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気心の知れた、幼なじみみたいに。

「コーヒーと紅茶、どちらになさいますか?」

何度、この質問に答えてきただろう。そしてこの質問に対するわたしの答えは、学生時分までは間違いなく「紅茶」の一択であった。

おとなになって、会社員として働き始めたころ、ブラックコーヒーを「おいしい」と思えるようになった。今、仕事で集中したいときやちょっとスイッチを入れたいときには、自らコーヒーを選ぶ。コーヒーの香りは大好きだし、お洒落なカルチャーもかっこいいなあと憧れてしまう。

けれど、わたしの体質上、コーヒーは2杯以上飲むとおなかがゴロゴロとしちゃって、たくさん飲めなかったりもするのだ。

だから、いまでも。

たとえばカフェで、ケーキのお供を選ぶとき。はたまたランチの後に、ちょっとひと息つくドリンクを選ぶとき。

「コーヒーと紅茶、どちらになさいますか?」と問われたら、わたしの答えはやっぱり圧倒的に「紅茶でお願いします」なのだ。

* * *

紅茶も緑茶も烏龍茶も、実は同じ茶葉が原材料である。

そう知ったのは、おとなになってからだ。

こどものころ、わたしのなかでコーヒーと紅茶はどちらも「洋のもの」という同じカテゴリのなかにいた。「どちらも外来のものなのに、どうして紅茶はこんなに飲みやすくて、コーヒーは飲みにくいんだろう」。無邪気にそんなふうに思っていたのだ。

だからおとなになって、紅茶と緑茶は同じ茶葉が原材料で、ちがうのはその作り方、発酵具合なのだと知ったとき、「ああ!」と、妙に納得した。

日本家庭の食卓で、寿司屋で、蕎麦屋で。和のシーンの象徴ともいえる緑茶。湯気のたちのぼる湯呑を持ち、「ズズッ」なんて擬音語とともにすすられることも多い、緑茶。庶民にもなじみぶかい、あの深緑色の旧友。

そんな気心知れた緑茶と、上品なティーポットから注がれ、カップ&ソーサーで供される高貴なイメージの紅茶さんが、まさか同じ母から生まれたご兄弟であったとは。

そりゃあ、日本人のからだにもなじむはずだわ!

そう、深く納得したのであった。

* * *

コーヒーの香りは大好き。味も、少しだけ飲む分にはとても好きだ。脳が冴えわたる感じがする。でもやっぱり、わたしにとってコーヒーは、ちょっと集中したいときや、背伸びをしたいときに選ぶ飲み物だ。

調子にのって2杯目を飲むと、胃が痛くなったりして、あれ、やっぱりだめだったか、と苦笑する。コーヒーも紅茶もカフェインは入っているはずだから、カフェインだけの問題でもないんだろう。

たとえばアルコールでも、わたしはワインだとべらぼうに弱く悪酔いをしてしまい、日本酒や焼酎は同じ度数でも比較的強い気がするから、やはり土地柄と体質は少なからず、関係しているのかなと思う。誰しもルーツをたどればいろんなDNAが混ざっていると思うけれど、わたしはアジア圏の比率がきっと高いんだろうなあ、なんて。

だから、同じ書きものでも、ちょっとリラックスして日常のことを書いたり(noteとかね)、仕事とは関係ない本を読みたいときなんかは、紅茶を選ぶ。というか、考えるまでもなく、手が自然と紅茶に伸びている。

バターたっぷりのサクッとほろほろ系のクッキーがあるならば、ストレートティーを淹れてすっきりと。飲み物だけでゆっくりしたいときは、ミルク多めのミルクティーでまったりと。喉が痛いようなときには、はちみつを入れてこっくりと。

君とはもう長い付き合いだから、元気なときも、ちょっと落ち込んだり体調が悪いときも、そっと寄り添ってくれるのを知っている。

コーヒーが、わたしを鼓舞してくれる仕事仲間や、憧れの先輩のような位置づけなら、紅茶は、幼なじみ。パッと見は上品なんだけど、弱っているときでも話せる仲で、話しているうちに肩の力が抜けてゆく、やさしい友だち。

いつだって紅茶は、わたしのなかで、リラックスの象徴なのだ。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。