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【雑感】「やる気のある無能」とか「意識高い系」とか、周りの目を気にする必要あるんだっけ、という話。

お疲れ様です。ふるさと納税で届いた国産牛をさっそくすき焼きにしたところ、芳醇な脂で胃もたれしたShinです。まだ20代なのに…。

さて、良くないと思いつつ空き時間はXことTwitterをサーフィンしてしまうのですが、出てくるたびにビクッとしてしまう言葉があります。

タイトルの通り「やる気のある無能」と「意識高い系」です。

「やる気のある無能」とは、読んで字のごとく、やる気にはとても満ち溢れているのに、間違った判断をしてしまったり、余計なことをしてしまったり、結果的に損害を出してしまう人のことを指します。ゼークトの組織論では「無能な働き者」とも表現されます。軍隊なら即処刑しろと言われている類型です。

「意識高い系」とは、向上心やポジティブな気質を持つ(=意識が高い)ものの空回りしていたり、相応の行動が伴っていない人の事を指します。自己顕示欲や自己承認欲求が強いケースも含めて語れる場合があります。

いずれの場合、SNSの文脈においてはこれらの言葉はネガティブな意味で使わることが多いでしょう。

さて問題は、自分が会社で「やる気のある無能」「意識高い系」になっているのではないか?ということ。意欲的な発言をしておきながら、行動や成果が伴っていないのではないか。周りからそう見えているのではないか、ということです。

この問題に対し、アプローチは2つあると考えます。

1つは、そもそも成果を出せば「やる気のある無能」は「やる気のある有能」になりますし、「意識高い系」は「意識高い」になります。無能であることを恐れるなら成果を出すために行動するしかありません。成果が出ず「やる気のある無能」「意識高い系」止まりであるなら、それは有効な行動を取れない自己責任と考えます。

2つは、「やる気のある無能」や「意識高い系」はあくまで客観的評価であり、周りからどう思われるかなど気にするだけ無駄であると割り切ることです。これはまさに『嫌われる勇気』(著:岸見一郎 他)を持つということです。

自己肯定感を損ない人生の質を著しく下げる大きな要因は「承認欲求」、つまり「他社からの評価」、すなわち「人間関係」であると言います。『嫌われる勇気』では、この承認欲求を放棄することにより自己肯定を実現するというアプローチを取ります。

つまるところ、どうしても承認欲求が捨てられないのであれば、1のアプローチで結果が出るまで足を動かし続けるしか「やる気のある無能」や「意識高い系」解放される道はありませんし、そもそも2のアプローチで承認欲求を投げ捨ててしまえばそんなことで悩みすらしなくなる、ということです。

幸せに仕事をするためにはどうすればよいか、ふと考えた次第でした。そういえば昔『仕事と幸福、そして、人生について』(著:ジョシュア・ハルバースタム)という本を読んで面白かった記憶があるので、この機に読み直してみたいと思います。

以上、雑感までに。




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