見出し画像

うつ病について(1)

うつ病については、そこら中に色んな体験談や、こまかな病状や診断、日々の活動、福祉や行政のサポートなどが書かれている。自分ではどこかでブログとかに書いたような気もするし、ここでも過去に触れていたりもすると思うけど、今一度、随筆的に記しておこうと思う。主に私自身の体験と考えが中心になる。

私はうつ病患者である。うつ病と診断されたのは2012年7月だった。いまこれを書いているのは2024年の1月なのでうつ病歴は11年6ヶ月くらいになるだろうか。人生の4分の1をこの病気と一緒に過ごしたことになる。月次だけど、長いような短いような11年であったが、これからも付き合いは続き死ぬまで一緒だと思っている。うつ病は既に、私の個性の大きな一部である。この11年で生活に無関係だったことは一度もなかった。朝起きて仕事が在れば仕事をして寝るまで、どのタイミングであっても、この病気は私に大きく関与している。(因みに朝は起きられなかったこともあったし、今でもそんなことがある。)
ともかく、私にとって、うつ病は、所謂、「アイデンティティ」の重要で巨大な一部分になってしまった。持病のある人は多かれ少なかれ、身体や心に不具合がありながら、それを受け入れて生活をしてゆく必要性に直面していると思う。私もその一人だと思っている。

この病気の診断が下ってから、私の世界は変わった。生活も変わったし身体も変わった。社会との関わりも変わり、人間関係も家族関係も変わった。酒とも金とも女とも、あらゆる物事に変化を感じる。診断される以前と同じものは、自分も含め、殆ど残っていない気がする。
今では病気になる前の自分に戻りたいと思わなくなった。今の自分が好きだからではなく、今より、より悪い状況だったろうと思うからだ。あの状況が続いていれば、遅かれ早かれ、精神は壊れて病気になっていただろうとも思う。私は心理的にうつ病になるべくしてなった、と今では思っている。心の病の種を若い頃から持っていた。病気になるべくしてなったのだと感じている。

せっかくこんな風に書くのだから、私がああなった、こうなったなんて話はそこら中に溢れているのだろうし、そこから少し離れて書いてみたいとも思う。

うつ病は「病気」なのか

「病」ってつくから病気だし、今更なにを・・・と自分でも思う。実際、心理的な状態の変化(外から見てわかりにくい)だけでなく、眩暈や痺れ、強烈な震えや、強張り、呼吸困難などと言った、見た目に身体的な症状もでるので「病気なんだろうなぁ・・・」と受け止めている。治療薬も出ているし、それで社会生活に復帰できている人も大勢いる。ある意味、「薬が効く」のだし、医師の診断もあり、処方もあるのだから言葉の定義はともかく、「病気」と認知される。

治療方法も色々研究されている。セロトニン不足だとか腸内環境が影響してるだとか、いろんな見解があったり、薬物的、物理的なアプローチが試されているし、恐らく、そこそこの成果も上がっているのだろうと思う。別にどれもこれも見たわけじゃないけれど、それでよくなるのであれば、素晴らしいと思う。心の病気・・・とは言え、「脳の活動」であり、脳の活動であれば詳細に見て行けば心理的な影響が出る前に物理的にそれを抑制したりできるだろう。

こうした薬による治療の可能性は長く続いている話で、大昔から言い伝えのように、半ば当たり前のように唱えられていたこの言葉からも感じられる。

うつは「心の風邪」

病気喧伝 - Wikipedia

これはかなり有名で、グラクソ・スミスクラインによる抗うつ薬「パキシル」のマーケティングで使われたキャッチコピーだったはず。
うつ病になると、アレコレと言われつつ、最後には「ほら、『うつ病は心の風邪』っていうから』と言われることも多い。もちろんこの言葉は、「風邪のように誰でもかかる可能性がある」という意味も含まれているわけだし、風邪自体が風邪薬だけで完治するわけでもないので、この単語を以て「うつ病は風邪のように薬で治る」というイメージを持ってしまうのは強烈な拡大解釈というか勘違いでしかない。ただ、年寄りほどこの言葉をよく引き合いに出してきた覚えがある。若い人が知らなかっただけかもしれないけど。

うつ病が病気なのか?という問いは随分と長い間、自分の中にあった。病気という表現より「状態」という表現の方がしっくりくる。なんというか、病気であるなら治る病、治療、などの言葉も連想されるし、強烈な落ち込みの状態や、頻繁に起こるフラッシュバック、感情の起伏による以上な浪費、そういうモノも、病気がもたらす一時的な状態で治療が進めば「終わる」と思ってしまう。傷口が塞がったり、鼻水が止まったり、頭痛が収まったり、熱が下がったり、痛みが無くなったり。こうした一連の出来事が「病気」という言葉でから浮かんでくる。病気はそういう物語なのだ。

であれば、うつ病だって治ればすべて終わるのだろうか?鼻水が止まるように、強烈な落ち込みが収まったりするのだろうか?恐らくそうなんだろう、私が知らないだけで。恐らく、世間はそうできているのだろう。
前述の風邪の話でもないが、風邪薬は風邪を直接治療するのではない。結局は自己免疫力で体を生き続けられる状態に戻している。自己免疫力だって弱まる。歳を取れば時間もかかるし、完全に元に戻りもしない。時間が経てば細胞は劣化するし、後遺症として残ったりもする。どんな病気であっても人間が元に戻そうとする力に大なり小なり頼る。うつ病の場合、その部分をどう解決しているのだろう。病気というからには、元に戻るために自己免疫なり自己修復に対してのアプローチがあってもいいはずだ。病気という言葉があるから病気なのではない。

病気と定義するからには、治療の有無、効果について何かしら見解があるはずだろう。見解に説得力がないなら、そもそも病院も医者も存在が成り立たない。
診療内科、精神科に11年間以上掛かっている私からすると、うつ病患者に対して「自己修復」なんて言葉は通じない。がん患者でも通じないこともあるだろう。ただ、うつ病は病状を判断する為の指標なりサインが目に見えない。血液検査でわかるモノでもないし、PETの様な優秀な機械があるわけでもない。精神科、心療内科は問診でしか診断、診察ができない。治療も極論で言えば、安静を促し感情を抑制し極端な行動に出ないように管理するが当面の目的で、要するに「自殺させない」ことが治療のゴールなのではと感じた。
「ゴール」とは言ったけれど、現実的で社会的に前向きな「ゴール」ではないだろう。世間から隔絶されながら、福祉と行政の補助を受けつつ静かに息を引き取るまで、いつの間にか消えてくれたら本望・・・という印象。誰が悪いわけでもない。これが限界なのだろう。薬を否定する気は一切無いし、薬は必要だった。ただ、うつ病を直接、治療して治せる薬なんて、ありそうにない。
うつ病という「状態」を忘れさせたり、緩和してくれる効果はあるが、元通りになりはしない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?