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詩を読むこころ、聞かせてください。

詩について話すのはちょっと苦手だ。ポエトリーリーディングをしたり、詩のイベントを企画したりしてるのに。いや、してるからこそ、なのか。「詩とはなんぞや」とか「いわゆる詩っぽい詩ってこうだよね」みたいな話には口をモゴモゴしてしまう。できればそこから離れていたい。

詩などという巨大で漠然と捉えようもない宇宙みたいなものを語るなんて烏滸がましいという思いが強いのです。第一そこまで熱心な詩の読者ではないし(と言いつつ、ときどき調子に乗って「詩とは」を語っている気もするので、そんな村田を見つけた方はすぐに通報してください。はい)。

詩を語ることが烏滸がましい、畏れ多いという感覚をもう少しひも解くと「だって詩を読んで感じること、思うこと、考えることってそれぞれバラバラじゃん?」ということになる。

たとえば私の場合、茨木のり子さんといえば、有名な「わたしが一番きれいだったとき」の一連目。

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」

とんでもないところから!青空なんかが! なんというインパクトだろう。爆風で屋根が飛んで梁だけになった天井、あるいは焼け落ちて壁1枚だけ残った駅舎の向こうに、不意打ちのように広がる空。読んだのは中学生くらいだったと思うのだが、そのイメージがとにかく強烈だった。

もちろん詩はそのあと第八連まで続き、終わり方がまた実にチャーミングなのだけど、そこを味わえるようになったのはずっと年を経てからだった気がする。まず脳裏に焼き付いたのは、崩れた建物の向こうに見える空。だから今でもこの詩に触れると、そのイメージが映画のシーンのようによみがえる。あるいは海外の戦争のニュースや大災害の報道を見ると、現地の瓦礫の中に立つ「わたし」とその目に映る空の色を想像する。

この感覚、誰か共感してもらえると嬉しいけど、それほど一般的じゃないだろうとも思う。この詩のポイントはほかにもいっぱいあるから。つまり、同じ詩を読んでも、どこに反応するか、何をどんなふうにどれくらい受け取るかは千差万別。予測不可。そもそも受け取ったものを言語化できるかどうかも怪しい。だから面白いんだよなあ。

と、いうところでふと「じゃあその詩の受けとめ方を語りあう会とか、やったら楽しいんじゃない?」と思い至った。さっそく友人の書店員に相談して、こんな企画を考えました(今野書店・花本さま、いつもお世話になってます!)。

詩をめぐる対話カフェ

第1回:茨木のり子

3月29日(金)18:00〜20:00


会場:今野書店 地下イベントスペース
  東京都杉並区西荻北3丁目1-8
  JR中央総武線 / 地下鉄東西線 西荻窪北口 徒歩1分
参加費:1,500円 (現金、PayPayは地下受付、それ以外の方は一階カウンターでの支払いを当日にお願いします)
定員:15名
ご予約
●店頭
●お電話 03-3395-4191(今野書店)
●メール event@konnoshoten.com
で承ります。メールは、詩カフェ参加希望、お名前とお電話番号のみ記載いただければご予約完了とさせていただきます。

⭐️詳しくは今野書店まで


『自分の感受性くらい』『倚かかららず』あるいは『歳月』……どの詩集、どの詩でも構いません(あまり読んだことがないけど興味あるなら岩波文庫「茨木のり子詩集」がいいかも!)

お好きな茨木作品について、話をしましょう。まとまっていなくても構いません。聞いているだけでもOKです。勉強会とかじゃなく、詩を読んで感じた、思った、考えたことをシェアして深める会。

まずはゆったりと。詩について語ったり、詩を読んだ私たち自身のことを考えたり考えなかったり、できたらいいなと思ってます。私もモゴモゴながらに語ります。お待ちしています。

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