劇場版ゆるキャン△~ボランティアの本質と需要の創出


劇場版ゆるキャン△をご覧になられた方向けの内容です。

以下はネタバレを含みますのでご了承の上お読みください。






TVシリーズから10年後を描いた劇場版ゆるキャン△について

各キャラクター一人ひとりにスポットを当てながら、この映画のテーマである「再生」とは何だったのか。その点について書いていきたいと思う。

そして、彼女たちの行動がいかに「私欲的」であり、それがどれだけの影響と需要の創出につながったのかを私の視点から解説していきたい。




第一章、志摩リンについて


山梨を離れ、愛知県で一人暮らしをする彼女の日常を描いたところから本編がスタートするわけだが、出版社で新人編集として働く彼女にとってのキャンプとはなんなのか。その点についてまずは語っておく必要がある。

TVシリーズから10年が経ち、一回り成長した彼女が出版社で働くその姿勢には、志摩リンというキャラクターを貫く姿勢が見て取れるようであった。


仕事は仕事、趣味は趣味である、と。

日常と非日常とは切り離して捉える彼女らしい真面目な性格はTVシリーズからも受け継がれており、学校ではまったくキャンプ好きを見せなかった彼女のそのままの様子が映し出されていた。


実際、彼女にとってキャンプは本を読むための手段だったわけだし、本が好きで、本屋でアルバイトをするほどだった彼女が出版社で働くというのは、なるほど、と合点がいった。
それでも、ただ本が好きだったという彼女がズバズバと仕事をこなすにはまだ経験不足であり、物語冒頭では、書こうとしていた記事を編集長にボツにされたりと、キャンプをしている以外では至極真っ当で普通である彼女の日常や奮闘が描かれていた。

そんな新人編集として転身した彼女は、この時点ではキャンプを仕事に繋げようという意識はまだ見られなかった。

キャンプは趣味、仕事とは関係ない。

キャンプとは非日常のものであり、それを仕事とつなげる発想自体がまだ出来上がっていなかったのだろう。

高校時代からあくまでソロキャンプにこだわっていた彼女は、自分の時間を有意義に使うためにキャンプを行っていたわけで、その主義主張は野クルの経験を通しても、大人になっても、なお、そのまま変わらずにいた事が仕事に対する姿勢からも伺える。

そして、突然の来訪者。

この高校時代の友人である大垣千明との再会によってもたらされたモノは何だったのか。


それは、
「キャンプの経験も仕事に使えるんだ。」

と、いう発想だったと思う。

会社で、同級生とキャンプ場を作っているという話題を上司と話していた際
「それを記事にすればいいじゃん。」
と、言われるまでその事に気がつけないでいた志摩リン。

その事を編集長に伝えるとその場でOKをもらい、仕事場では今まで見せなかったであろう笑みを受けべながら、早速取り掛かっていく姿が印象的であった。

半ば強引に連れてこられ、仕方なく野クルメンバーと共にキャンプ場作りに参加した志摩リンだったが、それによってもたらされた「発想」は、その後の仕事観、人生観に大きな恩恵をもたらす結果となっていったに違いない。

現に物語終盤、キャンプ場で高校時代に愛用していた原付きを活用した彼女は、その後の記事で原付きに関する内容を執筆していた。

「好きなことを仕事にしても良い。」

「好きなことを書いている時間は楽しい。」


キャンプ場作りに参加していた間、たしかに先輩に気を使わせていた事はあったかもしれない。
しかし、それは先輩が後輩を送り出す一種の儀式のようなものであり、仕事ってのはこうやってやっていくものなんだ、と、刈谷先輩の声が聞こえてくるような気さえする。

※刈谷先輩の声を担当した利根健太朗さんは「もじゃキャス」でしたね。


愛知から山梨という移動距離を考えても決して簡単な事ではなかったであろうこのキャンプ場作りであったが、その結果、彼女は
「自分の経験には何一つ無駄なものなんてない。」
と、人生におけるそんな「発想」を得たのだと思う。

そうと分かれば、「巻き込まれた」などという考えはもう志摩リンには存在しないだろう。
自発的に取材という名目でキャンプ場を巡り、記事の執筆とキャンプ場作りの視察を同時に行うというこの行動は、以前までの志摩リンには決して無かった発想だったように思える。

