砂の城

憂鬱なときには、憂鬱な友達がほしい。憂鬱な歌、憂鬱な話、憂鬱な天気。そんなものがようやく私を慰めてくれたりする。でも、世界はやたらと明るいものを好むし、こんな憂鬱な話は誰も聞きたがらないのかもしれない。だから、これは憂鬱な私自身のために書いている。きっと何日かすれば、私もこんな感情など忘れてけろっとした顔で明るい世界に戻っていくのだろう。これまでもそうだったように。だけど、またこうして落ちてきたときに、その私を慰めてあげられる友達になりたいと思う。
 
日常というのは、こうも簡単に崩れてしまうものなのか。今回はじめて知ったことでもないけれど。大丈夫、上手くいっている、そう思ったところで崩れ始める。静かに、さらさらと、砂のように。気がついたときには、深い底に沈んでいた。私がこつこつと築き上げた砂の城は、感情という波に飲まれ、溺れ、形を残さず沈んでいった。波に上手く乗れたのなら、どれほどよかっただろう。沈むのは初めてではない。それなのに、私はまだ浮かび方を知らない。この間までの、明るく無邪気な日々が、今では随分と遠くに感じる。あの世界に私が存在していたことが信じられないくらいだ。
深い底では、音がよく聞こえない。モーン、モーンと、頭の奥が響いている感覚。誰の声もしないのに、頭の中で止めどなく再生される人々の声。あるいは、自分の声。何なんだろう、ここは一体。誰なんだろう、この人間は。自分が誰であるのか、世界が何であるのか、時折わからなくなる。それは、とても感覚的に。自分の名前も、生まれも、育ちもきちんと説明できるけれど、感情がそこにない。私という物体と、感情が切り離されているような感覚。こうして書いていても、しっくりくる表現が見つからないのがもどかしい。とにかく、私は私であるが、私でない感覚が離れない。こんなことばかり考えていたら、当分元の世界に戻れそうにないので、途中でこの考えに蓋をする。
そろそろ、明るい世界に戻らなければー。
 
音楽も、映画も、今までのように胸を打たなくなってしまった。どの物語にも、私のように頑張っていない人間は出てこない。私なんて、話にならないのだ。頑張っていれば、戦っていれば、その先に何かがある。私は、頑張ることすら、戦うことすらしていない。変わる方法を模索するふりをして、本当は変わる気なんてないのかもしれない。どうしようもない人間になってしまった。どん底だ。私の魂は、深い底に沈んでいる。浮かびたい。浮かびたい、のだろうか、本当にー。自分のことがわからなくなる。だけど、浮かばなければならないのだと思う。

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