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すべてと無とはじまりと終わりについての話(4)

 朝9時に電話がかかってきた。まだ寝てはいたが、昨日は早く寝たからそれほど眠くはなく、すぐ起きて、携帯電話を見た。加藤からだった。珍しいことだ。 
「綿谷がパクられたらしい。」と加藤は言った。 
ぼくは少し考えて言った。「ドラッグか?」 
「ああ、なんのクスリかはわかんないけどな。綿谷の女からさっき連絡があった。」「昨日の夜取引してる時にパクられたみたいだ。」「お前、ガンジャはもう吸ったか? まあ綿谷が喋るわけないけど、何かあったら全部捨てておけ。」と加藤は言った。 
「お前はどうした?」とぼくは間の抜けた質問をした。ショックだったのと、まだ寝ぼけていたせいだろう。 
「おれは少し持っていたからさっき便所に流したよ。」と加藤は言った。 
「わかった。ナオには言ったか?」ナオはマリファナも薬物もやらない。 
「これから電話するつもりだ。」と加藤は言った。 
「綿谷の女はどうだった?」とぼくは聞いた。 
「泣いていたけど、大丈夫だって言っておいたよ。まあ現行犯だしただで済むわけがないけど、執行猶予だろう。」と加藤は言った。 
「どうする、今日集まるか? エリちゃんも心配だし。」とぼくは言った。 
「そうだなあ、ナオにも聞いてみるけどあんまり昨日の今日で集まったりしないほうがいいんじゃないか。女も最後には落ち着いてたし、大丈夫だよ。」と加藤は言った。彼らしい答えだ。 
「そうか、とにかく何かあったら連絡をくれ。」とぼくは言った。そして電話を切った。 

電話を切ったあと、ぼくは急いで身支度をして、一昨日マリファナを捨てたビールの缶とその他の缶を集め、駅前のコンビニに捨てに行った。ぼくはドラッグをやらないわけではないが、遊び程度だったし、この前やったのは2ヶ月ほど前だった、しかし、これでもうドラッグはやれなくなったな。とぼくは思った。楽しかったが、まあ潮時だろう。 
コンビニでビールの空き缶を捨て、部屋に戻りながら考えた、綿谷がぼくらのことを喋ることはまずないとして、交友関係から洗われたらどうなるだろうかということについて。調べが入ったにしても、証拠がないからまず任意だろうし、それは拒否すればいいはずだ、それに綿谷の交友関係がどの程度なのか知らないが、いちいち全員追ったりはしないだろう。 
最悪のケースを考えてみる。少なくともユカリに話が行くことは絶対にない。そう思ったとき部屋についた。 

エリちゃんに電話を入れた。電話に出てすぐ彼女は泣きはじめた「どこが大丈夫なんだ」とぼくは思った。 
「昨日の夜警察から連絡が来たの。彼が連絡して欲しいって言ったんだって。」彼女は言った。 
「警察の人が説明してくれた。昨日の夜渋谷で薬物を取引しているところを現行犯逮捕したって、あなたにも聞くことがあるかもしれないからその時は来てくれって。」 
「君は大丈夫なの? 部屋に薬物は?」とぼくは聞いた。 
「わたしの部屋にはないし、わたしがやったのはもう1年以上前、彼がやり始めたとき、すこしやっただけ、だから呼ばれれば行く、あなた達のことは喋らない。」と彼女は言った。 
「うん。」とぼくは言った。他に何を言うことがあるだろう? 
「大丈夫?」とぼくは聞いた。 
「わたしは大丈夫。でも彼はどうなるんだろう?」彼女は聞いた。 
「加藤も言ったと思うけど、現行犯逮捕だ、弁解の余地はない。起訴されることになるだろう。でも初犯だし、実刑になることはない。懲役1年、執行猶予3年って所だろうな。」とぼくは言った。ぼくは自分が薬物をやり始めてからそういう事を調べていたのだ。「前科は付く、でもそれだけだ、保釈金を払えれば1ヶ月程度で出てくる。テストにも間に合うし、まあいくつか出席が足りなくなって落とすかもしれないけれど、来年とればいいだけだ、就職にも全く関係ない。公務員にはなれなくなったけど、まああいつがなるはずがない。」 
彼女はまた泣いているようだった。 
「大丈夫? そっちに行こうか?」ぼくは言った。 
「でも、今はまずいんじゃないかな。」と彼女は言った。 
「今から行くよ。いい?」とぼくは言った。 
「うん。大丈夫? ありがとう。」 

