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「夕闇と少年(近藤智洋&ザ・バンディッツ・リベレーション)」が呼び起こす僕の風景

いつかの私の遠い記憶。手繰り寄せたものは懐かしさより失くしたものを再確認した、という感情のほうが多かったが、私の中のその感情と、その行先を「夕闇と少年」は呼び起こしたのだ。

私が敬愛するアーティスト、近藤智洋の楽曲から呼び起こされた物語。初出は9年前の2012/02/05。※諸事情により加筆修正しております。

冬の日と近藤君

近藤智洋Profile
(exPEALOUT.exTheEverythingBreaks.exGHEEE.myfunnyhitchhiker)

数年前、他愛もない事で幼馴染と仲違いした。
それからというもの、奴が居りそうな場にはなるべく出向かぬようにした結果、おのずとどちらからともなく、避けるようになっていった。

奴とは幼稚園からの付き合いで、同じ幼稚園、同じ小学校、同じ中学校と進み、高校からはお互いに違う学校に進学したが、それでも家が近所という事もあり、幼稚園の頃からずっと変わらず、週のうちの半分は奴と一緒にいたような気がする。

小学生の頃、「空手バカ一代」にどちらか一人が影響されれば、同じように影響を受け空手道場に通い、どちらか一人が阪神タイガースの助っ人であるマイク・ラインバックに憧れたとなれば、二人して同じ少年野球チームに入り、そろばんや習字も一緒のところへ通った。

だがどれも私は三日坊主ではあったのだが・・・。

奴は一人っ子で、私の家は3人姉弟であったからわいわい騒がしいのが奴には楽しかったのかもしれぬ。

セックスピストルズと同期である榊原郁恵のおっぱいの大きさにカルチャーショックを受け、我が姉の貧乳にさらにショックを受けた奴と私のおませな小学生時代。

二人で「スパイ手帳」なるものを駄菓子屋で入手し、スパイになりきり、見知らぬオヤジを尾行したはよいが、後をつけているうちに、知らない町にたどり着き、迷子になりワーワー泣いているところを保護され、パトカーで家まで送ってもらったり、

そのような行動をとったのがいまだ理解できぬが、家の近所が工業港なので、外国船が入港したりすると学校帰りに外国人を探しに行き、見つけるやいなやノートと鉛筆を持ってサインと握手をねだったりしていた。

不思議そうな顔をしながらサインをする外国人とはうらはらに、勝ち誇った顔で「これで20人目の外国人や!」などと自慢しあったりしたものだ。

そんな奴と私の小学校低学年の頃の冬の日の出来事。

その日、関西では珍しく雪が積もった。
私たち二人は喜び勇み、時間を忘れ、雪と戯れた。
雪合戦や、ちゃっちい雪だるまを作ったりしていたが、冬と雪の寒さに負けて、奴の家のこたつに二人して避難した。

こたつの中は暖かく、二人でこたつの中にもぐりこみ
好きな野球選手や変身ヒーローの話をし、時間を過ごした。たぶんその時だと思うが、奴が恥ずかしそうに私にこう言ったのを今でも記憶している。

「オレら、変身できるようになるんかな?」

子供心にも「変身なんかできるわけないやん」と理解はしているのだが、心のどこかでは、何をどう頑張ればよいのかわからないまま、もしかして「頑張ったら変身できるんかな?」とも思っていた。

その時は、二人ともなんともいえぬ恥ずかしさで、それ以上その話をする事はなく、戯れて照れを誤魔化した。

近藤君の楽曲で「夕闇と少年」という曲がある。

マーク・トウェインの描くピカレスク小説のような歌詞を持つこの曲が私は大好きだ。

この曲を聞くたびに私はいろいろな事を考えさせられる。

「憧憬」

しかしそれだけでは言葉足らずだ。
言葉が出てこない。

でもそれでいいではないか。

さぁ、音楽を聴こう。
私の語りたい思いは「夕闇と少年」で全て語られているのだから。

去年の10月、仲違いした幼馴染と酒を交わした。
大いに笑い大いに泣いた。
その時に思った。
時間は過ぎていくものではないと。

時間を線のように感じていたが、一つ一つのその瞬間が            点としてその場所に残されていた。
ただ、俯瞰で眺めてたから線に見えただけだったのだ。

そう、その時の私と奴はあきらかにここにはおらず、             少年だったあの時の中にいたのだから。

「夕闇と少年」収録AL「GO!」

この文章を書いた3年後に、「夕闇と少年」が収録されたAL「GO!」がリリースされた。AL「GO!」に収録された楽曲たちは、沢山の物語を私達に語りかける。それは今も変わらず、そしてこの先も変わらないだろう。

☆ピールアウト解散から10年、7年ぶりとなる近藤智洋のサード・アルバムは、バンディッツ・リベレーションのメンバーと作り上げた確信の一枚!(2015年リリース)

最後に1stAL「近藤智洋」紙ジャケ発売について

近藤くんのHP内のWORDに詳しくご本人が書かれているんですけど、WORDは更新されるたびにアーカイブされないから読めなくなるんですよ。なので、全部ではないですが少し転記させていただきました。僕はこの1stALを最初に聴いたとき、脳天貫かれました。なので一人でも多くの方に、このALが届いてほしいのです!

