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夢と現実の境

── よく夢を見ます。
夜中に1,2度必ず目覚めるため、その直前に見た夢を反芻しますが、やはり憶えているのは朝方近くに見た最後の夢です。
夢は脳が記憶の整理をしているのだ、と読んだことがありますが、確かに、まったく現実と異なる夢を見ることはなく、過去となんらかのかかわりがある夢が多い。
かかわりのない場合は、直前に観たり読んだりしたテレビ番組や本の情景と関係している。

以前、凡筆堂さんの夢エッセイに触発されて、夢を設計する小説を書きました。

子供の頃からほぼ毎晩夢を見ていました(たぶん)。それはジジイになった今も続いています。
「小学校の校舎(と思しき建物)に熊が入り込んで来たので逃げ回っていた」
というような危機、
「女性と芝生に座って映画を観ているうちに、彼女から誘われ芝生に倒れ込んでもう少しというところで目が覚めた」
というようなロマンス(と言えるかどうか)、
「海に投げ出されてから島を目指してずっと泳いでいるのに、いつまでたっても島影は近づかず次第に焦ってきた」
というような冒険譚(でもないか)、
── 目覚めた後も、現実との境がよくわからないまま、しばらく激しい鼓動が続くこともある。
このクラスの夢を見た場合は朝、妻に報告することにしている。しないとすぐに忘れてしまうからだ。
そんな夢、忘れたってどうでもいいだろう、とあなたは言うかもしれないが、本当にそうだろうか?

妻は適当に相槌を打って、右から左に抜けていくだけなのは間違いないが、誰かに話すことによって、私の中に残る。

誰かに話すためには、簡単に ── ではあっても整理してまとめなくてはならず、口に出すことによって記憶に残る。
《指差し確認》
と同じである。

誰でも毎夜夢を見ているものと思っていたが、ある時妻に尋ねると、
「私は見ないよ ── まったく見ない」
「ええーっ!」
そんな人間がいるとは、心の底から驚いた。
まあ、ノンレム睡眠中に見た夢は忘れ、レム睡眠中のものだけを覚えている、というから、ヤツは深い眠りが多く、酒飲みの私は浅い眠りばかりで見た夢を覚えている ── それだけの違いかもしれないのだが。

ただ、「夢見がちな少年時代」と関係あるのでは、と思うのが、小学校卒業ぐらいまでの性癖:
1.オネショがいつまでも直らなかったこと。
2.夜中に時々起きて歩きまわったり、何か話した後で再び床につき、本人はまったく憶えていないこと(夢遊病かと心配した時期もあった)。
である。

トイレに行きたくて我慢できない夢は子供の頃から現在に至るまでよく見る。オシッコがしたくてしたくて……ようやくできた、その時にオネショをしていた、ということは子供の頃によくあった。最近では「ようやくできた」夢を見ていてもオネショはしていない(もししていたら、ちょっとヤバいが……)。
逆に今では同じトイレでも「大」の方の夢をよく見る。ほとんど場合、他の人が注視している場所でしなければならない状況になっている。
かつての夢遊病のような症状も、やはり夢の中の行動と重なっていたのではないか、と思う。

******

5年ほど前、隣家に住む父から夜中に電話がかかったことがあった。
震えるような声で、
「賊が侵入し、**(母の名)が拉致された」
驚いて隣に向かった。
既に九十歳を超えていた父は寝室のベッドに座っていた。顔が強張っており、電話で聴いたことを繰り返す。
「隣の部屋にまだいるかもしれない」
とまで言う。念のために隣室を確認した。
「あのさ……お母さんは5年前に亡くなったじゃないの」
ここではっきりさせておくが、父は認知症などは患っておらず、その翌年自身が亡くなるその日まで簡単な日記さえ付けていた。
「……ああ? ああ……そう……か、じゃあ、あれは何だったんだろうか?」
確かに寝室に賊が入って来たという。

その時、インターフォンが鳴った。
私が出ると、警察だと言う。
「ああ……俺が通報したんだ」と心なしか肩を落とす父。
玄関に出て、老父が夢を見たらしいと告げ、お騒がせして申し訳ありません、と謝罪した。
父自身も玄関に顔を見せたので、簡単な聴取の後、警官は引き上げて行った。

父はバツが悪そうに謝り、私も眠りを妨げられて強張った表情のまま、自宅に引き揚げた。

父とは毎晩夕食を共にしていたが、夜は別々だったので、母がいなくなった孤独感を、寝室では一層感じていたのだろう。

自分自身の『夢と現実の境界の曖昧さ』を考えても、父の『夢現混同』は他人ごとではない。
ましてや、彼も少年時代、いつまでも夜尿症が治まらなかったそうであり、父子で遺伝的に共有している資質があるのだろう。

── あの時、もう少しやさしく対応すればよかった。
今になってそう思うが……もう戻らない。

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