彼女はもう勤めている年上の女の子で、部屋は吉祥寺にあった。 
ぼくはシャワーを軽く浴びて、身支度をし、原付バイクに乗って吉祥寺に向かった。何回か彼女の家で飲んだことがある。天気は快晴で、太陽の光がまっすぐ降り注いでいた。ぼくはサングラスをかけていた。 

友だちが逮捕されるなんてな。とぼくは思った。もちろん麻薬所持と使用は違法だ、綿谷がどの程度それについてどう考えていたか知らないが、少なくともぼくにとってはただの遊びだった。そしてただの遊びのような犯罪ならこの日本にごまんとある。例えば万引きとか。 

角を曲がると、まぶしい光が目に入ってきた。そして自分が時計をしてこなかったことを思った。 

時間はあっているんだろうか? 

 吉祥寺の彼女の部屋に着き、インターフォンを鳴らした。今時間はいつぐらいだろう? 多分正午よりちょっと前ぐらいだ。エリちゃんがインターフォン越しに話しかけてきた。「ぼくだけど。」とぼくは言った。 

彼女はドアを開けた、髪をひっつめにして、薄化粧をし、ジーンズにボーダーのTシャツを着て、カーディガンを羽織っていた。「ありがとう。来てくれて。」と彼女は言った。ぼくは首を振った。そしてぼくを部屋に招き入れた。 

「あの後ナオくんからも連絡が来たの。」「心配してくれていた。あなたがこれから来てくれるみたいっていったら、自分も行きたいけど、ちょっと今日は用事があるって、あとから行ければ顔を出すっていっていた。」ぼくは頷いた。そういえばナオに連絡を入れようとして忘れていた。「少なくともナオは、知っていると思うけど、ドラッグはやらない。だからそれは嘘じゃない。」「加藤は、まああんなやつだから。でもみんな本当に心配している。綿谷のことももちろんそうだけど、それは、おれが言うのもなんだけど、自業自得ってもんだ。電話でも言ったけど、そんなに大したことじゃない。それより君のことだ。」 

ぼくはあえて彼女が怒るかもしれないようなことを言った。それは贖罪のようなものだった。彼女は頷いた。「あなたの言っていることはよくわかる。」 
そして彼女はハーブティーを入れてくれ、ぼくに勧めた。ぼくはそれをゆっくり飲んだ。 
TVがついていた。ニュース番組だった。綿谷のことなんて報道されるわけがない。でも見ていたいんだろう。ぼくはそう思った。これが現実っていうものなのだ、遊びじゃ済まない。ぼくが現実を現実としてみていなかったということなのだ。 それにしてもよくまあこんなにいろいろなことが毎日毎日起こるものだ、とぼくは思った。
「加藤くんがわたしを避けているのは、実際に身の危険を感じているからだと思う。」とエリちゃんは言った。「あなたが知っていたかどうかはわからないけど、けっこう頻繁に一緒にやって、遊んでいたみたいだから。」 
「そうかもしれない。でもおれはそれを知らない。ぼくたちは仲がいい。最高のチームだ。でも必要にして十分な以上には関わらないんだ。それがルールだ。」とぼくは言った。 

