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エンタメのスピリチュアル

スピリチュアルで有名なひとたちの対談を、たまたまYouTubeで見た。

対談の内容は、宇宙の法則のような話だったけれど、本を売るための動画で、ただの薄い話だったのでそれは置いておいて。

最後のほうで対談者同士の今後のビジョンを話していた。

「あなたはxxについての本を書くべき。それは、かならずヨーロッパでベストセラーになると思う」だとか、そんな話をしていて、まあ、そうなるんだろうな、実現するなと思った。

このとき面白かったのは、視聴者のチャット欄。見ているひとたちは、ただのファンだった。

「ヨーロッパ、行っちゃってください!」

だとか、このひとたちの活躍を応援している。応援してることを、楽しんでいる。それで?あなたは?

この手の動画を見てるということは、少なくとも、自分の人生をよりよく生きたいと思っているはず。だけど、よく見てみれば、このひとたちは、自分の人生を本気で生きたいわけじゃなくて、応援してること自体、そしてひとの人生を見て疑似体験してること自体が楽しいんだ。

これで、世に出ているスピリチュアルリーダーにずっと抱いていた違和感を理解することができた。

エンタメショーのスピリチュアル

有名なスピリチュアルリーダーが、「自分を生きたい」と思うマスに向けてセミナーや講座をやる。1対大多数。

ひとが変わる過程には、ある程度のところまでは伴走者が必要だとわたしは思っている。けれど、多くの場合、そこのサポートはほとんどないように見える。

それでは、結局ひとのことを救っているように見えて、まったく救っていないと思う。子羊は一生迷える子羊で、だからこそ商売が成り立つという世界。

このやり方は、わたしには不誠実に思えて、もやもやしていた。

安いテクニックを高く売り、実際にひとを救わないのは美容業界やらあらゆる業界に蔓延してるけれど、とくに精神を扱う世界、これはいいのか?と。

たけど今回のチャットを見て、確信したのは、これはエンタメのショーだということ。アイドルと、それを応援するファンとまったく同じ構造だった。

アイドルが活躍しているのを見て、楽しければそれでいいのだ。エンタメとしてしっかり成立していた。

ちゃんと自分を生きていた

もうひとつ納得なのは、スピリチュアルリーダーも、そもそも「ひとを癒す」ことが目的ではなくて、自分の本質を生き切ること、自己実現が目的なわけで、ひとの癒しはたまたまそのひとの得意なツールなのだ。彼らは、マスに向けて伝えるという自分の本質を、きちんと使っている。

自分が楽しくて、周りも楽しい。の法則が、一応成り立っている。

広告塔になるというそのひとにしかできないお役目をしっかり果たして、あとは受け取り手に委ねるという、信頼のなかにあった。ほんとうに変わるひとは、そこから自分の足で行動するんだから。

大きな宇宙のなかでは、こういう世界も必要なピースなので、それを好むひとがその世界で生きていればいい。

これまで否定する気持ちもあったけれど、楽しく自分を生きているならいいじゃないか、と思った。視点が変えられたことは、収穫だった。

「ああいうのは、よくない」みたいな制限は、持ってると自分が苦しいものだ。

ひとつ不自然だとすれば、拡大しつづけることにとらわれているところ。もっと富み、もっと知名度を上げることを続けているのは、行きすぎた資本主義の罠にはまっているように見える。

精神性を説く人たちが、「足るを知る」はどこへ行った?

そういうひとたちを見て、さて、わたしはどうしようか。

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