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私はずっと前から日記を書いている
毎日ではなく、書きたいと思ったときに。書きたいだけ、書きたいことを。
それは時に一日2〜3ページになることもあれば、
一日たった2,3行になることもあって。
本当に気まぐれ。
毎日書くこともあれば、1、2ヶ月書かないこともある。
本当に気まぐれ。

私が日記を書くようになったのは、小学生のことがあってだろう。

小学5年生の1年間だけ担任の先生だった人がいる。
その先生は生徒一人ひとりにノートを渡し、日誌を書いてくださいと言った。
先生はそれを見て出来る限りコメントを書くし、なにより絶対読むと。
みんなのことが知りたいから、1,2行でも構わない。その日起きたことや感じたこと、なんでもいいので書いてね。と。

なんだか私はワクワクした。
その日から私は毎日、そのノートに日記を書いた。
そして毎日先生に渡した。
もちろん先生が忙しくてその日に返って来ないときもあったけど
返ってきたら絶対にまた書いていた。

最初はみんなも書いていたけど、だんだん飽きてしまう人が増え、
提出する人が少なくなっていく中、私ひとりだけ毎日書き続けていた。
先生も、「毎日書いててすごいね。先生も読むのがすごく楽しみだよ」と言ってくれ、
だんだん先生もコメントをたくさん書いてくれるようになった。
それが更に私にとっては楽しくて仕方がなかった。
だって先生と交換日記をしているようですごく楽しかった。

ほぼ毎日書き続けていたから、もちろん一番最初にもらったノートは使い切り、その達成感もあって
更に自分でノートを買い(母親に買ってもらった)、新しいノートでまた日記を書き始めた。

今思い返してもあれが本当に楽しかった思い出の一つ。
そのノートは今でも実家の机の引き出しにしまってある。

私はその先生がすごく大好きだった。
なかなか珍しい先生で、授業の一貫といっていろんな体験をさせてくれたような気がする。

そしてクラスで大縄跳びが流行ってたとき、
よく昼休みの時間を使って、大縄跳びをしていた。
八の字で引っかかるまで一人ずつずっと飛び続け、その数を数える遊びが流行っていた。
ある日、珍しく誰も引っかかることなくずっと続き、なんと最高記録の数字を更新しようとしているところだった。
そんなタイミングで予令のチャイムが鳴る。
でも小学生の私達はまだ予令だ!と言って手も足も止めることはしなかった。なにより本当に誰もひっかからなかった。
他のクラスの生徒は教室に戻っていき、先生が教室に入ってきた。
誰かが先生に事情を話してくれたような気もする。
だとしても先生としてやるべきことは、もうチャイムが鳴ったんだからやめなさい。としかるべきだろう。
でも先生は、しかることなく、すごいじゃん!引っかかるまで続けなよ
と、私達を応援してくれた。
クラス全員が参加していた。運動が苦手な子も、得意な子に背中を押してもらって飛んだりしていた。
実際、数は覚えてないけどすごい数字だった気がする3桁だったのはうっすらと覚えている。

そして誰かが引っかかってしまい、終わった。

だけど、引っかかったことを誰も攻めることなく、むしろ最高記録を達成した喜びで私達は歓声をあげていた。
先生も一緒に喜んでくれた。
というか、先生も一緒に飛んでくれた気がする。

そうやって見守ってくれた先生の対応は今でも覚えているし、大好きだった。

今思えば、そんな先生なかなかいないんじゃないかと今でも思う。

そんな大好きだった先生が1年でいなくなってしまった。

今はどこで何をしているのか全くわからないけど、私は学生時代の中であの先生が一番好きで
会えることならもう一度会いたいと思う人。

話は逸れたが、そんな先生との思い出の一つにある交換日記。
それが今日記を書いているきっかけとなったと言っても過言ではない気がする。

昔から思っている感情とかを文字に書き起こすということはこの頃からやっていたんだろう
今はもうほとんど過去のものは捨ててしまっているけれど
唯一残してあるのは小学生のときの交換日記と、
2018年からモレスキンノートに書いてるものだけ。
他は全部捨ててしまった。
今思えば少しもったいない気もするけど、それはそれで、思い出の一つ。



私にとって書くことは、それは自分と向き合うことであり、ストレス発散にもなる。
すごく大切な儀式のようなもの。

そのきっかけとなった先生には本当に感謝をしている。



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