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恵那の秋を愉しむ(山で★深読み)

岐阜県東濃の恵那・中津川は、名古屋から中央自動車道を使って気軽に行ける自然豊富な地域です。海外から友人が訪れると、恵那峡まわりの温泉と、中山道の宿場町、馬籠(中津川市)や妻籠(長野県南木曾町)に連れて行きます。

名古屋から出かけると、まず恵那市があり、それから中津川市、その後長野県入りする、という順序ですが、どうもこの恵那と中津川の位置関係に混乱するのは、恵那山が恵那市ではなく、中津川市の、それも東の端に位置するため、中津川より奥に恵那がある、という誤った印象を持っているからでしょう。

涼しくなってきたので、紅葉には少し早いけれど、恵那峡近くの料理旅館に1泊予定で出かけました。通常の料理から私が好まない霜降り飛騨牛ステーキを除いたシニア向けを予約しています。

1日目は手入れの良い、広々とした場所で相方とふたり、棍棒を振り回した後、山中の宿に向かいました。
ここは現在、1日2組しかお客を取らず、お風呂は2つあるので、それぞれ夕刻から翌日チェックアウトまでずっと貸し切り状態になります。
到着時のお菓子もこの宿ハンドメイドの栗蒸し羊羹で、甘過ぎずとても美味しかった! 手作り感満載!

風情のある宿の庭

ただし、部屋にトイレがない点、椅子がない点は不便ですが、後者はお風呂に行く途中に川を見下ろすデッキがカフェ風の造りになっており、そこにPCを持ちこんで、せせらぎの音を聞きながらカキモノをすることができました。

風呂上がりに川を見下ろすデッキでカキモノ
紅葉にはまだ早い

夕食の前菜は名物の栗とこの地のきのこづくし。

真ん中に巨大な茹で栗
飛騨牛は小さな甘露煮
その他は様々に工夫を凝らした茸入りの前菜

写真は撮り損ねましたが、揚げ物(海老を里芋で包んで天ぷらに)も蒸し物(豆腐真薯の南瓜蒸し ── 貴重なマツタケの切れ端が載っていた)も凝っていました。
お刺身だけは海のもの。

アマゴの塩焼きを出された時に、なんとなく違和感を感じたのですが、それは背中をこちらに向けていたため。

アマゴの塩焼き

翌日の朝食にはアマゴの甘露煮が出ましたが、やはり背中がこちらを向いています。
女将に尋ねると、
「板前の世界では『海腹川背うみはらかわせといいまして、海の魚はお腹をお客さまの側に向けて、川の魚は背中を向けて並べる習わしになっています。もともとは、海の魚ははらわたも食べられるけれど、川の魚は食べられないので ── 今では除いてお出ししますが ── 背中から召し上がっていただく、という意味だったようです」
とのこと。
長いこと生きてきても、知らなかったことってあるんだなあ、と思った次第です。
「でもさ、これまで鮎の塩焼きぐらいは料理屋で食べているけど、この違和感は無かったなあ」
「私も今回、初めて感じた!」
相方も同意見で、この『しきたり』通りではない川魚料理店も多いのかもしれませんね。

朝食は、アマゴの甘露煮と卵焼き以外はすべて山の野菜。
左手前はサツマイモの茎。

帰路には、栗きんとんの恵那寿や(観音寺店)に立ち寄りました。

恵那寿や観音寺店

この地域では、栗きんとんで有名な老舗しにせ和菓子屋として、1864年(元治元年)創業の『川上屋』と、さらに古い元禄年間以来の『すや』(最初は和菓子でなく、まさに酢を扱っていたらしいけれど)があります(もちろん、両巨頭以外にも美味しい店はたくさんある)。
どちらも《エース》は栗きんとんで、お茶を飲みながらお菓子を食べられる喫茶スペースもあり、この季節は行列ができていたりする。

私にはよくわからないが、『川上屋』と『すや』とは微妙に味が違い、亡き母は『すや』派で、隠居後は父と二人、かなり頻繁に昼神ひるがみ温泉(中津川からさらに恵那山トンネルを抜けた長野県阿智村にある名湯)に出かけ、この季節のお土産は必ず『すや』の栗きんとんだった。
その影響を受けてか、私の相方も『すや』派である。

さて今回、中津川の本家『すや』までわざわざ行くわけではなく、宿から恵那インターまでの帰路にある分家(といっていいかどうかわかりませんが、『すや』の娘さんと職人さんが結婚して暖簾分けしたという)『恵那寿や』でお土産を買いました。
栗きんとんの味は当然、『すや』派だそうです。

お店は9時から、喫茶コーナーは10時からなのでまだお客はいない。
栗関連和菓子がいっぱい!
自分たち用にはやはりこの栗きんとん、
お土産には日持ちのする栗せんべいを買いました。

帰宅後にお茶をいれて、栗きんとん、美味しくいただきました。

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