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書く ということ

ここ最近、自分の意思とは裏腹に思考が湧いてくる。
それも次の瞬きをすれば真逆の考えが浮かぶ程に、意見がころころ変わる。
脳内で論争を繰り広げられている。
騒がしい。

“書く”という行為は、客観的且つ論理的な思考の助けになってくれる。
つい感情的な意見が飛び交う私の頭にとって、都合が良い。
3日前に始めたこのnoteの存在が、今の私を救ってくれている。

知り合いは誰一人として見ていないため、素直に、媚びずに、飾らずに表現できる。
逆に見ず知らずのどなたかに見ていただけていると思うと、丁寧に、ゆっくりと、湧き出る言葉に責任を持って、大切に綴ろうと思える。

大抵こういう時の自分は、後々顔を覆いたくなるような黒歴史になりがちなので、突然消去するような気もする。
(事実、昨日の投稿は読み返すとあまりに恥ずかしく、なかったことになった笑)

それでも今はこの空間の力を借りようと、そう思った。

不特定多数に発信するこの場において、この使用法は合っているか疑問だし、自己満足に過ぎない。
それでも、今も少しずつ心が整っていくことを実感する。

noteに絶賛感謝中だ。ありがとうnote。


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