その中でも、かつて通っていた本栖湖キャンプ場の管理人との会話はとても心温まる場面であった。
ソロキャン少女だった彼女が、今度は仕事としても訪れてくれた。
その事が、キャンプ場の管理という仕事に就く人間にとってどれだけ嬉しかった事だろうと、その感動がこちらまで伝わってくるような一幕となっていた。

ボランティアの本質とは、この「自発性」を起因とする。

あらゆる行動や経験は繋がっており、自ら行う、考えると言うこと、そこにどんな意味や主義をもたせるのか。

それは本人次第なのだ、と、この志摩リンの行動に見ることが出来るのではないかと、僕は考える。



さて、キャンプ場作りの経験や友人からの言葉をキッカケに日常と非日常をうまいことミックスする手段を得た志摩リンとは対象的に
「好き」をそのまま人生のベースとしてしまった登場人物について、
次は考えていきたいと思う。




第二章、各務原なでしこについて


各務原(かがみはら)なでしこは、引っ越してきた山梨で偶然にも志摩リンと出会いキャンプに目覚めるキッカケをもらった人物である。

その後、TVシリーズで描かれた野クルメンバーとの活動を通じ
「もっと多くの人にこの感動を届けたい!」
そんな思いから、東京でキャンプとアウトドア用品の店に勤め、キャンプ好きを地で行くどころか、本当に「受け取る側」から「与える側」へと成長している様子が描かれていた。


そんな各務原なでしこは、おそらく今作においてもっとも「需要の創出」と「再生」というテーマにフィットした人物であったと思う。



少し話は逸れるかもしれないが、キャンプのような趣味に使う物を扱う店舗で働くにあたって、最も重要なことは何であろうか。

それは、「キッカケ」を与える事であると僕は思う。

インターネット通販でありとあらゆるものを購入できるこの時代にわざわざ店舗に足を運んでくる客が望んでいるもの。

それは、実際に商品を手に取る事ができるとか、サイズ感が確かめられるとか色々あるとは思うが、そういった客とのやり取りの中に「生きた声」をもたせる事で、キャンプという趣味の敷居を下げたり、新しいステージにあがる「キッカケ」を与える事が重要なのではないかと僕は考える。

劇中でも、店に来た女子高生達に「キャンプは簡単」と話しつつも、もしかしたら向かいのお店に良いものがあるかもしれないと勧めている姿を見ることができる。
これは「キッカケ」を与えつつも、おそらく女子高生にとっては価格設定が高い店でなでしこが働いている事が伺えるシーンである。
どんなに接客しても無い予算は出てこないわけであり、時間をかけるだけ無駄なパターンであると、なでしこも理解しているのだ。

それなら、と、隣の店も見ておくと良い、と、最初はどんな形でもちゃんと楽しめる事を伝えつつ、店長が言うように
「戻ってくるかもね」と、いう部分に期待する。

「好き」をただ押し売りするわけではなく、そこは店員として柔軟な対応を見せるなでしこの成長ぶりに感動する場面である。




そんななでしこも高校時代に志摩リンから少しの工夫で「キャンプ」は成立すると教えられ、その後ですぐにキャンプ場で仲良くなった子どもたちにその事を伝えたり、好きな料理をキャンプに持ち込む発想を得たりと、周囲にその楽しさを伝えることを当時からごく自然にやっていたように思える。


「好きな事を好きのまま人生とする」

キャンプも野クルもキャンプの楽しさを伝える事も、そのすべてが彼女の中で同じ「好き」として扱われ、素直に、真っ直ぐにその気持のまま生きていく彼女のその「美しい精神」が、この作品においてもひときわ輝いていたような印象だった。



余談ではあるが、TVアニメ版放映当初、「各務原なでしこ」というキャラクターが少々うるさいというか、苦手に感じる方も居たのではないかと思う。

「けものフレンズ」という作品のサーバルちゃんを彷彿とさせるこのキャラクターの真っ直ぐさや人間離れした素直さに違和感を感じてしまう事、好き嫌いが分かれる事はもはや仕方のない事ではあるが、アニメだからこそ出来る「美しい精神」の表現こそ、このゆるキャン△という作品の一つの魅力であり、アニメの良さである、と、そういった点も改めてお伝えしたい事だったりもする。



