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【ピリカ文庫】いつかの花風

「ねえ、今幸せ?」初対面の女性から開口一番こんな事を言われたら誰だってフリーズする。だが、「少なくとも今にも屋上から飛び降りようとしている人に聞くことではないですね」と返すと「それもそっか!」と彼女はケタケタ笑った。なんか…折角、覚悟を決めたのに興が削がれてしまった。

「一旦こっち来なよ」彼女に言われるがまま、再度フェンスを乗り越えて安全な場所に来る。分かる、こうなればもう死ねない。「ほら座って座って」と彼女は左手で床をパタパタと叩き催促する。僕が彼女の隣に座るや否や、彼女は心底不思議そうな顔で「何で死のうとしてたの?」と聞いてきた。それを聞いてくれたことが嬉しいと思う自分に驚いた。でもそれが少し癪だったので「直球ですね」と皮肉っぽく言うと「そう?」とまた彼女はケタケタ笑った。

「別に珍しい話じゃないです」彼女の笑い声が途切れた後の沈黙に居たたまれなくなったのか、彼女の柔らかい雰囲気に呑まれたのか、自分でもよく分からないが僕は話し始めていた。「クラスのやんちゃなグループに目を付けられて、まあ、殴られたりお金を取られたり、そんなよくある話です」「そっか」と彼女は表情を変えずに言う。「先生とかには言ったの?」「そんなことして事態が悪化したらと思うと怖くて…」「え、死ぬより?」そう言われてどきりとした。その瞬間、恐怖が込み上げてくる。僕は、そうか、死のうとしてたのか。完全に自分の感覚が麻痺していたこと、死が実感を持って襲ってきたこと、色んな感情で脳みそがぐるぐるしていくのを感じた。

急に黙りこくった僕を気遣ったのか彼女が言葉を続ける。「なるほどね、それで君は死にたくなっちゃったわけか「誰がっっ!!」彼女が言い終わるより早く自分でも驚くほど大きな声が口を衝いた。さすがの彼女もびっくりした顔をしていて、それを申し訳ないとも思ったが続く言葉を止めることができなかった。「死にたいなんて、思うんだよ…」僕の消え入りそうな声を彼女がどう思ったかは分からない。同情を誘っているようで情けなくて俯いた顔を上げられなかった。

「じゃあさ、私と勝負しようよ」「…勝負?」彼女の支離滅裂な発言に思わず顔を上げて聞き返す。「そう、勝負」「どんな、ですか?」「私にはね、夢があるの。『良い人生だった』って言って死んでやるっていう夢」僕は彼女の言っていることが一瞬理解できなくて押し黙ってしまった。返事に窮している僕を見て彼女が「あ、今くだらないって思った?」と少し照れくさそうに言う。「いえ、そんなことは…だからさっき幸せかどうか聞いてきたんですか?」「うーん、まあそうだね。勿体ないなって思っちゃって」とまた彼女はケタケタ笑う。「だからさ、どっちが幸せな人生を歩めるか勝負しようよ」彼女の声とともに爽やかな風が吹き抜ける。「私が君の死ねない理由になってあげる」

彼女の言葉に不思議と憑き物が落ちたような気がした。誰かから生きていてもいいと言ってもらえるだけでこんなにも救われたような気持ちになれるなんて。「…ります」「ん?」「やります、その勝負」僕がそう言うと彼女はにやりと笑った。「それじゃ勝負成立ってことで、えっと…そういえばまだ名前聞いてなかったね」「束咲つかさです。大宮司だいぐうじ 束咲」「私は花江はなえ 茉希まき。よろしくね、束咲くん」

「じゃあそんな束咲くんに早速、幸せになる術を一つ伝授しよう」「いいんですか?勝負なんでしょう?」「だからこそだよ。今のままだと私の圧勝じゃん?それだと面白くないでしょ」冷静に考えればかなり失礼なことを言われている気がするが嫌な気持ちは全くなかった。不思議な人だな、この人は。「あのね、嫌だったら別に学校なんて来なくてもいいんだよ。でも勉強はしないと駄目。将来の選択肢を増やすためにね」「選択肢…」「そう、選べないのと選ばないのは違うよ」「なるほど、それは目から鱗って感じです」

