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話し声が小さい私の、気づきでも言い訳でもある何か

私は、声が小さい方だ。

小さい頃から声が小さいと注意されることはあったし、会話の中でえ?と聞き返されることは多い。
不思議なのが、大きな声を出せないわけでも、出すことを避けているわけでもない。挨拶を大きな声ですることに抵抗はないし、人前で芝居したり歌うこともできた。大きな声を求められるときにはそれなりに声を張れる。

だけど、基本的に話す声は小さい方なのだと思う。大した内容でもないのに聞き返されると、わざわざ何回も言うほどのことじゃないよ、、と思うことがあるし、え?と聞き返されるのは少し苦手だ。だったら普段話すときも声量アップを意識すればいいのだろうけど、いつもそれでは疲れてしまうとも思う。



そんなこんなで、自分の声は小さい方だと認識しここまで生きてきて、わかったことがある。
同じ声量でも、声が届く人と届かない人がいるのだ。同じ声量なのに、すんなり意思疎通ができるときとそうでないときがある。
そして、居心地がいい・波長が合うと感じる人との会話にえ?ん?が出てくることはほぼない。勿論、その人たちが単に耳がいいだけという可能性は否定できないが、他の人と比べ明らかにすっと言葉が伝わる人がいる。「波長が合う」の波長は思考回路とか価値観、好き嫌いみたいなことだと思っていたけど、もしかして物理的な音の波長だったりする?とすら思う。耳が拾いやすい音の波長も人によって違うのだろうか。だとしたら波長が合う人というのは、自分の声が届く人、言葉を受け取ってくれる人なのかもしれない。

言葉を届けたい人と、言葉を受け取ってくれる人が一致することは、実はすごく貴重でラッキーなことなんじゃないか。私の言葉が、届けたいと思った人に届いて、その人が受け取ってくれるならそれで充分で、誰にでも聞こえる大きな声なんか必要ない、なんて気もする。これは流石に言い訳っぽいから、人には言わないけれど。

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