知りもしないくせに

私が人を愛せるまでにはどれだけの月日が必要なのだろうか。人を愛せるだけの強さと弱さと誠実さをもつためにどんな経験が求められるのだろうか。私を愛してくれていたあの人の優しさ以上のものを未だに、私は私のなかにのみ湛えることしかできないでいる。許されるばかりで、愛されるばかりだ。この事実が私を孤独にする。出逢いがある。喪失をしたとしても、また新しい人が現れる。その人は私のことを知らいないが、差し当たり、私を受け入れる。それが私を寂しくさせてしまう。そうした人が私のためを思って吐く言葉はいつも私を苦しめる。言葉にはそれだけの重みがあると思っている。だから、愛は知ることなのだと思う。できる限り知ること。その人の笑い方も、声の抑揚も、好き嫌いも、悲しみも、喜びも、罪も、すべてを知りたいと思い、そのための試みをすること。それが人を愛するために必要だ。思い出したくない記憶があるとして、そのことを打ち明けることができたのなら、打ち明けることのできる人がいるのなら、私の心がどんなに救われることか。愛はそうした行動に近い。孤独に光を灯し、温もりを与えることに近い。詳らかにされる孤独の訳や沈黙の意味に、しめやかに愛をそえてゆきたい。