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それでも「世界はうつくしいと」言おう。長田弘

詩人の長田弘の詩集『世界はうつくしいと』より。

世界はうつくしいと
うつくしいものの話をしよう。
いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
風の匂いはうつくしいと。渓谷の
石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。

ほかの詩も、同じ詩集から引いてみます。

人生の午後のある日
話のための話はよそう。
それより黙っていよう。
最初に、静けさを集めるのだ。
窓のある物語
窓の話をしよう。
一日は、窓にはじまる。
窓には、その日の表情がある。
晴れた日には、窓は
日の光を一杯に湛えて、
きらきら微笑しているようだ。
机のまえの時間
机の上に、草の花を置く。その花の色に、
やがて夕暮れの色がゆっくりとかさなってゆく。
なくてはならないもの
草。水。土。雨。日の光。猫。
石。蛙。ユリ。空の青さ。道の遠く。
何一つ、わたしのものはない。
真夜中を過ぎて、昨日の続きの本を読む。
「風と砂塵のほかは、何も残らない」
本を閉じて、目を瞑(つむ)る。
おやすみなさい。すると、
暗闇が音のない音楽のようにやってくる。


「窓の話をしよう。」
「机の話をしよう。」
「なくてはならないものの話をしよう。」
と、そんな風に長田弘の詩ははじまります。

そうです。それでも「世界はうつくしいと」言おう。
と思いませんか。


『世界はうつくしいと』長田弘 みすず書房 2009

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