さて、キャンプ場作りの話を大垣千明から聞いたなでしこが、需要の創出だとか再生だとか、ボランティアだとか

そんな考えはまっっっっっったく持ち合わせていなかった事はこの
「美しい精神」という話でまとまってしまうわけだが

実際に彼女がキャンプ場作りに参加したことによって創出される需要について少し触れておこうと思う。


前述した通り、彼女がキャンプ用品店で働いている以上、そこに新しいキャンプ場との繋がりが生まれることは利益に繋がる。

話題作りにするには「土器」や「ダイヤモンド富士」はうってつけであり、大垣千明の所属する観光推進機構との繋がりもまた需要の創出という観点から見ると利用する価値はあるように思える。

実際に物語の終盤で、なでしこの働く店からレンタルしてきたテントについて
「テント貸してるんやな」というセリフがあったわけだが

あのセリフは映画を鑑賞していた我々にとってもリアルな宣伝効果を持っていた。
(あ、こんなデカいのならレンタル良いかも)
と、思った人も少なからず居たはずであり、実際十数万もするようなテントも数人でレンタルならそこまで驚くような金額にはならないようである。

劇中で店のレンタルを活用して野クルメンバーでキャンプを楽しんだり(おそらく経費で)、なんなら月額のレンタルでキャンプ場に貸し出してしまうのも良い。

なでしこの店の店長としても、有給を使っても構わんぞ!と、いうくらいの気持ちで見守ってしまうであろう。

そんな各務原なでしこの「美しい精神」が地元山梨のキャンプ場と自分の店を繋ぎ、そこに新たな需要を創出していく


その少し前の場面

なでしこに最初のキッカケを与えた志摩リンとの露天風呂での会話がまた素晴らしいシーンであった。



「大人になっても出来ないことはある。だけど、その中でできるようになった事を多くの人に伝えられるようになる、それが大人なんだ。」


「美しい精神」



「私にキャンプを教えてくれたのは、りんちゃんなんだよ。」


そんな真っ直ぐな心からの笑顔を見せるなでしこに、志摩リンは自らが失っていたものを見いだせたのではないかと思う。


「りんちゃんが教えてくれたこと」

そう話すなでしこに
「りんちゃんが見失っていたもの」を取り戻す志摩リンがそこには居たのではないだろうか。


こうして、もう一つの「再生」をもたらした各務原なでしこ。

彼女の「好き」に対する思いが多くのキッカケを与え、地域に、そしてこれから出会うであろう多くの人々に楽しさを伝えていく事は想像に難くない。

それが「需要の創出」となり、これからもどこかで利益となってなでしこの元に返ってくるのだということに

おそらくずっと、彼女は気が付かないままなのだと思う。



さて、そんなキッカケに自らの理想を重ね、再生を願った登場人物について

次に語っていきたいと思う。




第三章、犬山あおいについて


幼なじみとして大垣千明と友人関係にあったあおいは、野クルのメンバーとして当然のようにキャンプに参加していた一人だ。

そんな彼女は、今は地元山梨で小学校の教員をしているという。

おそらく大垣千明が地元に戻ってくる時も、余っている土地でキャンプ場を作ろうという話も最初に聞いている人物であったと思われるが、そんな彼女がキャンプ場に求めるもの

それは、地元の子供達のコミュニケーションの場である。

あまりにも素直にそのとおりである。



その通りであるが、本当にそれだけであっただろうか。


犬山あおいという人物について語る上で、少し高校時代の彼女についても触れておこう。

キャンプをやりたいと言い出した大垣千明と共に「野外活動サークル」を立ち上げ、後に現れる各務原なでしこや志摩リンと共にキャンプを楽しんでいた犬山あおいだが、彼女が率先してキャンプへ行こうとする描写は少なく、むしろサポート役に回っていた印象が強い。

