見出し画像

分離と飽和についての音楽個人史① 小中学生編

分離と飽和

 私は音楽において、音の分離と飽和という尺度を意識的にであれ無意識的にであれいつも気にしていると思う。音楽を聴くときも演奏する時も作る時も、何かしら気にしている。この文章では、私の小中学生から今に至るまでの音楽遍歴を部分的に辿りながら、分離と飽和という尺度について考える。
 私が、ある音が分離しているとか飽和しているとか言うとき、それを決める基準は、それぞれの(主にトラックの)音が聞き取りやすいかどうかである。音が聞き取りやすければ分離していると言い、反対に聞き取りにくければ飽和していると言う。ただしここで念頭に置いているのは、バンドサウンドなど、複数の音が鳴っている状態だ。
 とはいえ、これだけではこの言葉を説明するのに不十分に思える。したがって、ひとまずそれぞれの音の特徴を思いつくだけ以下に挙げる。

「分離した音」の特徴
 ・各トラックの周波数帯域が被らないように、棲み分けがなされている。
 ・ローミッド(400Hz前後?)の帯域が小さめ
 ・コンプ、歪み、空間系エフェクトの要素が少ない、または弱い
 ・各トラックが独立している印象を与える
 ・はっきりとした音像、

「飽和した音」の特徴
 ・各トラックの周波数帯域がある程度被っている
 ・ローミッドの帯域が大きめ
 ・コンプ、歪み、空間系エフェクトの要素が多い、または強い
 ・各トラックが一体となって、全体としてまとまった印象を与える
 ・ぼんやりとした音像

 ここからは、私の聞いていた音楽を順を追って具体的に挙げていく。小中学生の私特に好きでよく聞いていたミュージシャンを挙げるなら、RADWIMPS、米津玄師、きのこ帝国の3つになる。かれらは私の分離-飽和観に大きな影響を与えている。

RADWIMPS『絶体絶命』

https://music.apple.com/jp/album/zettaizetsumei/1511078605
 私がある程度主体的に音楽を聞き始めるようになったのは、RADWIMPSの「おしゃかしゃま」を聴いたのがきっかけだ。このアルバムにはその曲は収録されていないが、当時最も繰り返し聴いていたのはこれだ。最近、自分のルーツにある音楽を聴き返したいと思い、懐かしみながら久しぶりにこのアルバムを再生したところ、想像以上に分離感が強くてびっくりした。この作品が、今回取り上げる中ではもっとも分離感が強いと思う。
 ドラムとボーカルを生々しく聴かせることを中心にミックスされているような印象を受ける。ギターやベースはそれらのためにかなり帯域を譲っていて、決して過剰にならないように音を出している。ギターに関してさらに言えば、主となる2本が左右にほとんど振り切られており、似たような音色であってもかなり独立して聞こえる。リバーブ感も薄く、トラック単位ではモノラル的に聞こえる。マスタリングにおいても、コンプやマキシマイザーを弱めにかけているのかダイナミックレンジが広い。いわゆる海苔波形からはかなり遠く、音圧は低めである。
 ごく最近まで私は比較的分離した音を好んできた傾向がある。その根底にあるのはきっと、当時繰り返し聴いていたRADWIMPSであり、『絶体絶命』であると思う。

米津玄師『YANKEE』

ttps://music.apple.com/jp/album/yankee/1440791809 
 この作品は、各トラックの帯域の棲み分けがなされており聞き取りやすいという意味では分離が強いが、帯域や空間の隙間はかなり埋められており、そういう意味では飽和している。
 これは、マスタリングの方向性の違いと、ボカロ出身である米津玄師の音数の多さに由来していると思う。「音量の自動調節」みたいな設定を切って、これら2作の収録曲を続けて聴くと、『YANKEE』の方がかなり音が大きく聞こえると思う(どちらかというと『絶体絶命』の音が小さいのだが)。つまり、マスタリングにおけるコンプやマキシマイザーはかなり強めにかけられている。ハチ名義の曲はかなり雑多に音が詰め込まれた曲が多いが、『YANKEE』当時の米津玄師はまだその傾向を残していると思う。たくさんの音を、破綻しないようにパズルのように詰め込んだ結果がこの音なのだと
思う。

きのこ帝国『ロンググッドバイ』

https://music.apple.com/jp/album/long-goodbye-ep/739755413 
 きのこ帝国は、私にとってかなり重要なバンドだ。私が今聴いている音楽は、きのこ帝国がインタビューなどで言及していた影響元のバンドから辿ったものが数多い。そういう意味で、現在の私の音楽の趣味の多くの部分を形作ったのがきのこ帝国だと言える。
 さて、『ロンググッドバイ』の分離-飽和について語ろう。この作品の音は、先の2作に比べればかなり飽和している。帯域的にも、定位的にも、各トラックの音が重なるように作られている。この作品の飽和感を生み出している要素のうち特筆すべきなのは、深く長く広いリバーブだろう。とくにギターは、左右に振り切られていない上に、リバーブ成分が左右に大きく広がっている。ボーカルやスネアにもリバーブはかけられており、各トラックがステレオ的に聞こえる。
 分離した音に慣れ切っていた私の耳に、リバーブとディストーションによる飽和の心地よさを初めて教えたのがきのこ帝国だと思う。

たぶん続く

 ひとまず小中学生時代によく聞いていた3バンド3作品について語ったけど、このまま辿って現在に至るまでを書きたい。気が向いたときに頑張ります。

いいなと思ったら応援しよう!