「でもあなたにも危険はあった。」「でも実際にこうして来てくれた。」と彼女は言った。「それはすごく嬉しい。」「あなたは私が心配だって言う、それはそうだと思う。でも本当は綿谷くんのことが心配なのよ。」「でもそれが私にはとても嬉しい。」 

ぼくはTVを消した。音楽を探してかけた。アントニオ・カルロス・ジョビン。 
冬のボッサ・ノヴァ。 

「それから連絡は?」とぼくは聞いた。 
彼女は首を振った。 

僕たちはそのまま二人でお茶を飲みながら、話すともなく話しながらぼんやりしていた。携帯電話を見たら、ユカリから2回メールが入っていた。「何してるの?」、それから2時間たって「この前言ったことわかってるの?」と。 
でもいま説明なんてできない。たとえユカリに話が行くことが絶対にないとしても、彼女は一昨日マリファナを初めてやったばっかりなのだ。間違い無く彼女は混乱するだろう。状況がある程度落ち着いてから話すしかない。 

気がつくとエリちゃんはずっと黙っていた。ぼくが話しかけても「うん。」とか「そうだね。」とかしか言わなくなっていた。 
ぼくは彼女がぼくに抱かれたがっているんだということを感じた。どうしてそんな事が起こるんだろうとぼくは思った。そしてぼくはとつぜん勃起し始めていた。 
ぼくは彼女を抱きたかった。カーディガンを脱がせ、ジーンズを降ろし、ボーダーのTシャツを脱がせて、下着をとって裸にしたかった。そして裸のまま抱き合いたかった。ユカリのことも、綿谷のことも全然考えなかった。彼女もそう思っていることがわかった。 

でもそれはできなかった、奇妙な雰囲気が部屋に充満していた。なによりもそれをすることは彼女をより混乱させることになる。それはできない。 

しばらくそんな微妙な雰囲気のまま、短い会話をしていた。そして彼女の携帯電話が鳴った。「ナオくんから。」と彼女は言った。「これから行くって。」彼女はほっとしたように言った。 

ナオがやってきて、3人で話をした。といっても話せることはおんなじだ。起訴は免れない。でも実刑になることはない。ナオは綿谷と同じ学科で、同じ授業もあったから、なるべく出席は足りるようにしておく、と言った。あんまり心配しないで。とぼくらは言って、何かあったらいつでも連絡をくれるように彼女に言った。 

彼女の部屋を出てナオと吉祥寺のファミリー・レストランに行った。 
「お前、よく彼女のうちに行ったな。」とナオは言った。 
「まあ、なるようになるだろ。」「特に深く考えていたわけじゃない。」とぼくは言った。 
「そういうところが俺がお前を好きなところだ。」とナオは言った。 
「彼女も言っていたけど、加藤もヤバいみたいだな。」とぼくは言った。 
「ああ、俺もさっき電話で聞いた。」「まあ、これで終わりだな。よかったんじゃないか。」とナオは言った。 
「そうだな。おれもそう思っていた。潮時だな。」とぼくは言った。 
「お前は頭のいいやつだ。」とナオは言った。 

とりあえずエリちゃんのことがあったから今日は集まったとして、しばらくはおとなしくしておこう、なるべく自然に。とナオと話して、僕たちは別れた。 

吉祥寺から原付バイクで帰る途中、彼女の部屋で起こったぼくの勃起のことを思った。耐えようがないがない思いだった。綿谷のこともユカリのことも考えなかった。不思議な感覚だった。ぼくは優しく、強くあろうとしているのに。 
優しくあろうとすると、すべて嘘になってしまうような気がするんだ。 

星が見たかった、でも見えなかった。都会のネオンのせいなのか。 
「違うんだ」。ぼくは思った。それは見えるべき時には見える。そうじゃない時には見えない。 

時計が見たかった、でも腕時計はなかった。 
 部屋に帰ると、ユカリからもう一度メールが入っていたので、ぼくはメールを返すことにした。 
「ちょっと面倒なことが起きた、だからナオとエリちゃんと会って話をしていた。落ち着いたらちゃんと全部話をする。君が心配することは全くない。連絡しなくてごめん。」と。 
頭の良い子だから、どう考えてもそれがドラッグ絡みのことだということは検討がつくはずだ。でもそう連絡するしかないし、ぼくを信用してもらうほかはない。 

