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うさぎの時間 後編

「驚かないよ。うさぎがしゃべっても。ところで、うさぎの時間て何?」

ミシェルはおもむろにひげをしごいて答えた。

「それはあ、香芽ちゃんがあ、しこしこためてきたうさぎポイントがたまってえ」

「待った!ちょっと待った。うさぎポイント?てゆうか、その前に香芽ちゃんとか言った?うさぎに香芽ちゃんとか言われるの、抵抗あるんだけど」

「まあ、気にすんな。うちとあんたは地球に棲む生物として同等なんだからさ。ご主人様とか保護者の方とか、言いたくねえし、血のつながりもないのに、ママとか婆ちゃんとか呼ぶのも変だしい」

「何だと!おい、婆ちゃんとは何だ、婆ちゃんとは!」

「だからあ、香芽ちゃんでいいじゃんか」

あの湖水の目をしたミシェルがこんなに品のないタメ口きくとは思わなかった。なんだか目つきまでワルくなってる気がする。

「あのさ、そのタメ口、何とかならないの」

「だって、そりゃ、あんたに合わせてるだけだよ。香芽ちゃん、時々気取ってかっこつけたこと言ってるけど、ほんとはかなり柄、悪いじゃん。自覚ない?」

「ある」

「よろしい。では、次いくよ。うさぎポイントてえのはね、香芽ちゃんがうちのために費やしてくれた時間と愛情がたまってつくもんで、それがしこたまたまりにたまって、このたびめでたく、うさぎの時間にご招待と相成って、今からしばらくの間うちと香芽ちゃんは自由に意思疎通ができるってわけ。嬉しい?」

「はあ、嬉しくないことはないけどさ。ま、せっかくだから聞くけど、ミシェちゃんは毎日どんなこと考えて暮らしてるの」

「別に何も考えてなんかねえよ」

「あ、そうなんだ。じゃあ、毎日楽しい?」

「まあまあだね。それなりに可愛がってもらってるし。香芽ちゃんは?」

「そうでもないな。人生思うようにいかないことだらけでさ。実は今、体調もよくなくて、仕事で嫌なことあって落ち込んで・・・」

「あはは。大丈夫!うさぎの時間に突入したからにはね。現実が幾層にも深化するからさ。すべては相対的なんだよ。すべては存在するものの一部にすぎないんだ」

「何それ?なにげに哲学的。ミシェちゃんたら、啓蒙書とか読みまくった?もっとしゃべって!」

ミシェルは立ち上がると、得意そうに片手を腰に当てひげをしごいた。

「うさぎを愛してうさぎに没頭する。誰かを愛してその誰かに没頭する。一人の男、一人の女、一人の子ども、一人の犯罪者、一匹のミミズ、一羽の鳥、一冊の本、一皿の料理、その対象に迫る。そうすれば、いつしかポイントがたまってうさぎの時間に突入したように、○○の時間に突入できるよ。言っとくけど、愛というのは、憎しみとか怒り、嫉妬なんかがないことじゃないよ。好意と悪意、愛と憎悪、信頼と不信、あらゆる相反する感情を含むものさ」

「はあ、難しいこと言うなあ。なんか、かえって憂鬱になってきた」

ミシェルは目力のある瞳でじっと香芽子を見つめた。

「いいかい。うちはうちで、香芽ちゃんは香芽ちゃん。それで十分なんだ。それ以上何が必要かってんだ」

ううぬ、小癪なと思いつつ、うさぎに説教されているうちにうさぎの時間は終わった。香芽子は傍らに長々と寝そべって畳を舐めているうさぎを眺めた。いつもの無邪気で静謐なうさぎだ。ミシェルはミシェル、香芽子は香芽子。この現実が幾層にも深化するというのが人生ならば、この先もポイントをためこんで、いろんな時間に呼ばれてみたい。


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