自分自身のアートのルーツを考えてみた。

2023年7月31日、祖父が亡くなった。

今、通夜のために東京から福岡へ戻る飛行機に乗っている。突然の訃報だったので、急遽打ち合わせもキャンセルし、バタバタと空港までやってきた。ところが、雷雲のせいで3時間以上も羽田空港で待たされた。おかげで残した仕事も捗った。

機内でようやく一息つけたので、ゆっくり祖父との記憶を辿ってみることにした。
今の自分のアートのルーツがそこにあるんだなと改めて気付かされたし、それがこれを書くきっかけとなった。
普段は忙しくしていて、そんなこと考えることもなかったから、雷雲に感謝なのかな。



祖父は、福岡の三池炭鉱を早期退職し、農業をしながら日本画を描いていた。
絵は、先生に弟子入りして勉強したそうだ。

子供の頃、日本画で使う岩絵具の元となる岩を山に取りに行き、それを砕く手伝いしていたのをよく覚えている。
それを膠で溶いて、自分で作った絵の具で絵を描かせてもらってた。
祖父は、100号くらいの大きな作品をよく描いていたので、手伝いたいって無理言って目立たないところを塗らせてもらったりしてたな。

小学校で絵の宿題が出ると祖父の横で絵を描いていた。
乾かすために一晩置いておくと、次の日には違う絵になっていた。水彩絵の具で描いたはずなのに、岩絵具が塗られてキラキラしてた。
その絵が賞をもらってしまった時は気まずかったな、、。
描きたい山の写真を撮りに家族みんなで旅行とかも行ってた。懐かしい。

僕がアートを買い始めた時は喜んでたな。
遊びに行く度に、色紙に描いたドローイングをくれてたし、ペインティングをねだったら綺麗な紅葉の作品をくれたこともあった。

この会社を始めた時はもっと喜んでくれてた。
うちのギャラリーで、個展をしたいって言ってたし。
それは叶えてあげれなかったけど、去年10月には自宅で回顧展をやってた。たくさんの作品の中からどれをどう飾るかの相談をされて手伝ったのはよく覚えている。良い作品がたくさんあったんだよなー。

記憶を辿れば辿るほど、僕のアートのルーツが祖父にあることは間違いない。これを書きながら、いろんなことを思い出して涙が溢れてきた。
でもそれは、悲しさもあるけれど、感謝の気持ちがの方が大きい。

祖父がいなかったら、アートをコレクションする楽しみや、アート業界が抱える問題を解決しようと始めたbetween the artsもなかったかもしれない。

本当に感謝しなきゃな。
おじいちゃん、ありがとう。

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