妊婦生活の話

おはようございます。
nonoです。

本日は妊婦生活について書いていこうと思います。

元々子供が欲しかったので、妊娠が分かったときは嬉しかったです。
しかしそこから「つわり」という地獄が待っていました。

つわり期

ある日突然、味覚が変わり今まで食べていたものが食べれなくなりました。
当時タイ料理にハマっていてカルディなどで調味料など沢山買っていたのですが、すべて使えなくなってしまいました。

しかし何か食べないといけないと思い、食べれそうなものはないか?と試行錯誤の毎日でした。

マックのポテトが食べたくなる

これは妊婦さんあるあるなのですが、本当に食べたくなりました。なんなら毎食マックのポテトでもいいくらいです。
自炊料理よりもコンビニで買えるパンを食べていた記憶があります。
あとじゃがりこを食べていました。
今思うとポテトばかりですね。
料理をするのが好きだったのに、料理が出来なくなってしまってつらかったです。
旦那さんと二人暮らしだったのですが、旦那さんも仕事から帰宅するのも遅いのでその時はより孤独感を感じていました。
現在は転職し、帰宅時間も早くなったため育児を手伝ってくれています。

そして2ヶ月ほど仕事を休職しました。
職場には申し訳ないなと思いつつ、、、
職場には私の代わりに仕事を進めてくれる人が沢山いる
お腹の中の赤ちゃんのお母さんは私にしか出来ないことだから頑張ろう!
といつも思っていました。

安定期

安定期に入った頃、つわりも落ち着いて仕事に復帰できました。
職場の人たちも私のことを気遣ってくださり重労働や残業などなるべく無いようにしてくださいました。
妊娠が発覚する前に予定していた結婚式も妊娠中期に行いました。
私は和装が好きで、結婚式は神社でやりたいと思っていたのでドレスは着ず和装のみで行いました。
もちろんドレスも可愛くて憧れるので娘がもう少し大きくなったら、フォトウェディングも有りだな?と思っています。

妊娠6ヶ月で、すこしお腹がぽっこりしていましたが和装の着付けの方が上手に着せてくださいました。
妊婦だといわなければ分からないくらいの仕上がりでした。
季節は初夏、重さ10キロほどある衣装、文金高島田のお鬘でしたが問題なく着れてよかったです。
(とても暑かったですが‥)

性別も女の子かなと先生に言われていました。
私は三姉妹で育ったので、女の子のイメージしかなく私が産む時もきっと女の子しか産まれないのかなと思っていました。


「世界一幸せな洗濯」という言葉があるのですが、よろしければTwitterなどで検索してみてください。
私も天気の良い日にやりました。
肌着などもピンク色で揃えていました。


妊娠後期


妊娠後期に入るとどんどんお腹は大きくなりました。同時期に生まれる予定の友達と比べても私のお腹は大きいほうでした。
よく赤ちゃんの性別で、前に出ていたら男の子
横に出ていたら女の子というのがありますが
それでいうと出方は完全に男の子でした。
先生には女の子と言われてるけど、出てくるまで分からないよなぁと思っていました。

健診の頻度も二週間に一回なので、体重を指摘されるのがこわかったです。一週間に1キロペースで増えていき、息を吸うだけで太るとはこのことだと思いました。
つわりの時期を乗り越えて何でも食べれるようになった喜びで、沢山食べていました。


お腹が大きくなると、周りの人達も妊婦さんだと認識してくださって、優しくしていただくことが沢山ありました。
例えばスーパーへ行って買い物中、レジの店員さんがカゴを運んでくださったり。

とても嬉しくてありがたかったです。私もこれから妊婦さんや子供連れのお母さんには優しくしようと思った瞬間でした。

いよいよ臨月に入り、出産がもうすぐだ〜!とワクワクしていました。

そして出産です。
この日のお話はまたブログに書こうと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました。
nonoでした(^^)


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