※要チェック!近藤智洋HP

近藤智洋HPより抜粋

PEALOUT解散後、2005年8月に近藤智洋としてスタートしてアルバムを作るまで紆余曲折あり
なかなかリリースできる場所が見つからなかったんだけど2006年1月に、場所がないなら自分で作っちゃえばいいじゃん!ということで自主レーベル“KDTH familiar”を作りリリースすることを決めて。

レーベルオーナー、プロデューサー、ディレクター、マネージャー、営業、宣伝、会計、そしてミュージシャン。全部を自分でやっちゃえ!ってことで動き出した。

でも、これは1人でやってこれた訳ではなく
たくさん協力してくれる、力を貸してくれる、
アイディアを共有してくれる仲間がいたからこそできたこと。

何より、僕の音楽を聴きたい、ライヴを観たいと思うみんなの気持ちがあったからこそ。
人はひとりでは生きられない、いつだって誰かの力を借りてるのです。

近藤智洋三部作は
バンドでアルバムを作り、その弾き語りバージョンのアルバム、そして、ドキュメントを含めたレコ発を収録したDVDの三つで一つのアルバムが完成しそれを三作統一して作るというコンセプトで
2006年から2018年までに9作のCD&DVDをリリースしてきた。

どの作品もジャケットにこだわり、紙ジャケットの質感を大切にしたいと思ってた。
でもね、最初の「近藤智洋」だけはプラケでのリリースだったのです。
ほんとは、最初から紙ジャケでいきたかったのだけど
諸々の事情で、このアルバムだけプラケでのリリースとなったのでした。

その後、9作を作り終えた後、
実は、「近藤智洋」だけ紙ジャケにできなかったのが、ずっと心に残っててね。いつか、「近藤智洋」も紙ジャケでリリースしたいなあと思ってた。
この1年、ライヴ活動ができない中、これを作っておかないと、きっと後悔すると思ってね。で、無謀にも2月に紙ジャケを作ったのでした、あはは。

ということで、15年目の6月14日に
紙ジャケ「近藤智洋」の通販を開始します!

この「近藤智洋」、
当時のバンド、バンドファミリアのメンバー、
パーカッションのピロくん、ベースのよっちゃん、ドラムの城戸くんと4人での演奏を基本に当時、まだギタリストがいなかったので、だったら、オレが大好きなギタリストに弾いてもらおう!
だって、記念すべきソロ1作目なのだから〜!というコンセプトで花田裕之さん、山口洋さん、ヤマジカズヒデくん、ヒサシ the KIDというもう大好きすぎるギタリスト(であり、大好きなボーカリスト!)に弾いてもらったのでした。

ベーシックの録音は溜池にあった、今はなき、あの東芝EMIの第3スタジオ。東芝時代の同期の友人が押さえてくれたのです。
レコーディングエンジニアは、PEALOUTの「April passsenger」「one」を作ってくれた安宅さん。
東芝時代、dipのUKでのアルバム、そして東芝でのアルバムを聴いて、もし、自分がミュージシャンになったら、この人にエンジニアをやってもらいたい!!!と思った人なのです。

レコーディングの風景、
そして、花田さん、山口さん、ヤマジくん、ヒサシくんがゲスト参加してくれたレコ発のライヴは
DVD「近藤智洋の夕べ」に収録されてるので、こちらも是非!
マイファニも撮ってる河合くんが、見事な映像を作ってくれてます!

そして、ジャケットの写真はPEALOUTの「Let me sink in the deep reddish sky」「Here, not somewhere」「one」のジャケ写を撮ってくれた佃千晶さん。

こうやって、たくさんの仲間の力を借りて作ることのできた「近藤智洋」。
自分で言うのもなんですが、今聴いても色あせない一枚だと思います。
もし、聴いてない方がいたら是非!
持ってる方も、よかったらCD引っ張り出して聴いてみてね。

もし、紙ジャケ購入しようかな〜と思ったら!

近藤智洋にまつわるお話は、これからもこのnoteで少しづつ、昔書いた文章も含め、書いていきたいと思ってますのでお楽しみに!


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