咲かずゆずり葉

どーも、悲しみを乗り越えられない可哀想なおれです。
誰か慰めてください。

と言うわけで、事件が起こった。

とある日曜、朝も早よからお出かけしようとした時に、庭がすき家のおろし牛丼ばりにさっぱりしていた。
昨日片付けると言ってたけど、こんなにやるかね…と思った矢先、おれの体のどこかにいる虫が「あかんで」と知らせてくれた。

まさか!?と思いその場に向かったら案の定土だけ。
昨日見た時にはそこにいたはずの天使の見る影もない。

おれが愛情を牛丼の紅生姜ばりにこれでもかとかけていたユズの小さな苗が根こそぎなくなっていたのである。
それも2本とも。

ユズは素晴らしい果実だ。
まずあの香りがいい。
他の柑橘系とは異なり、スッと鼻に入ると「柚子でっせ」と爽やかに主張してくる。

また、その果汁は、ポン酢がない時に醤油みりんなんかと混ぜて即席で作ることができるし、焼き魚にミュっとかけるだけでそのレベルを8くらい上げてくれる。
マルコメ以来の料亭の味を我々に提供してくれる。

皮もすごい。
普通果物の皮なんて捨てられる代表だろうに、お吸い物やうどんそばの汁に香りをつけたり、味噌漬けの味噌に混ぜたり、マーマレードとしてもおいしくいただける。
また塩と唐辛子と混ぜて置いとけば柚子胡椒も作れる。

甘いしょっぱいすっぱい辛い…何にでもイケる大谷もビックリのスーパーエース食材なのである。

おれは、実がなった暁にはどんな料理にしようかフワフワと想いを寄せていた。
自分の結婚式にどんなウェディングドレスを着るか考える少女のように、また絶対この車に乗りたい!と貯金をがんばる一般紳士のように、無垢な願望と希望が胸を占めていた。

種から育てたユズだった。
とーちゃんから教えてもらった「桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十八年」ということも可愛い理由の一つとなり、「おれがじじーになる頃に実がなればサイコーだな」と考えていた。
ちょうど自分の誕生月に芽が出たこともあり、何歳で実がなるかなんて遠い未来を夢想していたりした。

ホームセンターなんかに売っているやつは接木していて早めに実がなるらしいが、おれは「種から育ててこんなに大きくできた」と言いたく、種にこだわった。

たまたま2つの芽が近くに出てしまい、成長のためにどちらかを抜こうと考えた時があった。
しばらく様子を見て発育がいい方を残そうと。

異常気象とも呼ばれる夏の暑さで、土がカラカラになってしまわぬよう、(ほぼ)毎日水をあげ、虫がついていないか、葉を食われていないか、幼い葉がちゃんと増えているか、チェックして見守っていた。
小学生がアサガオを観察していても実(種)ができるまでに飽きてしまうが、オトナがのめり込むとヤバい。
費やせる時間がない分、愛情をたんと注ぐ。

しばらく経って2つの芽は10枚ほどの葉もたくわえ、いざその時が来た。
結論、おれは抜くことができなかった。

こちらを抜こうと指をかけたが無理だった。
そこまでにかけた愛情が邪魔をして、「どうにかなるだろ!」と2つとも育てることに決めた。

この心の葛藤だけで観客動員数20人くらいの映画を1本作れるだろう。
10人は途中で席を立ち、7人が見た後に怒り出すかもしれない。

しかし、この痛々しいほどの想いで3人くらいは泣いてくれるだろう。
その3人とはぜひゆず酒で献杯させていただきたいと思う。

さて、現実に戻ってもおれのユズは戻ってはこない。
リアルスティックな残酷さに打ちひしがれ、家にいられなかったおれは行きつけの町中華に行きビンビールを頼んだ。

普段読んでいる懐かしのアゴゲンも笑えない。
世界最高峰とおれの中で名高いカツ丼が来たが、うまいと思えず、惰性で流し込んだ。

この悲しみを例えると、可愛がっていたペットが車に轢かれてしまうようなことで、ペットを飼っている人にはどれだけの気持ちか想像していただけるだろう。
もし動物と植物は違うしとか言っちゃうカブキ者がいても、「そうかもしれないね…」と反論しないほど憔悴している。

ビンビールをさほど飲んでいないにも限らず、1人イッキを繰り返したせいか夜中に頭痛が襲い、キリキリとした頭でまたユズを想い、眠れぬ夜となった。

ようやく寝つき朝起きると、朝のニュースでおばーさんが孫を保育園に送り忘れ、車で放置してしまい死なせてしまったというニュースが流れていた。
旦那ではないもう一方のおじーさんが、可愛がっていた孫がいなくなってしまったやり切れない思いを話していた。

おばーさんが可愛がっていたことも、一時の過ちで最悪な事態になってしまったことも全て飲み込み、おばーさんのせいにはしていなかった。
自分の境遇とはレベルが違って怒られるかもしれないが、おじーさんの気持ちが痛いほどわかり、おれは顔もわからぬおじーさんに共感した。

そして皆さんがお気付きのように、こうして文章に起こすことで、この気持ちを抑えること、忘れぬことを目指している。
悪かったのは自ら草むしりをしなかったおれなのであると自責の念で、これからの人生を細目で焦点を遠くに合わせ過ごしていきたいと思う。

そして、いつかこの傷を癒すために、地植えでなく鉢植えで種から育てたい。

しょーもない長文にお付き合いいただき、誠にすいまめーん。

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