年を重ねてもにこにこしていたいなと思ったのでちょっと備忘録

年を重ねるとはどういうことか。というのを、ある小説を読んでいて唐突に思った。

小説の中では、嫁と義母が遺産相続の云々でなんやかんやとモメていた。昼ドラでも小説でも現実にもよく聞くような、ありふれたテーマなのだけれど。なぜだか私はそこへ登場する70歳近い女性にいつのまにかほんの少しだけ、憑依というか、いやそこまではいかないまでも、自分の視点をその老婦人に置いてみるような感覚に陥ったのだった。

私がその本を読んでいたのは郊外のショッピングセンターに入っているチェーンの喫茶店で、オープンスペースのようになっているから、周囲ではゆっくりと買い物を楽しむようなカップルや家族連れが行き交っていた。

そんな平和な時間と空間に突如、脳内には、生とは、死とは、という、ショッピングセンターで考えるには少々重たいテーマが(ことの発端は昼ドラ的嫁姑問題だったのに)降ってきてしまって、「はぁ」、とちょっとひと息ついて本にしおりをはさみ、目の前にある冷めたコーヒーを手にとって何気なく前を見たら、老夫婦が静かにお茶を楽しんでいる。

そのご婦人がまたなんとなく、自分の母親にも少しだけ似ている雰囲気で、自分の両親の数年後を見ているような気分にもなった。その老夫婦の穏やかに会話をされている様子を見ていたら、生とは死とは、というテーマより本質的には遠からずとももむしろもう少し噛み砕かれた、年を重ねるとはどういうことか、という冒頭の一文が頭の中に降ってきた。

その一文だけを頼りに、つらつらと何の構成もないまま、つれづれに今、文章を綴っている。どおりで、とりとめない。とりとめないまま、続けよう。

年を重ねていくってのはどういうことなんだろう、と考えるとき、たいていひとりで自分ごととして考えているとしんみりしてきてしまう。それはその先にどうしても自然現象として死というものがあるからで、なんとなくうやむやにそこから目をそむけることはできるけれど、まあそれは避けることのない事実としてそこにある。

その事実についてはそこにあるのだけれど、それを知ったうえでもあえて今日のところはちょっと横に置いておいて、今は年を重ねていくことの幸せな局面についてイメージを膨らませてみたい。なんでってべつに、今たまたまそんな気分だからだ。それから、私の視野に入るそのご夫婦がとてもそんなふうだから、かもしれない。

ここから脳内はまたちょっと飛んで、自分が素敵だなぁと感じるご年配の夫婦の共通点、みたいなところへゆく。今まで自分がそう感じたシーンを振り返ってみながら、思いつくままに共通点をあげてみると、私の中でのその共通点というのは、穏やかで、決して気取っていないけれど少しだけ上品さがあって、何より、にこにこしていて、そのほほ笑みだったり笑顔がとっても穏やかで明るいことだ。

以前、ある販売のアルバイトをしていたときに、とっても素敵なご夫婦と出会った。一度私が商品について説明して、少し考えるから…と売り場を離れ、しばらく戻ってこられなかったので購入は難しいだろうなと考えていた。だが数時間後に突然、もう一度売り場に戻ってこられて、その老紳士、というかとってもかわいらしいおじいちゃんは、満面の笑みで「買ってこうか〜!(ニコニコッ)」と私に宣言したのである。

そのときの、文字通り少年のようにキラキラと輝いていた彼のまなざしと、にこにこと形容せずなんと形容しよう!という優しくて柔らかい笑顔が、本当に心を打った。その傍らには、お連れのおばあちゃまがまた静かに、にこにこと微笑んでいらっしゃる。こんな言い方は失礼になるのかもしれないけれど、素直に表現すればそのツーショットが本当にかわいらしくて、私はしばらくどきどきしていた。

なんというか、少年の眼差しをその老紳士の満面の笑みの中に見たとき、この目の前のご夫婦が重ねてきた時間が、風のようにザワッと通りすぎたような気がしたのだ。もちろんそんなものは気のせいといえばそのとおりなのだけれど、確かに、このご夫婦がきっと若い頃に出会って、それから一緒に時を重ねてきたのだなということが、スッと腑に落ちたとでもいうか。

かわいいおじいちゃんとかわいいおばあちゃんは、パッと目の前にあらわれたわけじゃなくて、そうやって若い頃から、それぞれの時計をひとはりひとはり進めて、途中からはともに、時を重ねてきて、こんなにも人の心を打つほどの笑顔を見せてくれているのだ。

本当に、あのときの眼差しの中のきらきらは、私をハッとさせた。

思えば長い旅をしていたときにお世話になったいろいろなホストマザーやホストファザーたちも、魅力的だなと感じるひとたちはみな、いたずらっこの少年や少女のような気質をそのまま持っていたような気がする。

自分も、まわりのひとも、確かに年を重ねてゆく。赤ちゃんのころはすべてのことが新しくて、目をまんまるに見開いて世界をよく見ようとしていたのに、大人になるに連れていろんなことに慣れっこになり「そういうこともあるよね」として対処するようになっていく。

そうやって順応する力は確かに必要なのだけれど、でも同時に、何歳になってもいろんなことに感動していたい。晴れることに、雨がふることに、ごはんを食べることに、人と言葉を交わすことに、新しい技術に、古い伝統に、なんにでも。心のなかでは目をまんまるにみひらいて、刻々と変わってゆく世界をよく見ていたい。願わくば、だれかと時計を共有しながら。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。