アホのすみか

どーも、数十年前の小学生です。

というわけで、小学生はアホである。
「おれ、〇〇できるよ」「おれなんて、〇〇〇できるし」「間違えた、おれは〇〇〇〇できるし!」と相手に負けじとエスカレートしていくものである。

おれが小学生の頃には「兄ちゃんの友達がかめはめ波打てるし」という話を聞き「おめーすげーなー」とみんなで感心していた記憶がある。
そもそもそいつ本人ではないし、かめはめ波が打てる小学生がいたらメディアが黙っていないと思うが、男子小学生は、"お兄ちゃん"、"強い"、"必殺技"などは絶対で、そんな話にも疑う余地がないのである。

なのでお兄ちゃんがいる友達がうらやましく、そんなお兄ちゃんになりたいと願っていたが、おれの弟はたぶん思っていない。
1歳しか離れていないこともあり、ケンカもよくしていたため、めんどくせー奴と思われていたに違いない。
実に可哀想なおれである。

また、小学生は汚いモノが本能的に好きな癖にそれを遠ざける。
ウンコウンコ言っているのに、学校のトイレではウンコをしないのも、道端の野糞をみつけて「うえー」と言いながらも近づいて行くのも彼らの特性であり、DNAに刻まれた行動原理である。

小学校低学年の時に、通学路に"しょんべんばばー"とおれらが呼んでいたばばーがいた。
文字通り道路にしょんべんをしていくばばーである。

しょんべんばばーは、縁石で細くなった歩道にしゃがみ込んで用を足していた。
ヤンキー座りでその場所にいるため、ものすごい威圧感である。

1人分しか歩けない程の道で、尚且つ標識が立っている場所であり、標識の棒の横で用を足しているのだからほぼ畜生と変わらない。
何度もそこでしているため、アスファルトがそこだけ黒ずんでシミになっていた程で、小学生を寄せ付けないという意味ではマーキングすることに成功していたと言える。

ばばーがいる時は遠くで「やべー、しょんべんばばーがいるぞ!」とワイワイして、反対の歩道を歩くか、またはばばーがどこかに消え去るのを待っていた。
車がいない時なんかは、縁石を越え車道側を、皆で押し黙りばばーと目が合わないようにまっすぐ前を見てそそくさと通り過ぎたモノである。

初めての邂逅から半年ほどしてばばーはいなくなったので、引っ越したか、往生したか、新しいトイレをみつけたかなのだと思う。
しかし、道を通るたびにあの黒くなったシミがあり、おれらの妄想でないことをいくつになっても強烈に意識させた。

時は経ち、おれが高学年の時である。
その日英会話教室かなんかの帰りで、おれは自転車の手離し運転でどこまで行けるかというチャレンジを行なおうと思った。
実にアホである。
友達の帰り道は別で、無論のこと1人であり、
自分との闘いである。

これまで真っ直ぐな広い道であれば、一輪車の要領でそこそこ行けたので、曲がり道への挑戦でもあった。
第一カーブを刹那の切り返しでうまく曲がることができ、「っしゃー」と1人歓喜に震えた。
そして難所である狭い道にチャレンジした。

特に狭い道を通過しようとしたその時、サドルから自分の体がスッと抜けたと思ったと同時に金玉を前のシャフトに強打した。
誰もいない夕焼けの道路で、1人悶絶し、そしてこの無謀な挑戦を悔いた。

また、皆さんもお気付きのよう、その場所はしょんべんばばーがいた標識のところであった。
たまに「昔、しょんべんばばーっていたよね」とキャーキャー言っていたアホに対するばばーの呪いである。

帰宅して風呂に入った時に、金玉は紫色に変色していた。
1週間ほどはその状態だったと思う。

おれはそこから手離し運転をすることをやめた。
いつかじじーになって、孫に「なんか怖い話してー」とせがまれたら、この呪いの話をしてやりたいと思っている。


このように小学生はアホなのである。
他にもアホなストーリーはたくさんあるので、それはまたの機会にご紹介したいと思う。
しょんべんばばーの行方を知っている方はぜひとも教えていただきたい。

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