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#4 自分を浪費

こんばんは

ただいま21:56です。
今から友人に呼ばれたので出向こうとしています。


軽さの善し悪し

冒頭で述べた通り、わたしは基本的にNOを言わない(言えない?)人間です。

ちょっと好き、ちょっと仲良くしたい、という程度でも、基本呼んでくれたら行くし、残れと言われたら満更でもなく残ります。

”自分を必要としてくれている“という状況が心地いいのかもしれません。

性格も容姿も物心ついた時から自分を好きではありませんでした。思春期はそれなりに、「自分を好きになる方法」とか「自分を認めるには」みたいなものを見聞きしてきたものの

詰まるところは、それができたら苦労してない。です。


だから、自分を自分で必要とできなくなりました。

基本的にバイトや成績で褒められても、いやこれわたしじゃなくてもできますよ、と言いたいし、

少し嫌悪が酷い時は、今わたしがいなくなっても、結局世界は通常運転なんだろうなあとよく思います。


一方で、そんな自分を呼んでくれるというのは、わたしとは別の、自分という子が存在できる居場所があるように感じられるし、行かないという選択をした時に二度と声を掛けてくれることはないのではというちょっとした臆病さが相まってNOと言わないようになったのかもしれません。


フッ軽だねと言われるし、裏を返せばあいつはいつでも暇だし、チョロいと思われているんだろうな、と心では感じてます。


基本前々から約束をしなければ会えないような子もいるし、帰るときはしっかり帰ると言える子もいます。でもそれで嫌われたり陰口を叩かれるようなことはないです。

ましてやわたしの友人は、そんな惨めなことをする人たちではないです。


だから、わかっているんです。NOが言える環境にいることを。

ただ、NOを言うのが自分だった時、友人たちがどんな反応をするのかがわからないんです。

だから今日もわたしは、こんな22:00という遅い時間から外に出て、明日午前中からのバイトに行こうとしています。

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