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「でも」が気になる踏切

たまに通る道で、電車の遮断機が下りると目に入る看板広告がある。

結婚相談所らしい。

草原を背景に、70歳くらいの夫婦らしき男女が、笑顔で並んでいる。

そして「うちの息子でも結婚できました」というキャッチコピーが目に入る。

周りには「高卒」「年収300万」「工場勤務」などという文字が並んでいる。

遮断機が上がるのを待つ間、自分には関係ないものなのに、それを見るとなぜか気持ちが沈む。

こちらの機嫌が悪いと、看板に向かって「それがどうしたって言うのよ!」と悪態をつく。
もちろん心の中で、だけど😅

でも、嫌な気分になるんだからしょうがない。

人それぞれご縁がありますよと言いたいのかもしれないけれど、「うちの息子でも」の「でも」が気に入らない。
他より小さめの文字で書かれているのも、逆に目立つ。

年収が1000万円を超えて、背が高くて、高学歴だったら、幸せになれる?絶対だよね?と言いたい。
あ、最近はもう三高ではなかったのか。
にしても、だ。

なんだか自分の生活に不満がありそうな言い方になってしまったけれど(私はOKです)、結婚するのに本当に大切なことって何だろうと思う。

人それぞれ大切にしたい価値観はあるけれど、将来性ってものもあるよ?

玉の輿とか高嶺の花とか、いろいろ言われる。

でも結婚相手って、一緒に人生を歩むことができる人ってことなんじゃないかな。

あの看板を見るたび、貴方にはきっといい人がいるよと、どこかの誰かに祈っている。

よく見ると、親のお見合いありますみたいなことも書かれている。
そうか、あれは結婚したい男性じゃなく、結婚させたい親に向けた広告なんだ。

私がモヤモヤしてしまうのは、子どもの結婚を親が決めようとしている、跡取りの息子に、孫の顔が見たい、そんなものを感じるからだったんだ。

自由にさせとけばいいのにと思うけれど、それもまた人それぞれ何かがあるでしょうから。

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