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ミヒャエル・エンデ『モモ』(3)ジジとふたりのものがたり

『モモ』第5章「おおぜいのための物語と、ひとりだけのための物語」より。

物語を話すことは、まえにも言ったとおり、ジジがなによりもすきなことでした。

そして、モモと出会ってからというもの、ジジの物語はとめどなくあふれるようになりました。

そしてとくに、モモがそばで聞いていてくれるときには、ジジの空想力はまるで春の野のように花ひらきます。

観光ガイドのジジは、円形劇場に来る旅行者たちに話しました。

「紳士、淑女のみなさまがた! すでにごぞんじとは思いますが、クルシメーア・アウグスティーナ女帝は、ブルブル族とビクビク族のたえまない攻撃から国をまもるために、」
「くる日もくる日も、女帝はプールのふちになん時間もすわったまま、魚の成長を見まもりました。頭のなかには金のことしかありません。」

こんな風にたくさんのおかしな物語をして、ジジはぼうしにコインをはずんでもらったのです。

でもジジがなんといってもいちばん楽しみにしていたのは、ほかの人がだれもいないときに、小さなモモひとりに話を聞かせることでした。
あるあたたかな、うつくしい晩のことでした。
空にはもう最初の星々がかがやきはじめ、銀色の大きな月が、くろぐろとした松林の上にのぼってくるところでした。
「ねえ、お話をして。」モモがそっとたのみました。
「いいよ。だれの話にしようか?」
「モモとジロラモのお話がいちばんいい。」

題は「魔法の鏡」に決まりました。

「むかし、むかし、モモという名のうつくしいお姫さまがありました。」

モモ姫は永遠のいのちをもっていました。しかし、ある日、鏡に映った若い王子ジロラモにはげしいあこがれを感じて、魔法の鏡にじぶんの姿を映してしまいました。

そのためにお姫さまは永遠のいのちをうしなってしまったのです。

一方のジロラモ王子は、わるい妖精にだまされて記憶をなくし、〈きょうの国〉へやってきました。

ある廃墟で、モモ姫と出会い、これまでのおはなしをすべて聞きます。しかし、

『君の言っていることは、ぼくにはちっともわからない。ぼくの心臓にはむすび目があるから、むかしのことはなにひとつ思い出せないんだ。』
モモ姫はジジの胸に手を入れて、すぐに心臓のむすび目をといてあげました。

こうして記憶を取り戻したジジは、モモ姫の手をとりました。ふたりは、

とおくとおくの〈あしたの国〉にむかったのです。

ジジの物語は終わり、ふたりはじっと黙って月をみつめました。

こうして月を見ているかぎり、ふたりは永遠に死ぬことはないと、つよく感じていたのです。

このあと、『モモ』の本はいよいよ灰色の男たちの章に入ります。その前に小さな前置きです。

とてもとてもふしぎな、それでいてきわめて日常的なひとつの秘密があります。
この秘密とは──それは時間です。

なぜ秘密かといえば、

わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。
なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人のいのちは心を住みかとしているからです。
このことをだれよりよく知っていたのは、灰色の男たちでした。

灰色の男たちの暗躍がはじまります。大都会で、彼らは吸血鬼が血を吸うように、ひとびとから時間を盗るのでした。


『モモ』ミヒャエル・エンデ 大島かおり訳 岩波少年文庫 2005


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