。われわれの身体がこの世でもっとも精密な機械であるとは、しばしば言われてきたことだ。しかし、それだけではない。同時にまたわれわれという存在は、この世でもっともあやうい、狂いやすい、あるいは狂おしい機械のことでもあると、そのような生成変化へとむきだしに差し向かわされているのであって、その機会の不可避性においてこそ、われわれは機械なのである、すばらしく駄洒落的に機械なのである。
 
唯一の現実。──文学にとっては言語こそが唯一の現実である。そのなかで人は、死の果てしない遅延をもくろむ。あるいはこうも言えるだろう。有限の生に反して、書くことに終わりはないようにみえる。文学があたかもおのれ自身に向けているかのようなこの錯覚、このアイロニーによって、不可能性としての死が最大限に表現されるのである。
 
深い企み。──すぐれた文学作品には、例外なく、文学の連続性をもっとも不連続的に引き受けようとする深い企みがある。今日においてなお、それを発見し、あるいは実践することができるかどうか。
 
政治信条。──思うに、政治信条ほどあてにならないものはない。私は、政治信条としては基本、アナーキズムだが、たとえば現実の投票行為においては、多少とも現行の野放図な資本主義に制約を課す主義主張に一票を投じる。だが、ほかならぬこの現行の野放図な資本主義という代物、これもまた一種のアナーキズムかもしれないではないか。ふたつのアナーキズムを区別するためには、たとえば精神の自由あるいは魂の高貴というような時代遅れのがらくたを持ち出して、リサイクルできるかどうか、ひとまずその埃でも払ってみるしかあるまい。
 
真夜中。──真夜中の闇をむいてゆくと、昼よりもなお一層熟した昼があらわれる。
 
現在。──現在という時間の薄い欠片。だがそれをむきだしにすること、それがむきだされるがままにすること。
 
呼び出すこと、誘い出すこと。──もしも私たちに言葉がなかったら、星に願いもかけられない。どころか、星は星に私たちは私たちにひきこもって、宇宙全体が激しく静かに発狂してしまうだろう。事物に向けて言葉を発するとは、事物をその不活発な仮死状態から生き生きとした私たちの世界へと呼び出すこと、誘い出すことである。

*第二海域 人生の核心
 
愛とは。──愛とは、つらつら思うに、肉へと肉が没し去ることである。あるいは、肉が肉を呑み込んでしまうことである。
 
愛とは(続)。──愛とは、自己を空っぽにして、そこを他者の欲望が自由に交通できる場にしようとすることである。ただし、その情動が強制されたものではなく、また何の代償も求めない純粋さを保持しているかぎりにおいて。それは贈与の感覚に似ている。ちがいは、贈与として差し出されるものが物品ではなく、ほかならぬ自己それ自身だというだけだ。それだけにまた、悲しみや痛苦のようなものも伴う。
 
墓穴。──火葬があたりまえの日本社会ではあまりリアリティのない慣用句となってしまったが、墓穴を掘るという。だが、そうでなくとも、人は一生かかって自分の墓穴を掘っていくようなものだ。そして無意味にも、その大きさ、深さ、はてはかたちなどを競ったりするのである。
 
肉の闇。──たまには口をOのかたちに開けよう。溺れかけて救いをもとめる人のように。あるいは、ムンクの「叫び」という絵に描かれたあの人物のように。あるいは、ほら、きみの隣で、欠伸をするために大きく口を開けた女のように。なんというOだ。いま金と引き換えに抱かれたばかりだというのに、健康そのままに、何の屈託もなく開けられたO、いやそれ以上に、世界のあらゆる屈託を呑み込んでしまうような、ある意味ではそら恐ろしい、豊かな虚無ともいうべきO。ピンクの舌がすこし官能的にのぞいていて、あとは闇、深い肉の闇。
 
待機。──待つことは狂おしい。なぜなら、待てば待つほど、待機の対象がはっきりしなくなるからだ。いったい私は何を待っているのだろう、ときみは自問しはじめる。人だろうか、物だろうか、それとも、人でも物でもない何か、それこそ不可視の超自然的な何かだろうか、と。いずれにしても、待機の対象は多義的にぼやけて、かわりに待つという行為そのものが切迫したものとしてせり上がってくる、そんな感じなのだ。もはや何を待っているかが問題なのではなく、待つという行為が世界を活気づけ、世界に一種異様な緊張と不安をもたらしているというそのことこそが肝要なのだ、とでもいうかのように。
 