各務原なでしこの行う料理は「美味しいものを食べたい」という自分の為の料理であり、自らひとりキャンプやキャンプ料理を行っていたのもその為であった。
一方、犬山あおいのする料理とは「美味しいものを食べてもらいたい」という意欲が強かったように思える。
野クルメンバーの行うキャンプに参加し料理を振る舞い、妹のあかりが参加した際にはメンバーたちと遊ぶ妹の姿になにか将来性を感じ取ったのかもしれない。


物語開始時点ですでに自分の勤め先の小学校が廃校になることが決まっており、キャンプ場作りにごく自然に参加しつつも、そこに込めた気持ちは誰よりも強かったはずである。

「再生」というテーマは、もちろん山梨の現状への訴えもあったであろうが、犬山あおいがこの「再生」に込めたもう一つの想い。


それは「野クルの再生」なのではないだろうか。


もっと穿った言い方をすれば
「野クル時代に見ていたあの光景の再生」とも言える。


廃校となった自分のクラスの子供達と転校先の子供たちとの交流の場を設けたい。そして、その場所に元あった学校の遊具を移転したい。

たしかにそういった教師としての面から見た「再生」のテーマは自然な流れではあったし、キャンプという活動を通じて子供たちの交流を図ろうという彼女なりの想いがそこにはあったであろう。

しかし、それだけなら教師という立場を使ってでも子供たちと学校のイベントとしてのキャンプを企画すれば成立した話である。

降って湧いたキャンプ作りという計画に乗っかる形でその機会を利用した彼女は、あくまで自発的にキャンプに関わろうという姿勢をここではあまり見せてはいないのだ。

偶然居合わせた友達と、偶然集まった仲間と、偶然生まれた町で偶然にも立ち上げられた企画に参加した犬山あおい。


そして、それが彼女の、彼女にしかできない「ボランティア精神」の現れなのだ。


地元山梨に残り、自分の趣味や主張を含まず、ただそこにいる人々に献身的に、時に奉仕的に教師という立場に自らを埋没させる犬山あおいの行動は、他のメンバーの誰にも行えない姿勢の現れなのである。

現実問題として、このキャンプ場作りが彼女の身の回りになにか好影響を与える事は無いであろう。
どんなに素敵なキャンプ場が出来たとしてもあおいの所属していた小学校が廃校になることは決まっており、教師として直面する山梨という土地の過疎化や少子化といった問題にも恐らくなんの影響も与えることはないと思われる。

キャンプ場作りの経験を通して次のステップへ踏み出した志摩リンや各務原なでしことは違う視点から、犬山あおいはこのイベントを見ていたことだろう。

実際に野クルだったメンバーのうち3人は山梨を離れ自分たちの歩むべき道を切り開いていっており、どんなに山梨という土地にキャンプ場を作ったとしても、根本的な問題の解決には程遠いのは明らかなのだ。

山梨という土地にとどまり10年という時間がもたらしたもの、成長や進展、そして、寂しさや静けさといった機微に触れる場面もまた、この映画の一つの魅力につながったのではないかと思う。


それでも、そんな些細なあおいの願いを叶える場所にふさわしいキャンプ場が出来上がったのでないだろうか。
あの楽しかった高校時代の日々を思い返しながら、野クルの、そして地元の人々が楽しんでくれる場所であってほしい。

