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晴旅雨筆(エッセイ)

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これまでの人生で書き散らしてきたノートの切れ端をちぎれ絵のように張り付けたエッセイ。本を読み、山に登り、酒を呑み、街を歩く。
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2022年6月の記事一覧

父を語れば [1/3] (エッセイ)

4年前に92歳で亡くなるまで父が暮らしていた隣家を取り壊すことになり、遺品を整理していたら、膨大な量の日記がありました。 古いものは彼が寄宿生活に入った13歳からで、中には「闘病日誌」と題された20代のノートも混じっていました。 定年退職後に母とふたり旅した記録を、写真と共に克明に綴る「旅日記シリーズ」もありました。 先月の「母の日」から3回に渡り、思い出を「母を語れば」と題して連載しました。 個人的な忘備録でもあり、果たしてnote読者の方々の興味を引くだろうかと心配で

テロリストの《核》パラソル (エッセイ)

藤原伊織作「テロリストのパラソル」は、1995年に江戸川乱歩賞、翌1996年に直木賞を受賞したミステリー小説です。 私は直木賞を受賞して間もなく全文を読みました。 オール読物の直木賞受賞発表号に全文掲載されたものか、ハードカバーを買ったのかはもう憶えていません。 主人公が事件に巻き込まれていくと共に、振り返りたくない自らの過去をたどらざるを得ない ── とにかく傑作でした。 電通に勤務していた藤原伊織は、ギャンブルによる借金を返済するため、当時(おそらく今も?)最高だった賞

「ことわざ辞典」を書き始めた頃と《ポリコレ》変化の波(エッセイ)

《新釈ことわざ辞典》を「つぶやき」モードで投稿開始したのは、ちょうどひと月前の5月20日からです。 この企画を思いついたのははるか昔、── 私が作家志望の学生だった頃です。 その半年前にキャンパスの印刷所で小説集を自費出版し、学園祭で販売しました。 赤字ながら完売はしたのですが、「次」が続かない。当時の出版は活字を組んでもらう必要があるため、かなりの費用がかかりました。 本を買ってくれた人の中に、大人びた女子中学生(2年、だったかな)がおり、喫茶店で会った時に、彼女が書い

【船頭多くして船山に登る】(新釈ことわざ辞典)記事版

結果的に船が山に登るようなイノベーションが生まれれば、当初の目的と異なるとはいえ、こんな素晴らしいことはない。しかし、ほとんどの場合、船頭たちは行き先や航海法を巡って主導権を争い、疲れ傷つき、船は難破する。野党共闘はなかなか成功しない。 まもなく始まる参議院議員選挙でも、《野党共闘》はあまりうまくいっていないようですね。 前回の衆議院議員選挙で立憲民主党が共産党と組んだら大企業労組の立民党離れが起こりました。 《船頭》がたくさんいると、乗船客は、 「一体、船はどちらに進む

「彼は《眠れる獅子》と呼ばれていました ── そして、とうとう、眠ったまま卒業していきました」 (エッセイ・披露宴スピーチ後編)

私に結婚披露宴での来賓スピーチを依頼しておきながら、《危険人物》に頼んだことを後悔し始め、前夜遅くに電話をよこし、 「明日はくれぐれも《常識》をわきまえてくださいね」 と釘を刺してきた「往生際の悪い」新郎の話です。 披露宴当日、東京の会場に出かけました。 バブル景気が始まるのはその1年後ぐらいですが、一流ホテルの中規模のホールを会場とする、超豪華な披露宴でした。 新郎の所属した研究室教授A先生の主賓スピーチに始まり、新婦側の主賓、新郎の会社上司、友人、……と挨拶が続いてい

来賓スピーチを頼まれた結婚披露宴前夜に新郎から《釘刺し》電話「明日はくれぐれも《常識》をわきまえてくださいね」 (エッセイ・披露宴スピーチ前編)

娘から、彼女の結婚披露宴で私が問題発言(問題行動?)をやらかすのではないかと警戒されていたことを記事(↓)の末尾に書きました。 彼女はかねてから父親のことを《危険人物》視しており、中学・高校の頃から、 「将来、結婚したい相手ができても、お父さんには会わせない」 「お父さんは結婚式には呼ばない」 と断言していました ── しくしく。 一応、式には呼んでもらえたので、当時と比べて、 ➀ 彼女が《寛容》になった。 ➁ 私の《社会性が向上》した。 のいずれかでしょう。 私を《危険

新婦が司会者でインタビュアー (エッセイ)

子供の頃から、 「結婚披露宴はしない」 と決めており、婚約者の賛同と両家両親の同意を得て、新郎新婦込みで出席者8名という、盛大な神前結婚式のみを行った私です(↓)。 もちろん、個人的価値観を子供に押し付けることはありません。 しばらく前に、 「娘さんと結婚させてください」 という男性が現れ、《郡上踊り試験》で合格(↓)した後、ふたりは入籍しました。 式は挙げないのかと思っていたら、横浜で神前での結婚式とホテルでの披露宴を催す、との連絡をもらいました。 参加者は30人余り

普段着《甲冑》の着付け(世界の家窓から)

先日、自宅前で刀を振り回す《危ないジジイ》ぶりを記事にしました。 河川敷でバットを振り回す《危ない佐々木小次郎》と似たようなものですね。 コメントでご指摘も受けましたが、この家は《清州城》とも呼ばれています。 《清州城》といえば、がんち父さんの柴田勝家に思いを寄せたレポートがありますね。 さて、私が普段着としている《甲冑》ですが、自宅から五条川にかかる朱塗りの「大手橋」を渡った場所に建つ「清洲ふるさとのやかた」で活動されている、 《清州甲冑工房》 の方々の手によるもの

自宅前にて、普段着姿で(世界の家窓から)

アリエルさん募集「世界の家窓から」は、自宅の窓から見える景色を持ち寄る、という企画でした。 軟弱な私は、自宅ではなく、近所の河川敷を《徘徊》した写真記事で参加しました。 その後、突然思い出したのは、数年前の年賀状に、 《自宅前にて、普段着姿で》 と題した写真を添えていたことです。 賀状の写真はツーショットだったので、同じ日に撮ったひとりの写真を以下に: 背後の《自宅》は、一般の方の住居に比べると、石垣がやや大げさに見えますが、これも敵を撃退するためです。建築の際には、