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恐らく性癖と性格形成のお話し

こんばんは、金曜の夜だってのにしみったれた話でごめんね
虐待だとか露出乏尿だとか堕胎だとか不愉快ワード満載だから地雷な人は避けてね

3才の頃妹が生まれ私と両祖父母と同居の6人家族スタート
男兄弟の居ない長男信仰地域だったので、ベルバラのオスカル様のような扱い、お前は大事な跡取り娘だからとなにかにつけて妹と差をつけられる
役割として長男、長女的な責任は私、可愛らしく愛されるのは妹といった感じ
違和感を感じつつも小学校に上がるまでは平和にすごしていた

他者との競争が顕著になると、祖母は「勉強を見る」と称して私のみを激しく苛んだ、特に怖くて印象に残っているのだが祖母はもともと小学校教師であり、1mある竹の定規を持っていた、それを手にぱしぱしと打ち付けながら隣に立ち、間違えると手の甲に振り下ろすのだ
祖母を満足させられない不甲斐なさと、痛みによる恐怖で涙が止まらなくなった頃、ため息まじりに祖母がいう「あんたに仕込んでもどうしようもないから妹を連れて来ましょうかね」
ここまで対応に差を付けられていても、私は妹を心からの愛していた、始めて家に来たあの日、おねぇちゃんだよってこの言葉に分からないながらも笑ってくれたような気がしたあの日から妹は私にとって最も大切にするべき存在で、狂った愛情の中でその無垢な存在が支えでもあった
祖母は内情までも知らないまでも、そう言うと私が良く言う事を聞こうとするのでお気に入りのフレーズだった

祖母に私が暴言や暴力を振うのは我が家ではねこが戯れあっている程度の当たり前だの日常だった
だから祖父も、父も、母も、その一点だけが抜け落ちているかの様に良き家族で居てくれた、妹は被害者であるので除外する、私はその違和感を明文化するには幼すぎたし、これが正しい愛情なのだと思い込んで生きていた、何故なら我が家はご近所からもお墨付きの理想の家族なのだから、当時7歳

ある日母に「もうおばあちゃんとお勉強したくない」とヘルプを出してみる母は悲しそうな顔をして「そんな事言ったらママも妹も困っちゃう!」と確かに言った
ある日祖父におばあちゃんが叩くのが怖くて仕方ないとも相談した事があった
祖父ば黙って背中をこちらに向けたまま「あまりおばあちゃんを起こらせるな」と一言残して仕事へ行った
父は私にとってヒーローだった、強くてカッコよくて憧れだった、大きな手のひらで「妹の事はお前が守ってやるんだぞ」と頭を撫でて貰えるのが大好きで、助けて欲しいなんてカッコ悪くて言えなかった
誰にも助けてなど貰えないのだから、私が我慢して守りたい物も守るしか無いと思った

その日の折檻は激しかった、内容はあまり覚えて居ないが私が私である限りどうしようもない要求だったのは覚えている
泣きながら寝室に引き篭ろうとする祖母に追いすがり、ふと吹き抜けを見上げるとまた悲しそうな苦しそうな申し訳無さそうな表情の母が私を見下ろしてした
その場で動けずぼんやりしていると、視線を逸らした母はどこかへ行ってしまった
どこか心の糸が切れる音がした

気がつくと近所の公園に居た
小高い場所にあるのだが手入れが行き届いておらず、柵に穴が開いてきたり基礎が宙ぶらりんになっているような誰からも忘れられた公園だった
振り返ると安産と子供の健やかな成長を祈る観音様が何の皮肉か私を見下ろしている

この公園は私が性知識も何も無く露出放尿に目覚めた場所でもある
良い子で居る為に心が限界に近づくとここへ来てずっと泣いていた
ある日気づいた「良い子じゃ無くなっちゃえばスッキリするんじゃない?」と
パンツを下ろして、実家に向けてスカートを捲し上げた
あの時の感覚は背徳感なのか開放感なのか今でも名状し難い、それから放尿がプラスされるのにそう時間はかからなかった

そんな誰も来ない私だけの場所、たまに穴から抜け出して岩肌に座って下を覗き込んでいた
ゴツゴツした岩肌が20mくらい続く
きっと死ねるのだろう
でもそれはしたくなかった、自殺を選んだ事実を残したく無かった
何故ならそんな家族でも憎むには私は幼すぎていて心の底から愛していた、愛されていると思って居た

