きれいじゃない○○

先月の診察で主治医に私の症状について
「きれいじゃない躁鬱」
と言われました。
長いこと通院し主治医も数名変わりましたが、はっきりと何かに診断されたことがなかったので驚きました。「きれいじゃない」とは、教科書に載っているような例ではないという意味で、医師に成り立ての人はそう診断しないだろうと言ってました。

腑に落ちていろいろ合点がいきました。私にはどうしても二つの状態があるのです。

調子が悪いのを鬱状態(鬱病ではなくてね)と思ってませんでした。よろしくないモードの自覚はありましたが、名の付くものか自信がなかったのです。自分についてとことん確信がありません。

気分偏重の範囲だと思ってました。鬱状態(めんどいからU)になるきっかけもないし、その間落ち込んでるのか怖がってるのかもわからない。人間関係や環境で説明できなくて、果たして苦しいのかどうかすら疑わしい。そんな心持ちなのです。
躁状態(S)も頭がすっきりしてやる気があるな、くらい。強いて言うならUと明確に違うときがS。

わかりやすくない。きれいじゃないです。

私は、考え方やS(まあまあ動ける)のときの行動で、U(動けない)のときがなくなるのではと思ってました。この足掻きが負担だったのです。

例えば、朝太陽の光を浴びるといいと思うのですが、Uのときはやらない。でも本当は浴びれるんじゃないかと思う。
自分のUはよくわからないけど本当のUではない(しっくり当てはまらない)から、Sのときに心がけ、SとUが地続きならば。本当は。

つまり、浴びる力があるのにやってないと思うのです。
「やりたいのにできない」と「やりたくないからしてない」は違います。
私は自分を、前者のふりをした後者だと思ってました。そして
「できるのに進んでやってない。お前は本当に回復したいのか?」
とねちねち無能な鬼コーチみたいなのが問うてくるのです。まぁそれも私なんですけど。
(今はシンプルに後者と思ってます)


SとUの落差は小さいので、派手に散財したり大ごとに取りかかって頓挫したり、内面の二極化が人間関係をこじらせたりはしないです。私の躁鬱のイメージはそれでした。

私はきれいじゃない故にひたすら、心の中が袋小路の悪循環に陥ってました。

きれいじゃないと理解したら、すっきりした心持ちです。変な話ですね。
アイデンティティの確立、有言実行、計画性、活発、明瞭、自信などが「美徳」なら私は不細工です。(さらなる面倒ですが、感情に自信はないけど他の面では自信家)


こんな風にやってきたわりにずっと、自分が好きです。他の自分が想像できません。
好きじゃなきゃ、きれいになろうとするのではないでしょうか。

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