すぐに返信が来た、「そういうことなら仕方がない。でもあんまり心配させないでね。」と。ぼくのことも、自分のことも言っていなかった。優しい子だ。ちょっと優しすぎる。ぼくが優しくなろうとするよりも。 

これからどうするべきだろうと考えたが、特にやることはなかった、もう部屋にドラッグはなかったし、明日は学校とアルバイトがある。学校でユカリにあったらなんと説明しよう。学校には行く気になれなかった。 
ふと、今素面であることに思い至った。ナオとファミレスで軽く飯を食って、原付バイクで部屋に帰ってきて、ミネラルウォーターを飲んだだけだ。ビールを買いに外に出た、天気は相変わらず良く、星も月も見えた。でもぼくはあまりよく見る気にはなれなかった、だからふと空を見て、星と月があることを確認しただけだ。 

ビールを半ダース買って、部屋に戻り一つづつ開けてなるべくゆっくり飲んだ。ぼくにできることは何も無い。綿谷に会いに行くことはできる。彼が望むならできることはする。警察がこれから何をするのか、ぼくには想像もつかないが、彼らは出来得るあらゆることをするだろう。警察官ほど執拗で陰湿な人間はいない。別に彼ら個人が初めからそうしたいと思っているわけではないだろうが、初めはそうでなくても、みんな警察官は警察官になっていく。人々はそれを知っている。だから人は出来得る限り彼らには関わらないようにしているのだ。 

ユカリと話がしたかった。腕時計についての話が。そして君は何を求めているのかについて。「君は何が欲しいの?」とぼくが言ったとき、「まだ考え中。」と彼女は言った。それはあるいはぼくに考えて欲しい。ってことだったんだろうか。 
ぼくはユカリに何を贈るだろう。素敵な柄の軽くて温かいカシミアのマフラーか、ありきたりだな、でもあって困るようなもんじゃない。難しいな。とぼくは思った。香水や化粧品でもいいが、好みって言うものがある。彼女に似合うような服、例えばセーターとかシャツとか。ぼくの想像力はそこで底を尽きた。 

いずれにせよ、一番贈ってはいけないのは本とCDだ。興味がない本とCDを贈られても人は困るだけだ。ぼくは一度中古レコード屋で買ったCDジャケットの中にラブ・レターを見たことがある。はっきり言って非常に気持ちの悪い内容だった。 

兄に贈られた、全く興味のない本は今でも開封されないまま実家の本棚においてある。それを贈られたとき、この人は全くぼくのことを理解していないし、しようとも思っていないんだとぼくは感じた。ただ自分の価値観だけを押し付けようとして、それで満足しているんだと。一言で言えば俗物なのだと。そしてぼくは絶対に人にそういう事はしないようにしようと思った。兄に贈られたものとすれば、そのような教訓だけだ。その本の内容よりは価値があったかもしれない。 

そう思ったあと、ビールがなくなり、眠気を感じた、11時少し過ぎだ。まだ早いが、今日はいろいろあって疲れた。昼の勃起のことを思い出した、圧倒的な思いだったにも関わらず、それは不思議にもう過去のものとなっていた。明日は大学には行かないことにした。午後6時にバイトに行けばいい。起きるまで眠ってやろう。と思ってぼくはベッドに入って、わりと不眠気味のぼくには珍しく即眠りに落ちた。でもそれは午前8時30分に破られることになった。 

「加藤くんが逮捕されたみたい。」とエリちゃんは言った。 
畜生、まだ9時前だっていうのに。とぼくは思った。星も見えない。 

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