ダンボ

本当にやりたいことをしたい、本当に思っていることを話したい。それでも世知辛い世の中だ、そううまくはいかない。だから陥るうわべの付き合い、うわべの人生。世の思潮に頼り切って偏狭に凝り固まってできる私の表層は自らを偽るペルソナだ。私の意思はなくに等しく、他人の人生の枠のなかでしか息のできない私を私はいつしか許してしまっていたようだ。月を隔てて張られたテントの中に、道化の姿で白塗り厚化粧、飛ぶことの美しさを知る心を隠す孔雀の羽根の高尚なドレスなんかを身に纏い、私は必死に死んでいくのでしょう。

でも、それに違和感がある。
この映画を観て感動している。
それが私の答えだ。

私を支配できるのは私の好奇心のみ。線路に繋がれた檻に留まらなくていい、私の羽根はあまりに美しいから。

翔んで

自由の底流にある愛を求めて。


本当に映画って美しい。
断続的に頬を伝う涙とともに僕の勘違いも流れ落ちました。即ち、孤独が好きなのではなく、支配が嫌いなのだということ。
ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」にも得てして"檻"が描かれている。この本に書かれている一節とこの映画が物語ることが一致しててまぁこれまた涙がほろり。