あの頃のような、笑顔の溢れる場所であってほしい。


結果、人々の幸福を願う犬山あおいの「再生」への想いが詰まった、なんと素晴らしい場所になったことか。


「再生」から「未来」へ


犬山あおいが見る、彼女だけに見える景色が、きっとそこに広がっているのではないかと、僕は思う。


さて、そんな他者への想いをずっと高校時代から胸に秘めてきたもう一人の登場人物がいる。

これまで紹介してきた3人ともまた違う視点をもつその人物について

次は語ってみたいと思う。




第四章、斉藤恵那について


志摩リンの友人として、TV版では少々ミステリアスな印象で登場した斉藤恵那。

しかし、蓋を開けてみればわりとマイペースなだけの普通の少女であり、劇場版においても最も変化の少なかった印象の人物である。

そんな彼女を印象付けるのは、もちろん愛犬チワワのチクワ、いやちくわの存在である。

ペットトリマーとして神奈川県は横浜で働く彼女が高校時代から語っていた夢が、今作でもそのまま描き出されていた。

「ちくわにいろんな景色を見せてあげたい。」

彼女もまた、突然の計画に自らの思いを託した人物であったわけだが、他メンバーとはまた違う視点と役割をもって参加していた部分について、少し詳しく見ていきたいと思う。

TV版の中で彼女自身が言っていた「私のわがままかもしれない」というセリフの通り、ちくわという存在に対しての想いや意識は誰よりも強かったものの、それが今計画における「ボランティア精神」や「再生」、「需要の創出」といったテーマとはそこまで結びつかないことは言うまでもない。
あくまで彼女とちくわの関係性に特化した意識だからである。

むしろ、斉藤恵那という存在を通じて、ペットという存在への想いを描いたスタッフの意欲にこそ、この映画のもう一つの視点があるのではないかと僕は考える。


なぜなら、アニメ作品におけるペットやマスコット的キャラクターの扱いであるなら、どんなファンタジー的要素を加えてもさほど違和感にはならないはずだからである。

しかも、この劇場版の続編が描かれる事が無いのだとすれば、ちくわにとっての10年が本当に犬という生き物にとっての10年である必要も無いはずである。

しかし、そうはしなかった。実際にチワワの平均的な寿命は12~14年ほどらしく、「ちくわもおじいちゃんだからね」と、いうセリフの通り、老犬としてのちくわの姿が描かれている。


これは、「ゆるキャン△」という作品にとって、ちくわというキャラクターをどれだけ尊重しているかが伺える点である。


先程、ペットやマスコット的なポジションのキャラクターならファンタジー要素を加えてもそこまで違和感はないであろう、と、説明したばかりであったが、このゆるキャン△におけるちくわという存在が、この世界に生きる一人、いや一匹のキャラクターとして尊重されている事の証なのである。

誰一人特別扱いはせず、皆がそれぞれの視点を持って描かれるのが
このゆるキャン△という作品である。
野クルメンバーそれぞれの想いが詰まったこの新しいキャンプ場のように、どんな形であっても受け入れてくれる、大人も子供も家族でもソロでも犬だって同じなんだ。

そういった思いを持ってキャンプ場というものはそこに作られている。

だからこそ、キャンプ場を利用する人々はキャンプ場を大切に、そして、自然というものにわずかでも感謝の念を持って接する事が大事なのであると

そんなメッセージをもたらしてくれる存在だったのではないだろうか。


キャンプ場計画が頓挫しかける中、恵那がちくわと日常を過ごすシーン。

「温かい」
と、彼女は、このちくわと過ごす時間にきっと様々な思いを込めていたに違いない。

ペットと過ごす日々の儚さや暖かさ、そして自分たちの手で作り上げたキャンプ場でいつかのように走りだすちくわに希望を見出しながら、この物語のその先に思いを馳せる事が出来たのではないかと思う。




それぞれの視点や意識、そして「需要の創出」、「再生」

そして、「未来」


夢や希望を込めたキャンプ場作りのそのキッカケを作り、計画し、最後まで全員の想いを諦めなかった、そんな生粋の「なしっ子」について

最後に語らざるを得ない。





第五章、大垣千明について



「千明!お前がナンバーワンだ!!!」



今作で最も大きな役割を担った人物、それが大垣千明であることは言うまでもないだろう。

山梨出身で生粋の「なしっ子」を自称する彼女は、一度は県外に出て働くも、後に山梨県の観光推進機構に転職することとなった。

地域の人々との交流を図りながら地元山梨のPRのために奔走していたであろう彼女に、ある時、一つのプロジェクトが持ちかけられる。

それが、今作のメインテーマとなる空き地の再開発計画である。


と、まぁここまでは映画をご覧になられたみなさんも承知の事であると思うが

つまり、この物語の本当のスタートは、大垣千明が空き地の再開発を依頼された時点から始まっていたということになる。


現場となる空き地の場所はアニメオリジナルで設定されたもので、富士川町髙下(たかおり)をモチーフにして再現されたようである。
日の出が富士山と重なる「ダイヤモンド富士」の見られる人気スポットであり、地元出身で観光推進機構に所属する千明がそれを知らないはずはない。

