デミロマンティック、デミセクシャルを「普通のこと」というヤバさ

あなたは、恋人に性欲を抱けず泣かれたことはありますか?
人を好きになれないんじゃんと、好きな人に言われたことはありますか。

デミロマンティック、デミセクシャルは、長年の信頼関係がある人へまれに恋愛感情を抱く嗜好を示す言葉だ。

これを聞いたとき、多くの人が「ふつうじゃん」という。わたしも、普通のことのように思う。
だけど、その言葉があるということは、それを説明する必要がある人がいるということだというのもわかってほしい。

デミロマ/デミセクを普通じゃん、というひとは、二、三年知り合ったひとに当たり前にときめいてキスやセックスできる、程度のことを言っている。
たしかに、それはデミロマの一部ではあるかもしれないが、デミロマ/デミセクという自認で苦しんでいる人、その言葉を必要としている人たちというのは、もっと深刻なのだ。

人を好きになるとき、ただ人間として好きだと思う。付き合っても、ドキドキやセックスしたいという恋愛感情が全く伴わない。そして、そのドキドキやセックスしたいという感情は、その人を五年〜十年以上知っていないと生まれてこない。

そのような人も、デミロマンティックであり、デミセクシャルなのである。
あなたはこの人をどう思いますか。
異常だと思う人もいるのではありませんか。

このようなデミロマ/デミセク人と付き合うと、多くの人は、「恋人は自分のことを好きではないのではないか」「この人は人を好きになれないのではないか」と考え、疑い、傷つく。多くの人が、じつは無意識に性欲やドキドキ感、親密感と恋愛を分かち難く結びつけているのだ。
だけど、デミ当人は、恋愛感情みたいなものがなくてもその人のことを人として尊敬していて「好き」だし、ドキドキしたり性交渉やキスに抵抗がなくなるまで10年とかものすごく時間がかかるだけなのだ。それでも、平均よりすごくペースが遅ければ、世の中では異常者とされる。

そんなに時間がかかるなら、誰とも付き合わなければいい、という人だっていそうだ。
でも、どう頑張っても、そういうスタイルでしか関係を築けない、人を愛せない人がいるときに、その人を異常者/病気と切り捨てるのか、それとも性的な嗜好とするのか、それはとても繊細な話だと思う。
そして、そのようなスタイルで苦しんだり好意を誤解されてしまうひとが、苦肉の策として自分を説明するときに、デミロマ/デミセクがある。だから、不用意に「普通」なんて言わないでほしい。

デミロマンティック/デミセクシャルは、それにより困っていない人と、困っている人の差がものすごくある概念である。
あなたが、デミロマ/デミセクを「普通じゃん」というとき、その概念にはあなたが「異常者」「愛がない」「人を好きになれない欠陥があるのでは?」「それは愛じゃないだろw」と思うかもしれない、ものすごくゆっくりとしか恋愛できない人も含まれていることを忘れないでほしい。

困っている人たちの声がとても届きにくくなる。

わたしは、こんな言葉を作ったって、人は自分の思う普通の外側は想像できないものなのだろうと思う。
だから、「普通じゃん」というときに、その奥に想像できないものがあるかもしれないということだけは、チラッと考えてほしいと思う。


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