帰郷の不可能な可能性。──たとえば19世紀フランスの狂気の詩人ジェラール・ド・ネルヴァルの短編小説『シルヴィー』は、パリで売文業をしている男が、ある夜、新聞で故郷の祭の情報を得ると、記憶の不思議な湧出に誘われるように、そのまま辻馬車に乗ってパリ北方数十キロにある生まれ故郷を訪れ、幼馴染みの娘シルヴィーに再会したり神秘の女性アドリエンヌとの邂逅を回想したりする物語であり、後年あのプルーストに影響を与えたことでも知られている。実はこの『シルヴィー』が私は好きで、私自身も東京近郊数十キロにある農村地帯の生まれ育ちなので、いまでもときおりそこを訪れるとき、この物語の主人公に自分を重ねながら感傷にふけることがある。時代錯誤もいいところだ。またたとえば萩原朔太郎の詩「帰郷」は、昭和4年、妻に去られた失意の詩人が、二児を連れて、「上野発七時十分、小山行高崎廻り」の夜汽車で郷里前橋に戻るその車中での情景をとらえたものであり、「嗚呼また都を逃れ出て/何所の家郷に行かむとするぞ。/過去は寂寥の谷に連なり/未来は絶望の岸に向へり。/砂礫のごとき人生かな!」と、きりもない嘆嗟の声を響かせている。要するに、過去の文学においてこうした帰郷のかたちもあったということだ。時は流れて2000年代日本。もちろんいま、帰郷を本気で語ろうとする者など誰もいない。情報網の発達によって都市も田舎も徹底的に均質化された右びんたののち、市場原理主義による経済格差という左びんたを喰わされて、あわれみずからの変容にただ呆然と立ち尽くすがごときまあたらしい廃墟の風景が、場所を問わずそこかしこにひろがってしまっている。そうしたいわば帰郷というテーマ自体がぬけがらとなってしまった時代にあって、それにふさわしくなんとも脱力的な、しかしやはり新しいというべきであろう帰郷の物語を夢想すること。主人公の私は、もういい加減くたびれた中年もしくは初老の男だが、なるほど朔太郎のように、ほとんど何も持ち出せないまま、それまでの人生から放り出され、たとえば急行電車で四十分の故郷に戻って、新しい暮らしを始めなければならない。ところが、そこからさきがないのだ。故郷には、私を待っている人は誰もいないし、私の側にも郷愁と呼べるような古典的感情はなく、持ち合わせているのは、ただ町の地理だけである。まさにぬけがらだ。しかもそこは、首都近郊であること以外どこといって特定することもできない名なしの町、アトピー(場所なき場所)を唯一の特性とするような町になってしまっている。そうした故郷で、私はたとえばタクシーの運転手に採用され、市内を走り回ることになるだろう。それはいわば、かつては帰郷の主体を乗せていた「辻馬車」や「夜汽車」、すなわち帰郷のビークルが、帰郷の主体に取って代わってしまったかのごとくだ。あるいは、私はいつまでも帰郷のビークルのなかにいて運ばれており、まだほんとうには故郷にたどり着いていないかもしれないのだ。愛もしかり。タクシードライバーとして何人かの女と出会うことになるが、絶対に愛は成就しないように運命づけられている。つまり私は、魔法をかけられた童話や昔話の主人公さながら、物語の発端でいきなり去勢されてしまうのである。しかも、この重大な試練を私は一向に意識しない。それゆえ、ふつうの物語ならその解決に向かってこそ冒険は始まるのに、ここではむしろ派生的なエピソードの方がどんどん前面に出て、肝心のその冒険をうやむやにしてしまう。こうして、私がタクシーを走らせる町は、帰郷の一歩手前もしくは一歩彼方にひろがるその煉獄である。物語は、帰郷をめざしてそれを果たせず、ただその縁辺をぐるぐるとまわる煉獄の物語となるだろう。

*第三海域 詩の悦び 

経験と痙攣。──詩は経験である、といったのはリルケであるが、実のところどのような文脈で言われたのか、言葉だけが一人歩きししているような気もする、それはアドルノの例の「アウシュビッツの後で詩を書くことは野蛮である」という言葉にもいえることであって、われわれは軽々しくこういう言葉を引くべきではないが、しかし引いてしまったのだからしかたない、詩は経験である、あるいは痙攣であるかもしれない、私は何も駄洒落を飛ばしているのではない、経験と痙攣と、たんに音が似ているというだけの組合せでないことは、一度でも詩を書いたことがある者なら多少とも思い当たるだろうし、また、アンドレ・ブルトンのあの『ナジャ』の末尾近くに読まれる「美とは痙攣的なものであろう、さもなくば存在しないであろう」という章句を想起する者もあろう、いずれにもせよ、したがって詩とは、あるいは経験であり、かつ痙攣であるかもしれない、あるいは痙攣的な経験である、あるいは経験的な痙攣である、といえるかもしれず、あるいは痙攣的な経験であり、かつ経験的な痙攣である、とさえいえるかもしれない、だが、わからない、たとえば経験と痙攣の和の2乗ぐらいが詩であるとして、それは経験の2乗と経験と痙攣の積を2倍したものと痙攣の2乗との和に等しいか、わからない、わからない、ともあれこうして、つぎには経験と痙攣の関係とそれぞれの実質が問われているのであるが、経験はたんに日常レベルでの個人的な体験をいうのではないだろうし、そういう意味では意識下のものでもあろう、経験とは生の厚みであるが、それは必ずしもたんに積み上げられた人生経験の豊かさではないということだ、それはやはり、痙攣的に生成されるものであり、では痙攣とは何か、たんに歩いたり話したりものを考えたりすることの機能的停止ではないだろう、おまけに経験といい痙攣といっても、それだけでは詩にならない、つまり言語が必要なわけで、あるいは言語がさきかもしれない、言語が発話においてくっついたり離れたりを繰り返すうちに経験を呼び込み痙攣と同調するのかもしれない、わからない、わからない、とりあえず私はこの大地の上に立って、立ったまま、立ったまま……
 
リゾームリゾート。──私の詩作にもっとも影響を与えた哲学書あるいは思想書を一冊だけ挙げるとすれば、いろいろ迷うが、やはり、ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(宇野邦一他訳、河出書房新社、1994)ということになろうか。とりわけその、先行して訳された序文「リゾーム」の日本語版(エピステーメー臨時増刊号「リゾーム」、豊崎光一訳、朝日出版社、1977、覆刻版1987)。もちろん最初はほとんど何も理解できず、それでも何かただならぬ不穏な空気を感じて再読三読するうちに、次第に衝撃が伝わってくるという感じだった。あげくはそれを参照しつつ、第二詩集『わがリゾート』を書いたのだったが(「リゾート」が「リゾーム」のもじりになっているのは言うまでもない)、影響はそこにとどまらず、いまに至るまで、陰に陽に私の詩作を励ましつづけてきたとさえいえるかもしれない。「リゾーム」の最後のフレーズを引用しておこう。「速くあれ、たとえその場を動かぬときでも!」

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