現場を紹介された彼女が真っ先に犬山あおいに連絡し、キャンプ場を作ろうと昔話を交えながら話す様子が容易に想像できるのだが

そんな犬山あおいからきっとこう助言されたに違いない。

「そんなら、志摩さんに聞いてみるのがええんやない?」

それに対して電話越しの千明が
「ん~、あぁ…」とか「そうなんだよねぇ…」
などと言いながら、頬を指でポリポリと掻いている姿が目に浮かぶようである。


そんなことは、言われなくても分かっていた大垣千明。

彼女の脳裏にはこの時すでに、この空き地の再開発計画を野クルメンバーで利用してやろうという算段が出来上がっていたに違いない。

野クルメンバーが集まれるキャンプ場を自分たちの手で作り上げ、それがそのまま地元住人にとっての憩いの場として活用され、新たな雇用が生まれ、更には、山梨の魅力をPRするための観光資源となる。


まさに完璧の一言に尽きる。


キャンプ場建設のためのボランティア募集という点もそれで解消できる。
キャンプに精通し、共に野クルの活動を通じて親交を深めてきたあのメンバーほど、この件にうってつけの人材はいないのだ。

が、その為には志摩リンの説得という課題が残されていた。


TVシリーズでも志摩リンをキャンプに誘う際にド緊張した様子を見せていた千明は、実のところ人見知りの部分が強い。

おそらく数年はメンバーで集まってキャンプにも行けていないであろう状況で、千明は志摩リンを誘うために相当悩んだことであろう。

志摩リンはこの計画にとってなくてはならない存在であり、志摩リンの参加によって各務原なでしこの生産性は否応なく高まり、斉藤恵那の参加もおおよそ見込める状況になることは間違いない。

そして、悩み抜いた彼女が、あれから10年の時を経て大きく地元山梨で躍進した大垣千明がその後取った行動とは



そう、アポ無し凸である。


ここで、物語の始まりを告げるこの大胆かつ緻密な作戦の全容について、勝手ながら解説してきたいと思う。


志摩リンの働く愛知県は名古屋市にやってきた大垣千明。
志摩リンの休前日を狙い、偶然を装ってしまりんに連絡を入れる。

あくまで偶然を装い飲みに誘う。

そんな偶然があるわけはないのだが、突然来られ飲みに誘われると付き合ってしまうのがしまりんである。

そんな飲みの席で現在の仕事についてなどを話している様子からも、最近はあまり連絡も取っていないことが伺える二人。

それからは酒の勢いも手伝いつつ、千明が空き地を何かに利用したい、などと遠回しにしまりんに説明していく。

すると、しまりんから「だったらキャンプ場に」と、待望のセリフを聞き出すことに成功する千明。

これが彼女の最初の狙いである。

大都会名古屋で、ローカルとはいえ雑誌の編集者として仕事をする友人と、山梨の観光推進機構で働く自分、もちろんしまりんはそんな事は微塵も気にすることはないはずだが、それでも千明にとってはここにいくらかの隔たりを感じてしまうのは仕方のないことなのである。
しかも今更、地元山梨の空き地にキャンプ場を作らないか、しかもボランティアとして、こんな話をして受け入れてくれるのだろうか。

そんな不安からか、千明は、まず最初にしまりんを「キャンプ」という土俵に上げさせたのである。

趣味の話になってしまえばこちらのもの。

そこには都会で働く旧友ではなく、ともに野クルのメンバーとしてキャンプに行ったかつての仲間という関係が成立する。

さらに何件かハシゴをしながら、互いに昔話や仕事の話など、他愛のない会話で(千明が勝手に)盛り上がっていったに違いないが、そこにも千明の綿密な計画が込められていた事に
この時のしまりんも視聴者も気がつくはずがなかった。


