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存在のエネルギー

正確な結果

私は中学・高校時代ともに美術部だった。専攻は油彩。デッサンの勉強もかなり真面目に叩き込んでもらった覚えがある。

「正確に描くために大切なのは、正確に見ようとすること。
たとえ結果が正確から離れても。」

中学校の美術部顧問のタカギ先生(数学)の言葉

最初聞いたときは意味がわからなかったけれど、デッサンを重ねる内にどんどんわかっていくようになる。例えば、白いティッシュボックスを描くとする。まずは平らな面の紙の質感や角の尖ったところ、触ったときの温度感あなど直接触ってみる。次にある程度の距離を置いて「置かれている状況」をみる。陽や、それに伴う影の現れ方、ティッシュボックスが存在していることそのものをよくよくみる。それらの儀式が一通り終わって、やっと描きだす。形や感触を、存在そのものを懸命になぞる。それが中学校の頃に教えられたデッサンの流儀だった。そしてなぞっていった結果、例え真っ黒なティッシュボックスになったとしても構わない、と先生は言っていた。

存在ってなんだ?

これらの儀式の中で私が一番面白いと思ったのは「置かれている状況」をみることだった。存在ってなんだろう?ティッシュボックスは私が置いた。部室の中には窓からの外光がきらきらとさんざめく。それを受けて箱は影を落とす。いわゆる順光になるように置いていた。その影に反射光が柔らかく入る。設置面は一番暗くなる。だからこそ箱の立ち上がりがちゃんとわかる…影と光。それは正に存在の証。普通にデッサンのために描くならこのくらいみるところで終わると思う。ある日、私はもっとみつめていたら何が発見できるのだろう?と白い箱を眺めた。いつもは5分から10分かけるところを確か30分近く観察していた。馬鹿馬鹿しいくらいに真面目にみつめていたらヒュンと動くものがみえた

デッサンにひそむ龍

それは細長くて、力強い、目にも止まらなぬ速さの線だった。例えるなら、中国の「龍」みたいなのの小さいのがティッシュボックスの中でぐるぐると回転していた。私は見逃してしまわないようになるべく目を離さず、静かに「龍」をなぞり始めた。その日は終校のチャイムまでがあっという間に感じた。スケッチブックには真っ黒な箱が残った。私が見つけたのは存在のエネルギーだと思った。ヒュンヒュンと力強く、幾重にも重なりながら閉じ込められた存在のエネルギー。私はそれを捕まえたくて、必死に鉛筆を走らせ、結果として黒い箱を描いた。

エネルギーを追いかける

その後、名のある美術大学の教授にそのデッサンを見せると「これはいい…非常にエネルギッシュだ。」と言われた。このエネルギーは観察すれば何物にも在るようだった。この「龍」たちを追いかけ続けることは存在の本質を知るための大切な手段に思えた。
生業がデッサンから離れた今も、私は「龍」を追いかけている。時折スケッチのための観察をしているとそれは徐々にみえてくる。私は自分に画家としての才能を見出さなかった。けれどその分、いろんな表現方法に手法を変えながら、自分の中の正確さを研ぎ澄ませてきたつもりだ。今、主に向き合っている映像では結果と事実が全て。白いティッシュを黒い箱にはしないのが定石だ。でも時に私は、あえて明るさを絞って、白をグレートーンに撮って物悲しさを表したり、ハレーション(白飛び)ギリギリの明るい画できらめきを感じてもらおうとしたりする。それは、私が正確な状況を私なりに飲み込んで正確に表現しようとしている在り方だ。導き手は言うまでもなく小さな「龍」たちに他ならない。

最後に

ここまで読んでくれてありがとうございます。存在と不在の間(あわい)は私がずっと追い続けているテーマでもある。映像やその他のものでも感じてもらえたら嬉しい。去年・今年と作れていないのが残念だけれど、YouTubeのリールをぺたり。是非ご覧ください。

YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/@citron_movie/

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