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5/12 私らしさの不確かさ

なんだかとっても抽象的な話をするけれど。

自分には、こういう側面があって、こんな自分もいて、あんな自分もいて…、どれも間違いなく自分なのだけど、ぜんぶバラバラの場所に存在してる気がして、切り貼りして無理やりくっつけるようないびつな形で、今まで、私は私を生きてきた。自分でも何を言っているかわからないけれど、とにかくそんな感じ。

その生き方が、とっても生きづらくって苦しくって、自分でも収集つかなくなって、ほとほと疲れてしまってよく自暴自棄になっていたのも昔の話。

今の私は、そんないろんな自分を、恐る恐る、全部まとめていっているような気持ちで、小さなチャレンジだったり、新しい行動をスタートさせたりしている。統合していってるといえばいいのかな。人生半ばにしてよ〜うやく、多面的な自分というものを受け入れはじめたのだ。

そして一歩ずつ慎重に、でも確実に勇気を出して自己開示をしてきている今、意外や意外、最近は「私らしい」という言葉をたくさんもらえるようになった。

あれれ、そうなの?もしかして、切り分けて考えていたのは私だけだったのか…?と、拍子抜けするような気持ちとともに、心の底に広がる安堵感と安心感、そして例えようのない喜びがじわじわ湧いてきては噛み締める日々。バラバラと思っていた自分が「私らしい」と言われることは、私にとって目から鱗が落ちるくらい、すごく新鮮な発見だった。

内心、受け入れられないんじゃないか…嫌われてしまうんじゃないか…と、出し渋ったり、隠そうとしたり、なんやかんや小手先で自分を演出しようとオドオドしていたのは、本当の本当に、ただの独り相撲だったみたいだ。

話は少しとんで、長年の(というほどでもないけど)結婚生活を経て、今は新しい人生への移行期間なわけなのだけど。久々に会った旧友たちからも、今のことやこれからのことを話したら「私らしいね」って言葉をもらった。そっか。そっかそっか。なーんだ。

私は、何になりたいって聞かれたら、何を隠そう「私」になりたい。憧れる人や、尊敬する人はたくさんいるれけど、結局のところ「私」という命をいかに使って人生を輝かせきるか、みたいな思いが、実のところの最終目標なのだ。

ねばならない。こうじゃなきゃ。ああしないと。やっておかないと。みたいな自分勝手な思い込み(これを世間体や常識というのかもしれない)を恐る恐る外していったら、そのままの「私」が、伸び伸びと息ができる世界になってきた。もっともっと、肩肘張らずにありのままで生きていこうと思ったよ。

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