時刻は深夜をすぎ、何件目かの居酒屋を出た時、千明が動きを見せる。

その場を通ったタクシーに無理やりしまりんを乗せると
なんと向かった先は山梨県は高下。

そう、急遽キャンプ場予定地にしまりんを連行したのである。

途中で仲間たちへの連絡も怠ることのなかった千明は、そのまま到着した高下のキャンプ場予定地へしまりんをリリースする。
と、その場でいびきをかいて寝てしまう。(これも寝たフリであり、すぐにしまりんの後をそっと追いかけていた。)

仕方なくしまりんはまだ暗いその土地を視察し始める。段になった斜面、老朽化しているもののまだ利用できそうな建物、なぞの金属フレームの構造物、通称「鳥かご」。

なるほど、これは面白そうかもしれないと思っていた矢先、しまりんの目の前に現れたのは、

そう「ダイヤモンド富士」である。


その美しい光景に不意打ちをくらい立ち尽くすしまりん。

そんなしまりんの背後からそっと声をかける千明。


しまりんを説得するには多くの言葉よりも、実体験を伴った美しい経験こそ必要であると考えた千明のこの作戦。

まさに完璧である。

突然の訪問を装い、最も困難であると思われた志摩リンの勧誘を完了させた千明。

その後、計画通りにキャンプ場建設を進めるメンバーに対して役割分担を行う場面でも、この大垣千明の手腕が冴え渡っていた。

特に志摩リンに対して総合リーダーを与えることで、彼女の責任感の強さをモチベーションに変え、千明自身は裏方として、決して目立ちはしないが彼女にしか出来ない部分に仕事を集中させることで、野クルメンバーそれぞれの長所を見事に発揮させる分担となっていたように思える。


さて、順調に見えたキャンプ場計画であったが、ちくわが拾ってきた土器の破片によって事態は急変する。

そして、この時に大垣千明が見せた判断とその行動こそが、今作を感動のフィナーレへと導く最も重要な要因となった、と、僕は感じたのだ。


例えば、この発見が10年前のTVシリーズだったとしたらどうだろうか

おそらく事情に詳しい大垣千明が、この辺りでは縄文時代の土器が出るんだよ、などと説明し、犬山あおいが程よい加減のホラを差し込むと、その後メンバーで甲府あたりの博物館へ見学しに行く。
と、まぁそんな場面が描かれ、それはそれで山梨と縄文土器のPRにはなったであろう。


だが、10年後のメンバー、そして大垣千明にとってはそれだけでは済まされない。何故なら、彼女は山梨県の観光推進機構の職員だからだ。

この土器の破片と思われる物が見つかったことで、キャンプ場の作業は中止となり、それどころか、その後の再開すら危ぶまれる状況にまでなってしまう。

映画を見ている我々の視点からはそう見える。


だが、大垣千明はこの時、観光推進機構の職員としての職務を果たしただけなのである。
むしろ、あの破片一つから縄文土器の可能性を見出した観察眼と、それが本物の縄文時代の遺跡発掘に繋がったことは、発見したちくわを含めて表彰すらされるレベルなのである。
観光推進機構の人々からしてもこれは大変に重要なことなのだ。

それに、元々この空き地は5年もの間放置されていた土地であり、その前には公民館的な施設と鳥を飼育するための「鳥かご」が作られていた。
つまり、その時から今の今まで、ここからは何も発見されなかったのであるからして、これはお手柄と言わざるをえない。

もちろん、大垣千明にとってキャンプ場を野クルのメンバーと共に作る事はお遊び等ではない、先述したとおりの需要を生み出す重要な計画であった。

しかし、縄文土器の発見は山梨の、いや、日本や世界にすら影響する程の発見につながるとても重要な事柄であることを大垣千明は理解していた。

優先度の違いである。
彼女は、山梨県観光推進機構の職員として、立派に職務を全うしたのである。

だが、この職員としての誠実さこそが、彼女をこの空き地の再開発に結びつけた最大の要因であることは間違いない。

おそらく、上司である白川氏からこの土地を任される以前から、彼女の誠実さと行動力、地域住民とのコミュニケーション能力は高く評価されており、キャンプ場を作ると言い出すことや友人たちを呼んで作業にあたることを上司から容認される程度には信頼関係が出来上がっていたはずである。