「…って言ってたよね、君」「え?」「え?じゃなくて…普通に学校来てんじゃん!」茉希さんのツッコミが屋上にこだまする。事実、あれから約一ヶ月、自分は一度も休まず学校に来ていた。「もしかして全然響いてなかった?良い感じのこと言ったなってどや顔しちゃったよ…」「いや、そんなことはないです。ただ、」学校に来ないと茉希さんと会えないので、という言葉は流石に恥ずかしくて吞み込んだ。「…勉強はちゃんとするようになりました」「まあ、それならいいか。私ももうすぐ受験だし頑張らないとね」「そういえば茉希さん、高校はどこを受けるんですか?」「えー、私はねー、桜流おうりゅう高校かな」「え、桜流って県内で一番頭良いとこじゃないですか」「この人、そんな頭良かったのか…って顔してるね」と言われ、慌てて「そんなことないです」と返すと彼女はケタケタ笑う。

「ねえ、束咲くん。君も桜流に来なよ」「僕がですか?」「うん、周りで桜流受ける人いないから知り合いがいたら良いなって」「そんな気軽に受けれるレベルの高校じゃないですよ」「君なら大丈夫だよ」なぜかこの人の大丈夫は本当に大丈夫な気にさせるから不思議だ。「そんなこと言って茉希さんが落ちたりしないでくださいよ」「それなー」そんな他愛もない話をしているうちに茉希さんはあっさりと卒業し、自分は三年生になった。

茉希さんのいない学校は退屈だったけどそれでも来た。三年生に上がり、僕をいじめてたグループと別のクラスになったらいじめもぷつりと途絶えた。あいつらにとって僕はその程度の存在だったんだなという虚無感のようなものはあったが怒りはなかった。ただ、あの時死ななくて良かったと心底思っただけだった。そして退屈な日々は長く、だがあっという間に過ぎ去り、次の桜の季節がやってきた。

「本当に一緒に行かなくていいの?」母親の心配そうな声が玄関に響く。「大丈夫、一人で見に行きたいんだ」行ってきます、と残し玄関を出る。電車に乗れば恐らく自分と同じ行き先であろう人たちを何人も見かけた。電車に揺られること約二十分、目的地に着けばすでにそこにはたくさんの人がいる。笑顔で母親らしき人と抱き合う人、興奮気味に誰かに電話している人、涙で顔をぐしゃぐしゃにしている人。数分後の僕はどんな姿になっているだろうか。

(76、78、79、83、85、8…)「あった」僕の受験番号は桜流高校の合格者発表の掲示板に書かれていた。腹の底からぶわっと湧き上がる感情があり、目頭が熱くなる。(やった!まずは母さんに電話、いや…)本当はいの一番に伝えたい人がいる、そう思ったとき後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。「おめでとう」「…茉希さん」その顔を見た途端、涙が溢れて止まらなくなる。「おめでとうって…落ちてたらどうするんですか」「君なら大丈夫でしょ」と彼女は一年前と変わらない笑顔を見せる。

僕が泣き止むのを待って茉希さんは「ねえ、束咲くん。今幸せ?」と尋ねてきた。いつかの記憶がフラッシュバックする。「あの日、茉希さんに死ぬのを止めてもらったこと本当に感謝しています。でもまだ足りないものがあります」この人に再会できたら言おうと決めていた。大きく一つ深呼吸をする。「茉希さん、僕と付き合ってください。僕の幸せにはあなたが必要です」彼女は一瞬きょとんとしたがすぐに柔らかく微笑む。「いいの?それ、私も幸せになっちゃうけど」「構いません。負ける気ないんで」「言うようになったね」と彼女はケタケタ笑う。二人の門出を祝うように穏やかな風が桜並木を吹き抜けた。

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