話は戻り、糸が切れた私は号泣したままいつもの公園に居た
もう私が私のままで居るのは沢山だと思った
私じゃなない何者かになりたかった
馬鹿で役立たずで女で隣のあの子じゃなくて恥さらしで醜い化け物、私が私のまま許される事なんて無い
でも自殺はダメだ、大好きな人等を私のエゴで悲しませたくない
どうしたらと考え抜いた末に、私は柵の特に基礎がゆるそうな部分目掛けて無茶苦茶に体重を掛けては戻してを繰り返した、何回も何回も、これで事故に見えますようにと、このどうしようもない私とサヨナラ出来ますようにと祈りながら

派手に動きすぎたのだろうか、見知らぬ女性に声を掛けられた
彼女は殊勝にも地域で忘れ掛けられてる観音様へ安産祈願をしに来たところらしい
そんなハレの日にケチを付けてしまった申し訳無さで所在無げに立ち尽くしているとベンチに案内されて色々と話しをした
家と名前と住所だけは必死に隠し通した
バレたら生きて行けない、死ねなかったから生きてくしかない

なにを話したかあまり覚えていないけど、女性が言った「そしたらあなたがお母さんになった時はさ、やだった事は忘れずにやらず、嬉しかった事ばかりしてあげられるお母さんになれたらいいよね」って言葉は今でも耳にするこびりついてる
当時は希望の言葉だとおもっていたけど、今となっては呪いみたいな物だ

その後はスクスク露出したり初恋をしたり、家族に罵倒されたりとすごしていましたが中学に上がてからは平和に1人露出オナニーライフを満喫しておりました、因みにこの頃には内緒でマンコからうずらのたまごひりだしてました

変化が現れたのは高2の頃
snsで知り合って仲良くしていた一つ下の男の子に露出画像を今撮って送って欲しいと言われました、言葉は柔らかいんですが逃げ場を先に奪われている会話というか、送るのは確定みたいな、そういう感じ
相手は遠方の子だったので、私画像を送る為に1人放課後の教師で下着を脱いで不安そうに周りを伺う写真を撮りました、人に見せる為の露出が生まれて初めてで、不安そうな表情とは対照的にまんこは信じられない程濡れていました
その子はマンコに何本文房具入るかなーとか
全裸ででどこまで行ける?とか
自分じゃ考えも付かない事をさも当たり前のようにポンポン出してくれてびっくりしました
と、同時に化け物は私だけじゃ無かったのだと強烈な安心と恋心を抱きました

高校生を卒業して親元を離れて彼の元に通う日々が始まりました
おいでって手を広げてくれたあの安堵感を強烈に覚えています、その後の事はただ必死であまり覚えていません

デートしたり、ゲームしたり、所謂普通の恋人同士の時間の中でふと、私の口先にある彼の足の指を舐めたり、座ってる彼の膝に頭を持たれてボーッとしたり、彼の足の甲にキスをするのが大好きでした
全部何かで読んだだとか、やれって言われた訳じゃ無くて私がやりたくてやった事です、やりたいと思う事で喜んでくれる方が嬉しかった
だから私の全部で返そうと思って、よく分からない事も沢山したし、求められたら完璧に応えるよう努力していました

しかし碌でも無い人間には碌でも無い結果しか残らないんですね、行為中にゴムが外れていたんです
私は彼の子供を妊娠して、育てられるように奮闘しましたが18代そこらのガキンチョにそこまで世間は甘く無く結果堕す選択をしました、彼は最後まで抵抗していました、私が彼と赤ちゃんを天秤に掛けて決めました、自分で殺す事を決めたクソ女です
彼が世界の全部だと本気で思っていたので捨てられませんでした、ごめんなさい、誰に言ってるかわからない
自分すら殺せずズルズル生きてきた結果がこれかと酷く落胆しました

その後は結局私のメンヘラムーブに耐えられなくなってしまった彼も去ってしまって、長い長い性癖迷子期間と、傷付けてしまった人等のためにいい子にしていないと期間が行ったり来たりしています
お陰様で今までの人生結婚直前までまでこぎつけた彼氏に自分を押し付けるのが申し訳な過ぎて2人破局してます〜✌️生きる公害〜😭
因みに今でもコンドームは性病のお守りくらいにしか思えていません

分かりやすい人格形成としてはこんな感じだと思います、クソ暗い文章を最後まで読んで頂きありがとうございました✌️

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