土器が発見されたことは事実であり、仕方の無いことである。

それでも、だからこそ、大垣千明は仲間と、上司と、ジンジャー君と、
地元住民の方々の期待に応えたいとより強く思った事であろう。

キャンプ場計画が中止となり、メンバー達がそれぞれの生活を送る場面が映る中でも、大垣千明が職員として働く様子はほとんど描かれなかった。

彼女は黒子であり、この計画のあくまで裏方に徹するという意志。

諦めず、悔やまず、彼女は未来の為に何度も何度もこの計画を書き直し、上司や近隣の住人達との間で意見交換を行い、よく飲み、よく働いた事であろう。

そこまで絞るには眠れない夜もあっただろ!!

その意志を汲み取る上司白川氏の信頼もあって、プレゼンの機会が与えられる事となる。

たった一度のチャンス。
そこには、志摩リンの堅実さや各務原なでしこの精神、犬山あおいのサポート、斉藤恵那の洞察力、ジンジャーくんのじゃんけんにかける想い。
目からビーム。

あの瞬間にどれほどの重圧が掛かっていたかを想像するとこちらまで妙な汗をかいてしまいそうになる。
しかも、大垣千明はどちらかといえば人見知りをするタイプであり、大勢の大人たちを前に堂々とプレゼンをする様子はまさに感動の場面であった。



そして、キャンプ場計画は見事に
「縄文土器が発掘されたキャンプ場」として
まさにダイヤモンド級の日の目を見る事となったのだ。



誰かの為に、それが「ボランティア精神」の本質でありながら

山梨の現状をなんとかしようという多くの人々の意思


それぞれの思いを結集させ、その責任を果たした大垣千明のその行動力と誠実さに、今一度拍手を送りたい。



「大人になっても出来ないことはある。だけど、その中でできるようになった事を多くの人に伝えられるようになる、それが大人なんだ。」



改めて、この「美しい精神」を心に留め、この記事を締めさせて頂きたいと思う。



劇場でご覧になられていた方々の殆どの人が
「そりゃ、そうなるな」と、思ったであろうこの感動のフィナーレの中

筆者は、どうせなら「縄文キャンプ体験」とかいって竪穴式住居でも借りられる施設とか欲しいなぁと思っていました。


妄想垂れ流しの長文でしたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。


最後に、志摩リン氏のおじいちゃんこと、新城肇様の言葉を引用し終わりたいと思います。




「いいキャンプ場だ。」





それまんま「ス○ーク」じゃねえかよおおおおお!!!!!






おまけ



5月にゆるキャンの聖地と言われる本栖湖にキャンプをしてきた写真を少しご紹介したいなと


場所は本栖湖浩庵キャンプ場

5月のGW終わりの平日でしたが、人はそこそこでした


おなじみ浩庵キャンプ場、なでしこが第一話で寝ていた場所



とりあえず焚き火がしたい、直火もここはOK


一段高くなってる湖畔から離れたポイントがおすすめ

アニメみたいに湖畔にいくと傾斜がとんでもないから、ベッドから転げ落ちたりする人もいるらしい



あと、ほんとに暗いから対策はしていこう、湖畔からはトイレもやや遠い




でもって、日の出ならダイヤモンド富士らしいが

まさか月が重なるなんて思いませんでした


月が富士山の向こうから上がってくる場面
スタンド無しが悔やまれるが、シャッター速度のわりになんとかなった



こちらはわりと現実的な明るさ
湖面に写った月明かりが上下に分断してるのが雲の影なんだと気がついた
時にはもう最高って感じ



あと、ここは千円札の裏にもある「逆さ富士」が有名らしい

朝4時半、まだ湖面が揺れているがかなり美しい
ちなみに夕方から夜にかけては常に風が強いらしい
対策しよう



そして朝7時、完全な逆さ富士
特に調べも無しに初めて行ったがこれほどとは
最高でした


ゆるキャン△きっかけでキャンプを始めるようになったけれど

わかるよ、楽しいもの


自然に感謝をしつつも

キャンプ場は、整備されているから気持ちよく使えている
人様の土地を借りているという気持ちやね

管理されている方々、そこで働く人々、近隣の皆様に感謝



ありがとうございました。



ではまた


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