ヒーリングについて考える
わたしがヒーリングについていま、考えることをおはなししてみます。結論から言うと、そして、これは極論でもありますが、ヒーリングとは、ただ愛の存在でいればいい。ということになります。
これでは、さすがにわかりづらいので、もう少していねいに説明してみたいと思います。
ヒーリングとは、ほんとうの自分に戻るための手助けだとわたしは考えます。
ほんとうの自分とは、生まれたときのまっさらな自分。だれかの価値観や、ものさしにさらされて自分を矯正する前の、純粋な自分。これが、ありのままの自分です。
「ありのままの自分で生きよう」と言うことばがひとり歩きしているように感じていますが、ありのままの自分をそもそも知らないひとがたくさんいます。
生きていくうちに、周囲に順応するために身につけてしまった、本来は自分のものではない価値観や観念、恐れなどをひとつひとつ、溶かしていき、ありのままの自分に出会い直し、生き直すための手段がヒーリングです。
愛について考える
ここで付け加えるとくどくなってしまいますが、続けます。ありのままの人間というのは、愛の存在です。ただ、自分でいることが、最大の愛です。
わたしの印象では、愛とやさしさを履き違えているひとが多い。やさしさは、ひとのためにするジェスチャー(行為)で、ひとのためという時点で、自分という軸からはずれてしまいます。ひとに喜んでもらうため、ひとに好かれるため、ひとに価値を感じてもらうため…ありのままの自分で価値があると思えない「無価値感」が根底に眠っています。
ヒーリングとは、自分(愛の存在)でいること
ヒーリングは、ヒーラーだけができるものではありません。本来だれしも、自分を癒すちからがあります。ありのままの人間は、愛の存在だからです。
ほんとうの意味で、ありのままの自分を生きているひと(そして、生きようとしているひと)が、話すことば、奏でる音、つくるもの、たべもの...
純粋な愛の存在が、純粋な想いから生み出すものは、すべて、ヒーリングです。本質的な愛というのは、無理に付加価値をつけようとしなくとも、エネルギーとして、たしかに伝わります。
それは、触れたひとのこころを開き、ほんとうの自分に立ち返らせることができるくらいパワフルです。
わたしは、IH(インテグレーテッド・ヒーリング)という信頼しているツールを使って、ひとがほんとうの自分に戻るプロセスの伴走ができますが、必ずしもIHだけがわたしにとってのヒーリングのセッションではないと考えています。
わたしがする、あらゆる表現はすべて、ヒーリングになると考えています。
わたしがほんとうの自分に出会ったときに出てきた深い望みは、自分を生きようとする純粋なひとたちが、ただ自分を生きているだけで、ゆたかになり、そのゆたかさが伝わって周りもしあわせになる、そんな世界を生きることです。
じつは、この景色は、すこしずつ見えはじめています。
ありのままの自分で生きることを許すということは、他人にも寛容になります。だれもが、生まれたときのように自由にありのままの自分でいられる世界。そんなやさしい世界で、わたしは生きたい。
みんながのびのび生きられる世の中を夢みて、活動しています。よかったら応援よろしくお願いします^^